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5. ─ 光陰 ─



……それから私は、素直に病院に帰ることにした。




行きが、自分でどう歩いて来たか分からないだけに戻るのには苦労した。




病院の裏手、少し行った所にある丘の公園。

すぐ近く、ではあるはずなのに。

帰る時には全身が自分のものではないかのように感じられて、何度も膝を突いた。




でも、死なないと思った以上、諦める訳にはいかない。




……そう考えた私は痺れる体を引きずって、人気のない朝早くの町に病院を目指した。







「……西原さぁん、入りますよ」

……私はベッドの上で、はぁい、とそれに返事を送る。

あれから数日経って……私は今、病室にいる。




「……ユウちゃん。大丈夫?」

「はい。お蔭様で」




と言って私が口元をほころばすと、入って来た看護婦さんも途端に笑顔になる。




私はあれから病院に辿り着いて、大いに驚かれた。




後で聞いたには……行方不明になった私を探して、医者の先生を始め看護婦さんまでが夜中院内を探し回ったらしい。




それが夜明けになって、ボロボロの私が玄関前に歩いてやって来るものだから、みんな驚いたのと安心したのと色々で信じられない心地だった……というのは私の前にいるこの看護婦さんの弁だ。




「本ッ当によかったわァ、ユウちゃんが無事で。よくあんな雨の中、平気でいられたわね」

「……それ、もう十回は言いましたよ」




そう私が返すと、嬉しいのはどうやったって嬉しいんだから、何度言っても足りないのよ、なんて笑顔になる。







……病院に帰って来て私は、たくさんの人の笑顔を見た。




それは重病の身で、よりにもよって雨の降る夜中に病院を抜け出したんだから、頭の鉢が割れる程叱られるというのが当然のこと。




……でもそれよりも、私は幾つもの笑顔を涙顔を見たのを覚えている。




みんな決まって言う……よかった、よかった……と、口々に。




そんなことがあったからだろう、私は今自分が生きているということが何より楽しい。

周りの、何もかもが明るく見えて仕方がない。




あれ程薄暗く狭っ苦しく、言わば牢獄のように見えていた病室が、今は信じられないくらいに明るい光に満ちて見える。




クリーム色の壁に爽やかな春の風が吹いて、それを辿るとどこまでも澄み渡った青空が見渡せる。




『死のう』……なんて考えていたことが、まるで今では恐ろしい夢の話に思えて来さえいるんだから。







「あ、体温計出してね……。でもね、ウチの先生もみんな首捻ってるのよ、ユウちゃんのように病気の重い人が何であんなことしてこんなに元気なんだろうって」

「……それは、私にも分からないですよ」




そう静かに言う。

まさか『一度死にかけた』、とは口が裂けても言えない。

それはそうよね、と看護婦さんは私から受け取った体温計を見る。




「……うん。ほぼ平熱ね……、体の痛みとかないでしょ?」

「はい。どこにも」




血色もよさそうよ、と付け加えて、看護婦さんは体温計の結果をメモに取る。




そう、あれから何度も言われたけれど……私は、普通ではあり得ない回復力を見せたらしい。

窓の外を眺めながら、ふとその不思議さを考えてみる。




私は一度、病状悪化で死刑宣告を受けたも同然の身だった。

それがどうしてか、今ではどんどん快方に向かっていると言うのだから、医者の先生も首をかしげるに違いない。




何が原因なんだろう……とここ数日考えたけれども、答えは全く見えて来ない。




「どうしたの?」




考えるあまり、遠くを見詰め出してしまう私の耳に看護婦さんの声が響く。




「あ、いえ、何でも」




私は窓からそちらに向き直る。




「……でも。実を言うとね、ユウちゃん結構前から調子よかったのよ」

「……え?」

「ホント一時期はあたし達も覚悟してたけど……そうね、ユウちゃんが病院を抜け出した三日ぐらい……いいえ一週間くらい前からかしら」




……私の頭に、ハテナとビックリマークが同時に灯る。




「……、一週間ぐらい……前?」

「そうよ。最初は何かの間違いじゃないかってみんな言ってたけどね。それが本当だったとはねぇ……」




私は、看護婦さんの言葉に一種の驚きを覚えて固まっていた。


『自分が病院を抜け出した一週間ぐらい前』


その頃、というのに私は嫌なくらいに覚えがある。

私は、自然と胸に下がるペンダントを握り締めた。






『リョウがこれをくれた頃じゃない……』







「……でも、こうして生きてられるんだから。もう抜け出そうなんて思わないの。いい? みんな心配するんだからね」




……看護婦さんの声もその時ばかりは届かない。




リョウは、このペンダントを『お守り』だと言っていた。あの時は嬉しくてすんなり受け入れてしまったけど……今になって、この結果が空恐ろしくさえ思えて来る。




……偶然の一致なのか。それとも……。

そう思えば思う程に私は、神妙な顔つきでいた。







……私の目から隠されていた真実が、もう一つあることも知らずに。







「……ユウちゃんみたいな若い人がね。これ以上亡くなるなんてあたし達は嫌なんだから」

「……はい」




私は、それ所じゃない……と聞き流す、つもり……でいた。




「……霊安室だってねえ。亡くなった人で今満杯なのよ……、3125号室の河村さんでしょ、1210号室の三井さん。大部屋の佐伯のおじいちゃんに……あ、そうそう、貴賓室に入ってた原田のリョウ坊ちゃんだって」







── ……え?…… ──







「あの……今、誰が」

「だから、河村さん三井さん、佐伯のおじいちゃんに原田のリョウ坊ちゃん」

「……原田……?」

「知らないの? 原田亮一坊ちゃん。この町の市議の息子さんなのよ。あ、ホラ、この中庭挟んで向こうの第二病棟。それの2216号室だったんだけど。丁度ね、この部屋の真向かいにあったのよ、坊ちゃんの部屋」







……もはや。

看護婦さんの声も遠くにしか聞こえて来ない。

私は、何も考えることができなくなっていた。




『ハラダリョウイチ』……イニシャルは、『R.H』。







「……いい子だったんだけどね……。ユウちゃんより二歳くらい年上なんだけど。長い間入院してたのよ」

「……何で亡くなったんですか」




……その声は私であって私じゃない。

私自身は、うなだれたまま。

いきなり胸に空いた空隙に、込み上げて来た感情がそう言っているように思った……。




「……腫瘍、というか。できものでね」




看護婦さんも亡くなった人のことを言うのは辛いのか、調子の落ちた声で話を続ける。




「……腫瘍、」

「……うん。若年性の癌みたいなものでね。治る見込みなんてもうないって言われてたの」




『治る見込みはない』……私に散々影を落として来た言葉。

それを、リョウも幾度となく……聞かされていた。




……夢、でしょ?

私はそう思いたかった。いや、思わせてほしかった。




「花なんかが好きな、大人しい子だったのにねぇ……それに、いくら『もう治らない』って言ったって、平気でケロリカンとしてるんだから」







その言葉に、改めて気付かされる。

私の記憶の中にいるリョウは……どんな時も、私に笑顔を向けてくれていた……。







「……あら、やだわ、湿っぽい話になっちゃったわね」




看護婦さんは、顰めた表情を取り繕ってそそくさとカルテのメモをまとめてしまう。

私は……ベッドの上で顔を上げられずに、言葉をなくしているだけだった。







──もう今は、あの雨の夜のことは夢とさえ思えている。

でも、どうしても忘れられないことが一つ、胸の奥底に沈んでいて消えはしない。




それが、リョウのこと。




リョウは……私に自分の命綱であるペンダントをくれた。




自分の命と引き換えに。

私を、こんな私を助けてくれた……。




──その事実が、今更とばかりに脳裏を巡る。

それに合わせて心臓の辺りが、熱く脈を打つのが改めて感じられていた。






この命を……もう私は捨てることができない……そう思った。







「あの……」

「え、なぁに?」




上半身を起こして私は、その一言を言ったっきりまた口を閉じてしまった。

顔なんて上げられない。うつむいたまま。

上げさえしてしまえば、熱く疼いているこの目から……。

掛け蒲団をただ、ギュウッと握り締めている。







「……どうしたの?」

「……あ……あの……」

「……。あぁ、花瓶? あの花瓶よね、空っぽの」




私は……もう言葉が詰まってしまって、部屋の隅に置かれた空の花瓶に、そっと視線を注いでいる。




「……あれがどうかしたの? 代わりの花なら……そうね。どうにかなるわ、準備したげるわよ」

「…………できたら。ひと、枝でも……いいです」





……私の声は、どうしようもなく震えている。




「……アカシアの花……下さい」
















病室は、少し日暮れになりかけた頃の春の光で金色に染め上げられている。

妙に、静かでもある。

もう、痛くはないけれど……四月の暮れの陽射が、熱く背中に染みて来る……。





















  ── 終 ──




……以上、強いて言うならば『恋愛ファンフィクション』とでもいう話でした。いや、看板に偽りありですかね、『恋愛』と銘打ってこんな暗〜い話では……。



それはさておき、この作品。『ファンフィクション』となっていますが、元ネタが『あ、これだ!』と理解できた方。いますでしょうか……?


おおたか静流さんの『アカシアの雨がやむとき』……この歌が元ネタでした。

もっと言えばこれはカバー曲で、原曲は1960年発売の西田佐知子さんの同名曲となります。

……ご存じですか?

おおたかさんはよく、NHKの番組で音楽を担当しているので知られています。一方西田さんは、司会者としても有名な関口宏さんの奥さん、とのことだそうですよ。

……まぁそういうことですから、ご存じだった方……いらっしゃったなら。ただただ、スゴいの一言ですね。ハイ。


……閑話休題。

話の内容としては、余命幾許もないと知らされ全てに絶望した主人公、西原ユウを描いてみました。

元ネタの歌はもっと重い雰囲気で大人な感じ漂う曲なのですが、自分なりにその世界を解釈して表現できれば……と書きました。

……実際は曲解冒涜もいいとこですよ。えぇ、元はこんな風ではないと自分は思いますし、何より原曲にあるはずの『三番』の内容……それがないんですから。

えぇ……すみません。ホントに。


皆さんがこの作品を不満なく読んで下さる……それが望みの作者でございます。

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