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第13話

   第13話




「頭の方は大丈夫ですか?」

 ハンドルを握った修平が、真っ直ぐ前を向いたまま聞いてくる。

 いつもの嫌味ではなく、俺の身を案じて言ってくれている。

 窓から見える空は青いままで、ゆっくり流れる雲がこれは夢じゃないと教えてくる様で腹が立った。

 ……神谷があんな事をするなんて。

 俺は目を閉じて自分にされた事を思い出し、ゆっくりと開いてから言葉を返した。

「ああ、大丈夫だ」

 俺を迎えに来た修平は、辺りに神谷が居ないか一通り確認した後、再びA県に戻るべく車を走らせていた。

「……あの神谷さんが、後藤君に会いに行った際に写真を破り取って行った犯人だったとは。言葉で聞いただけでは、にわかには信じがたい話です」

「目で見た俺だって、そうだ」

「しかし思えば、あの日神谷さんは朱音さんに電話をし、後藤君の連絡先を聞いていました。そしてその後藤君は、僕達が昼過ぎに行くと伝えていたのに、夕方まで外出していた。あれも、神谷さんが何かしらしたと考えれば、辻褄が合います」

「最初から、財布じゃなく、写真を奪うつもりだったのか。……いっつ、まだ頭がいてーな」

「やはり病院に行くべきですよ。身分の証明については、後から何とでも誤魔化せます」

「そんな事はどうでもいい。今は、神谷を探す事に集中したい」

「……神谷さんは僕の方で探します。少なくとも、これで七葉さん探しは中止という事でよろしいですね」

「いやダメだ、七葉も探す。この実験を終わらせる」

「あなたは一体何を、そんなに意固地になっているのですか」

「俺がやらなきゃいけないんだ。……俺が、今度こそ俺が救わなきゃダメなんだ」

 修平は鼻で短くため息を付いた。

「そのためには、ご自身がどうなってもいいと。もし打ち所が悪く、そのまま命を落とす様な事になっても構わないと」

「ああ、構わねー。俺の事はどうでもいい、ふたりを探さないと」

「『自分を大切にしろ』ッ!」

 ――キミはその言葉の意味が分からないダメ人間さんだね!

「……僕は一度、あなたにそう言っているはずです。また、同じ事を言わせるのですか」

 ――でもダメだよ、どれだけ頑張っても、頑張ったね、お疲れ様って言うには、そこに……。

「神谷さんを見つけるのも、七葉さんを見つけるのも、実験を終わらせるのも。そこにあたなが居ないと意味がないというのが、分からないのですか」

 ――俺の人生に土足で踏み込んで、勝手にダメになると決めつけた。

 ……違う。

 ――そして自分が正しいとばかりに、説教してきやがった。

 ……違うッ。

 ――そこにヨッシーが居ないと。

 ……俺が、俺が居ないと。

 ふたりに、会えない。

 会いたい。

 お前を救うために。

「悪かった、でも本当に大丈夫だ。やばいと思ったら救急車を呼ぶ、今はお前にもらった携帯もあるしな」

「……また電話に出なかった場合、僕の方で救急車を呼びますよ」

「ああ、助かる。俺は俺を失うことなく、ふたりを見つけてみせる」

「分かりました。では良樹君、あなたにミッションです。神谷さんを探し、七葉さんを見つけ、この実験を成功させて下さい。そして、あなた達に起きたこの現象を終わらせるのです」

 俺は自分の手に拳を叩きつけた。

「おう!」


 * * * * *


 神谷はここに戻ってくるかもしれない、という考えが俺達にはあった。

 修平の家に、まだ荷物が残っているからだ。

 金の入ったカバン、いくつかの着替え、あいつがここに居たという証が。

 だがそこに、神谷の姿は無かった。

「どうしますか、戻ってくるのを待ってみますか」

 俺は神谷のカバンを開いた。

 中には大量の紙が入っている。

 その内の1つに、白い紙があった。

 それを手に取って、読み上げる。

 短い言葉が、3行に渡って書かれていた。

「『ありがとう』、『ごめんね』……『さよなら』」

「それは……、一体、どういう意味でしょう」

「分からねー。でも」

 でも、この言葉が、この文字が、あいつがここには戻らない事を意味していた。

「もう戻らないつもりで、ここを出たんだ」

「……今になって、自分だけが助かりたくなった。良樹君の事を、見捨ててでも」

「修平テメェ!」

「不思議と、彼女がそんな事を考える人だとは思えないのです。どうしてでしょうね、僕達はまだ会って日が浅いというのに」

「……それが、神谷だからだ」

「ええ、そうですね。僕はここに残ります、万が一戻ってきた時のためと、引き続き七葉さんの情報を調べるために」

「分かった、俺は外を調べる」

「何か当てはあるのですか?」

 ……当てと言えるのかは分からない。

 神谷がどこへ行くのか、何をしているのか、検討もつかない。

 だからこそ俺は、神谷の言葉を思い返した。

 色々な言葉をかけてくれた。

 時にはそれが、生意気だと思う事もあった。

 優しい言葉もあった。

 ふざけた言葉もあった。

 厳しい言葉もあった。

 お前の言葉は、俺の中にちゃんと残っている。

 お前がここに居た事を証明している。

 だから、きっとお前はきっと、そこに居る。

「風船だ」

「風船、ですか?」

「あいつは俺達が後藤に会いに行く時、風船を調べると言っていた。きっとそこに、手がかりがあるはずだ」

「それはまた、随分と……。いえ、そもそも、何の風船でしょうか」

「空にあっただろーが、さっき見た時は無かったけど、色んな色の風船があちこちに。きっとあれだのことだ」

「待って下さい、僕はそんな物、見た覚えがありません。でも確かに、僕達が3人で買い物に行った時も、神谷さんは風船の事を言っていました。あの時も僕は、それを見ていません。……あなた達にしか、見えていないとしたら」

「……この現象に、関わるものだ」

「いいでしょう、その風船を調べて下さい」

「ああ、分かった」

 俺は修平の家を飛び出して、空を見上げた。

 最初はどこかで祭りでもやっているのかと思った。

 ずっとそこにあるから、途中から気にならなくなっていた。

 でも今は、どこにもない。

 ……心がざわつく。

 あの風船の様に、お前も消えてしまうのではないだろうか。

 俺達は世界から存在を消された。

 でも確かに、お前は、俺は、ここに居たんだ。

 消えてたまるか。

 消させてなるものか。

 探すんだ、風船を。

 探すんだ、神谷を。

 探すんだ、七葉を。

「どこだァ!」

 俺は走った。

 空を見上げながら。

 人にぶつかりながら。

 壁にぶつかりながら。

 車にぶつかりそうになりながら。

 それでも走るのを辞めなかった。

 風船は、見つからなかった。

 

 * * * * *

 

 そして俺は、ある病院の前で足を止めた。

 こんな所に、居るはずもないのに。

 風船なんて、どこにも見えないのに。

 なぜかそこで、足を止めたんだ。

「どこだ……」

 俺は誰にも届かない言葉を吐きながら、建物の中に入り、階段に足を乗せた。

「どこに在る」

 ひとつ、またひとつと階を上がる。

「どこに居る」

 そして屋上の扉を開けた。

 風が吹き抜けて、視界が広がる。

 でもそこに、風船はない。

 顔を上げる。

 俺は、空を見ている。

 ――私は、ずっと、空を見ている。

 ずっと、ずっと。

 ――ずっと、ずっと、ずーっと。

 どこにも見えない風船を探している。

 やっぱりそんな物は、存在しないのか。

 ただの、

「在る」

 俺の、

「在るはずだ」

 思い過ごしなんだ。

「絶対に在るはずだ!」

 ――諦める、という選択肢もあります。

 ――見つからなかったら、その人を諦めてね。

「諦めてたまるかァ!」

 お前はここに居る。

 言葉がそれを証明している。

 なあ、そうだろう。

 俺の隣に居たじゃないか。

 ずっと、ずっと一緒だったじゃないか。

「俺はここに居る!!」

 手を伸ばしたその先で、空が揺れた。

 そして握った拳の中に、細い糸が残った。

 糸の先には、空に似た、青い、青い風船。

 なんだ、やっぱり、在ったじゃないか。

 糸をたぐり寄せて風船に触ると、それは割れてしまった。

 でも消えたんじゃない。

 届いた。

 届いていた。

 これはお前の風船だ。

 とても短い、たったふたつの言葉を込めた風船だ。

 ――大好きだよ。

 ああ、分かってる。

 全て、分かったよ。

 この世界に起きた現象は、俺が起こしたものだ。

 俺はここに来た。

 風船を探して、ここに来た。

 神谷を探して、ここに来た。

 七葉を探して、ここに来た。

 ここまで、来たよ。

 写真の隣に映った、君の笑顔を、もう一度見るために。

 俺の、大切な、人。

 ――ヨッシー。

 

 ――俺のせいだ!

 

 そう、俺のせいだ。

 

 ――お前を消させたりしない。

 

 そうだ、この世界に、お前を消させたりしない。

 

 『願いを叶える』

 

 だから俺は願ったんだ。

 お前を消すなら、俺を消せと。

 その代わり、お前を返せと。

 あの日の出来事を、無かった事にしろと。

 俺なんて最初から居なかった事にしろと。

 そうすればお前の笑顔が消えずに済んだ。

 消えずに済んだんだ。

 

 ……神谷七葉。

 

 お前が消えずに済んだんだ。

 

 ――私は、ずっと、空を見ている。

 ――ずっと、ずっと、ずーっと。

 ――そして聞いている。

 ――言葉を。

 ――思いを。

 ――キミの声を。

 

 ねえ、ヨッシー。

 キミはずっと、自分を責め続けていたね。

 キミは悪くないってシュウちゃんが言っても、その言葉に耳を傾けなかったね。

 私もずっと、そう思っていたんだよ。

 キミは悪くないのに。

 どんどん、どんどん、ボロボロになっていく。

 私のせいで。

 私のせいで。

 だからね、ヨッシー。

 私は風船を飛ばしたの。

 誰にも届かない、色んな言葉を詰めて、空に風船を浮かべたの。

 ふわりふわり、ふわりふわる、風船またひとつ。

 こうして浮かべておけば、いつか、きっと、誰かに届くと信じて。

 誰にも届かない言葉でも。

 誰にも届かない思いでも。

 誰にも届かない願いでも。

 ねえ、ヨッシー。

 私はね、キミが自分を失っていくのが耐えられなかった。

 だから風船を飛ばしたの。

 ヨッシーが、私を忘れて、自分の人生を生きられますようにって。

 そんなお願いを込めて。

 風船を飛ばしたの。

 

 この世界は、私の願いが叶った世界だよ。

 

 この世界は、俺の願いが叶った世界だ。

 

 だから、

 

 だから、

 

 壊しちゃだめだよ。

 

 ……俺は、この世界を、壊そうとしている。

 実験を繰り返して、写真が戻っていく度、きっとこの世界は、壊れていく。

 叶えた願いが、崩れていく。

 お前を救おうとしたのに、俺は、お前をまた失ってしまう所だったのか。

 でも俺は、俺は……。

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