3. ─ 閃影 ─
──静寂は自然に、音という音を吸い取って口を利けなくしてしまう──
私は元の通りベンチに背を委ね、唇を閉じていた。
目は開いている。
けれど、目を閉じればもう全てが済むと思う。
目を閉じて、もう一回開いた時、そこには冷涼とした石の河原の向こうに一筋の川が見えそうな気がする。
……そうは思っていても、私はどことなく物足りない気がして目をすぐにはつぶれないでいた。
全てが消えて行った胸の中……そこにまだ、何かが残っているような。
そういう感覚がして、私は何となく目の前の闇を見詰めていた。
そして振り向く。
何がなしに……ただ気が向いただけ。それだけ……。
そこには、闇の中に埋もれずに立つアカシアの姿がある。
さっきから、風が吹いているんだろう。
枝葉や花房が、波を打つように揺れている。
その存在はこんな暗がりの中でも、確かに……確かに、消えることのない一つの火のように、私の前にある。私の目に映っている。
それは、ほの白い燐光でも放っているかのように感じられる。
柔らかさを持ちながら、闇の中では研ぎ澄まされているような花びらの白。そして枝葉の透き通るような若緑。
『綺麗…………』
私は、見上げる度にそれをほうっと見続ける。
その美しさは、冷えた雨露を宿して一層凄絶になるような気がする。いや、実際そうなのかもしれない。
一刻一刻経つ毎に、ガラス細工の透明度が増して行くかのように、闇に抗う光を帯びて行く。
その蒼白の燐光が……何よりも、綺麗。
それに比べると……私は……。
……そう朧気にに考えているからかもしれないけど。
『この場所も……リョウに教えてもらったんだっけ』
そんな独言が、心のスキマからこぼれた。
……何故?
そんなことは私にだって分からない。
ただ、死ぬ死なないの境目をずっと彷徨い続けたせいでボーッとした頭には、当然かとも思える。
私は、再び視線を下に落とす。自分の体の、首根の近く。
私の脳裏には……あの世の門が漂って見えるその間に、うっすらとあの日のことが浮かんで見えて来ていた……。
このアカシアの場所を教えてくれた……そしてこのペンダントをくれた……その日のことが。
──サッと
ひと吹きの
風が流れる──
『……どうしたの?』
『ほっといてよ……』
『前にも言われたよなぁ……ソレ』
……苦笑いしているリョウ。
『……それがどうしたの』
長椅子に座って、機嫌の悪い私。
──あの日の
渡り廊下の光景──
『……なぁ。また何か悩んでるな』
『リョウには関係ない』
『んー、言いますね』
リョウはどっかりと私の隣りに腰を下ろす。
当の私はいつかのように視線もくれてやらない。
『でもな、人間言いたいこと言わないとストレス溜まるぞ』
『……お医者さんじゃないんだから』
『話してみろって。な?』
笑いかけて来る。
でも。
『……ヤダ』
『え』
『…………いやだ』
私はますますうつむく。
『……何だよ……? らしくない』
『…………』
『ホントに……。ユウらしくない』
『……だから。ほっといて』
『……どうしたんだよ。何かあったのか』
とっくに、リョウの顔から笑いは消えていた。
私は、その隣りで仕着せの膝の辺りをギュッと掴んでいる。
『……なぁ』
『話したって無駄』
『……え』
『話しても無駄だから。聞いても無駄だから』
『……何、だよ……、まだ肝心の話の内容も言ってないのに』
『いいから! 話したくない』
リョウの言葉を遮るように、言う。実際私は、何の声も音も聞きたくないと思っていた。
『……な。絶対何かあったな』
『……』
『なぁ。何かあったよな』
『…………』
『…………。何か言えよ』
ズイ、と詰め寄って来るリョウ。横目で睨むと、その表情はいつになく厳しい。
『……言いたくない』
『……そんな言葉は聞きたくない』
『……だから……、言いたくなんて』
『言え!』
……突然のことだった。
ハッとしてリョウの顔を直視する。
リョウが怒鳴ったことなんて……今までにない。
何があっても、温厚で優しくて……それがリョウだった。
『……、』
『……言ってくれよ』
動揺している私を気遣ったのか。リョウはすぐしおらしい態度になる……けれども、その表情の厳しさは変わらない。
『…………』
私は……動揺と困惑と何も何もかも……頭の中でごっちゃになって、何も言えない。ただ、今にも泣きそうな顔で……リョウを見ている。
『……話したって……無駄、だよ』
刹那。
二人とも、表情が固まる。
背中、中庭から射すうっすらとした春の日の光が、何とはなしに痛く感じられた……




