第7話
第7話
神谷だ。
帽子を被って男物の服を着ているが、間違いなく神谷だ。
「お客様、お時間の方が……」
「延長でっ!」
神谷よ、前払い制じゃない、万札なんて出さなくても大丈夫だ。
「……どういうつもりですか、神谷さん」
「来ちゃった。あと拙者は神谷とかいう美少女ではござらん、ただの男丸である」
「ハァ……、変装のつもりですか。あなたはもう少し、敏い方だと思いましたのに」
「ふっふーん、どうでしょう。ヨッシーの隣空いてるの? 座るね」
「え、ああ……」
「とりあえずコーラで」
そんなとりあえずビールで、みたいなノリで言わなくても。
しかし呆気に取られていたが、これはもしかして助かったのだろうか。
修平が店を出ようとする素振りはない。
……『延長』が通じたようだ。
「神谷、何のつもりだ」
「ちょっと気になることがあって。ねえ、実験の方はどうなったの?」
「……もう少しで死ぬ所だった」
「だと思った、ヨッシーだもん」
神谷の生意気な言葉に、なぜかそこまで腹が立たなかった。
俺は間違いなく、神谷に救われた。
……救われたんだ。
「ヨッシー二等兵、戦況を報告したまえ」
「あ、ああ。俺とマイが『同級生』だと証明しようとした。でもマイは、その手の話に一切耳を貸そうとしない。『友達』でも『恋人』でもねーし、他に俺を証明する手立てが……」
「『同級生』、かぁ……」
「わぁ~、お兄さん超かわいぃ~、女の子みたぁ~い。初めましてぇ~、マイでぇ~す」
静かにしていた木村が再び動き出す。
そうだ、あくまで『延長』しただけ、思考を止めている暇はない。
でもそれ以上に止まらないのは神谷だった。
「マイちゃん」
「はぁ~い、なぁにぃ~?」
「うちの『丹羽君』がお世話になってまーっす」
「うちの丹羽君……?」
……あれ、今の木村の声、さっき肩をつかまれた時と同じだ。
「やっぱりそうなんだね」
「丹羽、アンタこれどういう事よ」
「どういう事、と言われましても。僕も困惑しているのですよ、彼ら、いえ、今は彼女の行動を分かりかねています」
「彼女? アンタ彼女いたの!?」
「マイさん、何を言っているのですか?」
手に取るように分かる、何かが変わった。
「ねえ、マイちゃん」
「何よ!」
「今日何時上がりかな? おじさん、マイちゃんにアフターお願いしちゃおっかなー」
* * * * *
「あのションベン臭えメスガキはどこよ」
そう言いながらドアを開け、高校時代に抱いていた印象通りの木村が入ってきた。
髪は派手なままだが、化粧を落とし、ラフな格好でジーンズを履いている。
今は24時間営業のカラオケに来ていた。
「神谷さんは気分が優れないそうで、先に帰られました」
修平が説明した通り、神谷はここに居ない。
なんでもアルコールの匂いにやられたそうで、立っているのもやっとだと言う。
大丈夫かと聞くと、青ざめた顔で笑顔を見せながら、「それよりも」と俺に伝えた。
「ヨッシー、朱音ちゃんをよく見て。あの子は、分かりやすい子だよ。朱音ちゃんを理解して、そして証明するの、ヨッシーがそこに居て何ができるのかを」
その言葉の意味する所を、俺はまだ分かっていない。
でも確かなのは、『延長』がまだ続いているという事だ。
木村が仕事を終え、こうして再び集まったこの場所で、『実験』を進めなければ。
俺達が向き合って座ったせいで、木村は舌打ちをしながら修平の隣に座り、結局キャバクラと同じ配置になる。
俺の隣に誰も居ないのが、今は少し心細い。
木村をよく見ろ、と言った神谷の言葉通り、俺は目の前の女の観察を続けた。
彼女は足を組むと、カバンからタバコを取り出して火を点ける。
その煙を吸う暇もないまま、持ってきたコンビニ袋から缶ビールを取り出し、フタを開けてから三度喉を鳴らす。
そこでようやくタバコを吸い、細い煙をテーブルにかけていった。
「アンタ何さっきから人の事ジロジロ見てるのよ、変態じゃないの?」
……分からない、よく見た所で、この女の何を理解しろと言うんだ、神谷。
「すみません朱音さん、お疲れの所わざわざ来てもらいまして」
「別にいいわ。それよりも丹羽、アンタあのガキとは本当に何もないんでしょうね?」
「ええ、もちろんです。今は訳あって、一緒に暮らしていますが、それはあくまで」
「ぶふう!」
木村がビールを吹いた。
「それのどこが何もないって言うのよ!」
「ああ、またあなたは散らかして」
そのビールを修平がおしぼりで拭いた。
「そういう事しなくて良いって言ってるでしょお!」
「よくはありません、僕はあなたの家族のようなものですから」
「ああーもおー、アタシがやるから!」
……俺、置いてけぼりな気がする。
それを察しての助け舟かは分からないが、修平が神谷については俺に聞くようにと言った。
そこで俺は、木村にこれまでの経緯を説明する。
キャバクラから外に出たお陰か、恐る恐る出した『同級生』という単語にも、特に触れては来なかった。
一通り言い終えた後、木村はタバコを吸い込んで、顔をそむけながら細く吹き出した。
「アンタ頭おかしいんじゃないの」
「その反応は、至極当然でしょうね。僕も興味があって彼らの話を聞いてきましたが、結局何もその現象を裏付けるものがなく、そろそろ僕も身を引こうかと考えています」
「その方がいいわ。アンタがあんな女と一緒に居る必要なんてないもの」
「全くです、僕も暇ではありませんからね」
「アンタの家族はアタシよ。……でもアンタの言う家族は、妹みたいなものよね」
「ええ、もちろんです」
「……バカ」
この女、ビール1杯で酔っているのだろうか。
顔を真っ赤にしながら、中指の腹で缶ビールの縁をぐるぐるとなぞっている。
「アタシはぁ~、アンタの事がぁ~好きなのよぉ~」
「はは、また営業トークですか。すっかり板についてきましたね」
「バカァ」
――朱音ちゃんは分かりやすい子だよ。
神谷よ、まさかこれか、これなのか。
こんなあからさまに分かりやすいのか。
「修平、木村は恐らく本気で言っているぞ」
「何言ってるのよ、そんな訳ないじゃない」
「ええ、彼女は僕で営業トークの練習をしているだけですよ」
……あれ、おかしい、違うのか。
* * * * *
結局カラオケで何も進展がないまま、時計は午前1時を回っていた。
俺との会話はほとんど無くなり、客観的に見れば目の前でずっとふたりがイチャついている。
「丹羽さぁ~ん、チューしようよぉ~」
「ははは、お金取られるんじゃないですか。もう持っていませんよ」
「……バカ」
何だこの腹立つ時間は。
このふたりは付き合っている訳ではない。
修平の言葉を借りるなら、営業トークの練習をしているらしい。
木村を観察して気づいたのは、修平に好意を抱いている事、その修平がそれに気づいていない事、という構図かと思った。
でもそれは当人達によって否定された。
そもそもその構図が合っていたとして、それと俺に何の関係性も感じられない。
この実験の趣旨は、木村に俺という『同級生』の存在を『証明』する事だったはずだ。
目の前のふたりを見ていても腹が立つだけなので、俺はその同級生の手がかりを探るべく、高校時代の木村を思い出そうとした。
……すぐには浮かんでこない。
高校時代と言えば、俺は修平と良く遊んでいた。
何をするにも2人で一緒に居た気がする。
そこへ木村が歩いてくる。
「アンタ達いつも一緒ね」
「なんだよ木村、修平が取られるって妬いてんのか」
「バ、バカじゃないの」
「全く何を言い出すかと思えば。良樹君、僕と朱音さんは幼馴染ですが、そういった関係ではありませんよ」
「そうよ、家族みたいなものなんだからね」
「家族ぅー? もう付き合っちまえよ」
……そう、俺はこのふたりが付き合えば良いと思っていた。
「なんで告白しねーんだ」
木村に聞いた事がある。
「バカ言わないで、なんでアタシが告白なんてしなくちゃいけないのよ」
でも好きなんだろう。
「そりゃ、もちろんそうよ」
卒業したら、会えなくなるかもしれない。
後悔しないようにした方が良くないか。
「無理よ、アタシかわいくないし、女らしくないし。こんなアタシ、丹羽にふさわしくない、好きになってもらえる訳ないじゃない。それに」
それに?
「付き合う事だけが全てじゃないわ、アタシと丹羽は家族、それでいいのよ。告白なんかして、アタシ達の関係を壊したくない」
本当に?
「今野、アンタのそういう他人の事に口出しする性格、アタシ大嫌い。ほっといてよ」
放っておけるかよ、だってお前は。
――朱音ちゃんを理解して。
「アタシは、このままでいいの」
お前は。
「お前は自分を諦めている!」
「はぁ?」
「どうしましたか急に」
……気がつけば俺は、立ち上がって叫んでいた。
でも座る必要はない。
俺は深く息を吸い込んで、一気に解き放った。
「木村、お前は修平が好きだろ!」
「だから違うって言ってるじゃない」
「違わない、3年前と全く変わっていない」
「今野君、妙な言いがかりはやめてください。実験するとは言いましたが、やけになるくらいなら今すぐこの場で」
「通報しろよ、俺はどこにも逃げねーぞ。木村、3年前お前に言った事、覚えてるか」
「だから、アンタのこと知らないって」
「じゃあもう一度言う、お前は自分を諦めている。だからそんな自分を変えようとして、その仕事を始めたのか?」
「……アンタ、なんなの」
「そんな事しなくてもこいつはお前が好きだったのに、そうだろ修平」
「いえ、僕は……」
「お前は頭がかてーからな、自分が木村にふさわしい男になるまでその感情を表に出さないようにした、違うか」
「そのような事はありません」
「これは実験だろーが、本音を言わねーならお前の手で失敗させる事になるぞ修平ェ!」
修平は押し黙っていたが、ゆっくりとメガネを押し上げた。
「……ええ、そうです。僕は朱音さんにふさわしくありません」
「に、丹羽……?」
「幼い頃から、朱音さんは僕にとってヒーローでした。僕が小学生の頃いじめられた時も、朱音さんがいじめっ子達を蹴散らしました。僕はずっと、彼女に守られてきたのです」
「いいっ、今そんな話しなくてもいいじゃないのよ!」
「だからこそ僕は、彼女を守れるだけの人間にならなくてはいけないのです。残念ながらまだ、それには至りません。その間に他にあなたを守る男が現れたら、それは仕方のない事です」
「だァーー! イライラする! お前ら似た様な性格しやがって、お似合いなんだよ早く付き合え!」
「アンタ今野だっけ、他人の事に口出ししないでくれる」
「うるせー! 大体なんだ営業トークの練習って、それで本音を濁して満足してるつもりか!」
木村が缶ビールを投げつけてきた。
目には涙を溜め込んでいる。
「なんなのよアンタ、アタシのなんだっていうのよ!」
「俺はお前の」
俺は木村の何なんだろう。
大の大人が叫び合って、何をしているのだろう。
他人の事に口出し、か。
厄介な事になってしまったな。
……ああ、でも、もういいや。
どうせ高校の頃から、こうだったのだから。
「俺はお前の大嫌いな同級生だ」
「何よそれ、バカみたい」
「木村、諦めなくていい、無理して自分を変える必要なんてない、胸にある思いをそのまま一度くらい出してみろ」
「いやよ」
「そうやって自分を殺していたら、いつか失っちまうんだぞ!」
「いやよ! アタシは丹羽と家族のままで居たい、壊したくないよぉ……」
木村が机に突っ伏して泣き出した。
高校生に立ち戻って、思いの丈をぶつけてきたが、やはり俺は何者にもなれないのか。
神谷、俺はここに居たけど、何もできなかったよ……。
「では本当の家族になりましょう」
突然その言葉を発したのは修平だった。
「ふぇ?」
木村が涙目のまま顔を上げる。
「朱音さん、僕と結婚を前提にお付き合いして下さい」
「ふえぇぇ!?」
どうしてそうなった?
「今野君の言葉で気づきました。あなたにふさわしい男になるまではと、自分を押し殺してきました。でもそれは向上心ではなく、諦めだったのかもしれません」
お前に届いたのかよ、俺の言葉。
なんというか、さすが似た者同士といった所か。
「ですから、一度ありのままの気持ちを伝えて、ダメだと言われてから諦めようと思いました」
「……ダメな訳、ないじゃなぁぁあああ」
もう言葉もまとまらない木村を、修平がそっと抱きしめた。
だから俺はずっと言っていたんだ。
早く付き合えばいいのにと。
高校の頃から分かりきっていたこの結末に、なんだか急にバカバカしくなってきた。
そしてふと写真を取り出して、修平に見せながら言った。
「お邪魔みたいだし、俺は先に帰るぞ。もう『電話』する必要もねーし、ふたりでゆっくりしていきな」
「影が……では、あなた達は本当に」
写真の影は形を変えていた。
俺はここに居ると証明できたのだろうか。