第6話
第6話
その事に最初に気が付いたのは、俺達の協力者でもあり、親友の丹羽修平だった。
「この写真の中央に薄っすらと写っている、モヤのような影はなんでしょう?」
その日は朝から買い出しを済ませ、戻ってから修平の立てた仮説の検証や状況の整理などを進めていた。
そして何も成果が出ないまま昼食の時間となり、各々に多少リラックスしていた所だった。
「んー? なんだこれ、木の陰か?」
「それにしては不自然です。これは地面に伸びた影ではなく、どちらかと言えば宙に浮かんで見えます」
「レンズにゴミでも付いてたんじゃねーのか」
「もちろんその可能性は否定できませんが、少ない情報の中で見つけた新情報でもあります。ロマンを感じませんか?」
「ロマンねぇ……。つか、こんなのあったか?」
「どうでしょう。僕はどちらかと言えば裏の文字に興味がありましたし、先程何気なく見ていてやっと違和感を覚えました」
「んー……。なー、神谷?」
声を掛けたその相手は、テレビにかじりついていて気が付かない様子だった。
「神谷ー、なーおいって」
写真を神谷の方に投げてみる。
思ったよりもきれいに飛んで、彼女の肩にぶつかった。
「……あれっ、なにこれ、どうしたの?」
「それ良く見てみろよ、真ん中の影って前からあったか?」
「うんー? あれ、こんなの無かったよ」
「それは確かでしょうか」
「うん、私記憶力良い方だし」
「ほう、これは面白くなってきました。いつの時点では無かったと言えますか?」
「一昨日だよ」
「なるほど、一昨日ですか。時間は分かりますか?」
「夕方くらいかなー、ヨッシーとお買い物してた時だから」
「では、僕の家に来る前ですね」
「うん」
修平は一旦話すのを止めて、唇を触りながら視線をしきりに動かした。
そして指を離すと、そのままメガネを押し上げる。
「これはあなた達に起こった現象ではなく、その写真の影に対する仮説です」
俺と神谷は示し合わせたかの様に、体を回して修平に向けた。
「不足する情報は一旦度外視して、前提条件として一昨日の夕方には無く、現時点では存在している謎の影とします。では、この二つの時間で異なる点は何でしょうか」
「えっ、俺に聞いてるのか?」
「まさか、そんな無駄な事はしませんよ。神谷さんお答え下さい」
「おい」
「うーん。あ、シュウくんだ」
「素晴らしい、その通りです。この二つの時間の差異は、あなた達から見て僕という人間が居たか居なかったかです」
つまり修平の立てた仮説によると、俺達が人に会う事でこの影は浮かんだ可能性があるという訳だ。
「あくまで仮説ですが」
「でもそれだとおかしくねーか、俺は修平より前に会社の連中とも会ってる。それは神谷の言う、一昨日の夕方よりも前の話だ」
「その時点で影が出来ていてもおかしくないと、なるほど確かにそうですね。まあこれも他の仮説と同様、実証には至らなかったという事で」
「待って。……友情の証明、ヨッシーがシュウくんにそれをしたから、影が浮かんだっていうのはどうかな」
「興味深い説ですね。……それを証明されたかと言われると、少々疑問ではありますが。いいでしょう、前提を更新します」
最終的な修平の仮説はこうだ。
写真の影は、俺がかつての知り合いと会い、その相手に自分の存在を証明する事で発生したというものだ。
これは自分の存在が世界から消えた事に対して抗う意味を持ち、その現象を引き起こす理が崩れたという見方も出来るらしい。
そう聞くと胸の奥が熱くなってくる。
そうだ、抗わなければならない。
これ以上この現象を、身に降りかかる火の粉としておとなしくかぶり続ける必要なんてない。
この瞬間から俺達は、反撃に出るんだ。
「行くぞ!」
「ええ、では、キャバクラに向かいましょう」
……えっ?
* * * * *
「おしぼりどーぞー」
「あ、ああ……どうも」
「お兄さん、このお店初めて?」
「あ、ああ……そうだ」
俺の右隣に座った派手なドレスの女の子がもてなしてくる。
テーブルを挟んだ向かいに座る修平の隣は空いたままだ。
何なんだこれは、訳が分からない。
どうして俺はキャバクラに来ているのか。
話は少し遡り、修平と電車で移動していた時のことだ。
「つか、なんでキャバクラに向かってんだ」
「僕の話を聞いていなかったのですか?」
「正直途中から、あんまり聞いてなかった」
「ハァ……。神谷さんも苦労したでしょうね、こんな男とふたりで行動だなんて。僕は今から気が滅入って仕方がありません」
それに神谷が賛同する事はない。
なぜなら彼女は、修平の家で留守番をしているからだ。
夜になるまで他の仮説も検証し、結局この写真の影が一番有力な手がかりという結論に達した。
そしてこれから向かう場所の性質上、神谷とは一旦別行動になった事までは覚えている。
問題はその場所、なぜキャバクラかだ。
「写真の影の仮説を検証するため、僕以外の人間で実験を行います。忘れないで下さい、この実験に何の成果も見られなかった場合、僕はそろそろあなた達の話に興味が無くなります。そうなった時、僕は通報する事をためらいません」
その脅しは何度も聞いていて、そろそろ耳にタコができそうだ。
「実験対象の条件は、あなたの知り合いである事です。そして成功の確率を上げるため、より僕に近い状態、高校の同級生としました」
それは非常に助かる。
他の知り合いと言えば、会社の連中くらいなものだ。
……よく考えたら俺は、一度そいつらに通報されているのか。
この事は修平には黙っておこう。
そういった意味でも、実験対象が同級生でよかった。
確か、名前は……。
「木村朱音だ」
「そうです、これから会いに行くのは彼女です。近くに住んでいて、今でも僕が連絡を取り合っているのは彼女だけですからね」
木村朱音。
そこまで深い付き合いだった記憶はないし、高校卒業後は会った事もなかったが、印象には残っている子だ。
いつも女グループのリーダー的立ち位置に居て、男にすらケンカを売る気の強さがあった。
覚えている顔には、どれも眉間にしわを寄せている気がする。
……まさかこの修平が、あの木村とまだ繋がっていたとは。
そしてまさかその木村が、このキャバクラで働いているとは。
そしてまさかまさか、
「ご指名ありがとぉございまぁ~す、マイでぇ~す♪ 失礼しぁ~す♪」
こう来るとは……。
「お久しぶりですね、マイさん」
「もぉ~、丹羽さんたらぁ~、いっつも急なんだからぁ~」
なんだ修平の小慣れた感じは。
お前大学生だろう。
あとなんだマイって、そいつは木村朱音じゃないのか。
「あ~っ、そちらのお兄さんは初めましてかなぁ~? よろしくお願いしまぁ~す、マイでぇ~す」
そう言ってマイ(木村?)は名刺を渡してきた。
……名刺の名前もマイだ。
「丹羽さんのお友達ぃ~?」
「いえ、彼は……」
「なあ、お前はあの、木村朱音か? 高校の時、同級生だった」
「あ~っ、お兄さん、肩に何かついてるぅ~。マイが取ってあげよぉ~」
マイ(木村?)がテーブルに左手を置いて、もう片方の手と一緒に顔を寄せてくる。
香水の匂いが鼻を突く。
でもそれ以上にキツいものが待っていた。
肩を鷲づかみにされ、眉間にしわを寄せ、俺の目を突き刺すように睨み、さっきとはまるで違う低い声を鼓膜に突っ込んでくる。
「本名とか、同級生とか、それ以上言ったらキ◯タマ引きちぎって鼻の穴にぶち込むわよ」
それからマイ(木村!)は俺の肩をなでて、「取れたぁ~」と言いながら戻っていった。
……帰りたい!
* * * * *
「どうですか」
木村ともうひとりの女の子が席を外した後、修平が前かがみになって聞いてきた。
どうですかも何も、目の当たりにした木村に対して色々と頭の処理が追いつかない。
明るく長い髪は高校時代の名残もあるが、肩の辺りからウェーブなんてかけていなかったし、目が巨大に見えるメイクもしていなかったはず。
何より露出度の高い派手なドレスは、俺の記憶にある男勝りな木村にはどうやっても結びつかない。
でも肩をつかまれたあの瞬間、同一人物である事は確信した。
「女って、3年でこんなにも変わるんだな」
「何の話ですか、写真の影ですよ。変化はありましたか?」
「あ、ああそうか」
ポケットから写真を取り出してテーブルに置いた。
店内は明るいかと思っていたが、物を見るには少し薄暗い気もする。
「……特に、何も変わってねーな」
「やはりあなたが朱音さんに自分を証明する、というのが鍵なのでしょうかね」
「朱音さん、なんて呼んでんだな」
「言い忘れていましたが、店内では僕ら以外に聞こえる声で本名や年齢に関する話は禁句です。彼女、19歳で通していますから」
「……先に言ってくれ」
「ふふっ、すみません。僕も最初はよく怒られた事を思い出しました」
「よく来るのか?」
「とんでもない、学生の身分でそうそう来れる場所ではありませんよ。でも幼馴染からの腐れ縁でもありましてね、2・3度せめて応援でもと顔を出した程度です」
「そうか、幼馴染だったな」
「ええ。でもこれは、僕と彼女の話です。問題はあなたですよ」
「……そうだな。自分を証明、か」
「あ~っ、男同士で内緒ばなしぃ~?」
マイ(木村)が戻ってきたので、俺はソファーに腰を沈めながら、ふたりの会話が再開するのを眺めていた。
俺の隣は戻ってこないが、むしろ考え事に集中できてありがたい。
……しかし改めて考えると、どうやって『自分を証明』したものだろうか。
修平の場合は『友情』の証明という形だった。
これは修平と俺の関係についての内容だ。
『俺』は『お前の友達』だという観点から、自分を証明した。
それに対して木村の場合は、『友達』だった訳でもないし、ましてや『恋人』だったはずもない。
やはり『同級生』が唯一しっくりくるが、それを証明とは何をどうすべきだろうか。
卒業アルバム?
……いや、そういえば既に修平がアルバムを確認して、俺が載ってないと言っていた気がする。
あの学校に居た人間にしか分からない話をするか?
……そうだな、まずはこの辺りからか。
「あ、あのさ、き……マイ」
「はぁ~い」
「『2歳年下の弟』と同級生だったよな、俺もあの高校通ってたんだけど、あれまだあるのか? 校舎裏にある、あの訳わかんねー」
「あ~っ、今野さんお話の途中ごめんなさぁ~い。さっきぃ~、マイが渡したお名刺古かったのぉ~。これぇ~、新しい方でぇ~す」
……なんだこれ、名刺と言うよりただの紙じゃないか。
「裏もこっそり見て欲しいなぁ~」
ただの紙をひっくり返す。
『コロス』と書かれていた。
「それでぇ~? 今野さんのお話聞かせて欲しいなぁ~」
「………………修平、いいやつだよな」
「あ~っ、わかるぅ~。丹羽さんはぁ~、優しいしぃ~」
修平よ、せめて俺の皮肉が届いてくれ。
お前の話によると、禁句なのは本名と年齢に関する内容だったはずだ。
まさか学校の話自体がNGだというのか。
「頭もいいしぃ~、すごぉ~く頼りになるしぃ~」
そんな舞台で『同級生』を証明しろと。
……詰んでいるじゃないか。
「マイのこと考えてくれるしぃ~、誕生日プレゼントもくれるしぃ~」
てか、いつまで続くんだ木村のそれ。
「ははっ、褒めても何も出ませんよ。……さて、今野君そろそろ引き上げましょうか」
「えぇ~っ、もう帰るのぉ~?」
待て、待て待て待て、まだ何も終わってない、何もできてない。
「すみませんマイさん、延長できるほど僕らはまだ大人になれていませんでした。それに帰って、『試合』の結果も見たいですし」
「何それぇ~、野球ぅ~?」
「そんな所です」
『試合』じゃない、修平は『実験』の結果の事を言っている。
急いで写真を確認する。
……何も、変わっていない。
「このあと、『電話』する約束もありますし」
「もぉ~、マイ以外に電話しちゃダメぇ~」
『通報』する気だ。
逃げよう、もうここまでだ。
――すぐ逃げる。
……どうしてだ、体が動かない。
ダメだ、終わった。
店のボーイがこっちに歩いてくる。
時間切れを告げにやって来る。
次の言葉で俺の人生はもう……。
「お連れ様ご案内でーす」
……お連れ様?
「ヤアヤア、ワレコソハ、えっと、オトコマルデアール」
この声は。
――すぐ逃げる。
……その声は。
「神谷ぁぁぁ!?」