ナイトマーケット
ミリアは寡黙な女性だった。しかし、それほど話さなくてもお互いの空間に、なんとなく安らぎが存在するように思える。不思議な人だ。
レオンが時計を見た。
「なあ、亜由美と莉緒を迎えに行ったほうがよくないか? そろそろ帰ったほうがいい」
そうだった。あの二人はどこにいるのだろう。あのナイトマーケットの中で一体何を買おうとしているのか。騙されなければいいけど。
すみれとレオン、店を出てきょろきょろと見渡す。
「ねえ、レオンって二人を探し出すセンサーとか持ってないの?」
この広い霧の里、たくさんの見世の中を探し出すのは大変だろう。ただ単純にそう思っただけ。するとレオンが眉間にしわをよせ、抗議してきた。
「龍をなんだと思ってる。便利な道具を出す、某ロボットじゃないんだぞ」
いや、そういうことじゃなくて、レオンの鼻かなんかが利くのかと思っていたのだ。そんなことを言ったら、犬じゃないって叱られるかもしれないって思って、こっそりぺろりと舌を出す。
「ったく、す・み・れっ」
そう考えていたことも読まれてしまった。
レオンには隠し事ができない。
そんな時、亜由美が血相を変えて走っていた。どうやら喫茶ミリアへ向かっているらしい。その制服姿は目立つから。すみれが呼び止める。
「亜由美っ」
亜由美は涙目でこっちへ向かって走ってきた。
「ねえ、すみれの券、もらえる? 向こうへ帰ったらお金として返す。ねっ」
必死の形相だった。いつも明るい屈託のない笑顔の亜由美がそんな顔をして必死でお願いしてくるなんて、どういうことだろう。
「なあ、落ち着け。まず事情を話せ。お金はそれからだ」
亜由美が言いにくそうに口をつぐんだ。
なにか事情がありそうだ。しかし、レオンにはわかってしまう。
「この世界は安心して買い物ができるところもある。けどな、ものすごく怪しくて、騙す奴も多いんだ。特にこの世界に慣れていない人間はカモにされる。その見世へ案内しろよ」
レオンが諭すように言うとやっと亜由美がうなづいた。
歩きながら、レオンが思考を送ってくる。亜由美から読み取ったこと。
《亜由美の両親、今、離婚するかしないかの瀬戸際らしい》
《そうなの? 知らなかった》
まあ、普通はそういう家庭の事情など、滅多に明かさない。特に事情が深刻なら口をつぐんでいる。
すみれも姉のこと、入院しているとは言ったが、ずっと意識がないことは言わないでいた。変に同情されたくなかった。皆は回復に向かっていると思っていた。しかし、まだ入院していると発覚し、つい、まだ意識が戻らないと告げると皆が押し黙った。何も言わないけどかわいそう的な雰囲気に包まれていた。それがいやだった。
亜由美が見つけた見世は糸屋だった。
「さあさ、運命の糸だよ。金運をあげる糸、好きな人と一生離れない糸、絶対に出世する糸、その相談に応じて三色、四色を絡めて繋ぐこともできるよ」
調子のいい中年おじさんがいた。すみれたちを見るとにっこりする。
「なに? ここって」
「ここで相談料を支払ったらお金、なくなっちゃったの。てっきり全部込みでいいと思っていたから。でもあの赤い糸、お父さんとお母さんに結び付けたいの。離婚しないように」
亜由美の想いはわかった。子供にとって両親の離婚はいやだ。環境も変わるだろう。
「いいよ。私の券でよければ使って」
事情がわかったとばかりに、ミリアの所でもらった券を出そうとした。
「だめだ」
「えっ」
亜由美は絶望的な目で、レオンを見る。
「なぜよっ。それを貸してくれたらうちの両親、別れなくていいの。ね、絶対にこの借りは返す。それは私に必要なの」
すみれも亜由美に加勢する。
「私には必要ないんだよ。なにかを買うつもりもないし。なんでだめなの」
「違う。その券が惜しいとかそういう問題じゃない。よく説明を聞いたのか、この赤い糸のこと」
亜由美は糸を見つめる。
「それを巻き付けた二人は一生別れないっていう運命の糸なんでしょ」
「そうだよ。それはそうなんだけど、別れたくても別れられない糸でもある」
「え、別れたくても別れられないって・・・・・・そんなことってあるの?」
「子供にとって、親の離婚は悲劇だ。けどな、大人の事情ってのもあるんだ。お互いの顔も見たくないほどこじれてしまった二人が別れたくても別れられないって、これでも亜由美、幸せなのか?」
亜由美の大きな目が迷っていた。
「毎日の喧嘩、怒鳴り合い、そうかと思えば何日も口をきかない。その間に挟まれている亜由美はさぞかしつらい思いをしていることだろう。けどな、一緒にいるだけが夫婦じゃないんだ。離れてみて少し時がたって、やっと相手のことを見直すこともある。離婚っていう響きは幸せとは言えないけど、離婚しないから幸せかっていうとそうでもないだろう?」
亜由美は何かに思いあたったようだ。
「離婚しないから幸せか?・・・・、そうだね。幸せじゃない。今の私がそれ。私、毎日学校から帰りたくないって思うの。いがみ合ってる両親を見たくないから。お母さんはいつもぶつぶつお父さんの悪口を言う。お父さんは怒鳴るとものすごい声を出すの。それが怖くて自分の部屋へ入ってガンガンに音楽を聴いてる」
亜由美がそんな生活にしがみついていると知り、すみれもショックを受けた。
「夫婦が別れても亜由美のお父さんとお母さんに変わりはないんだ」
糸屋のおやじは不満げに見ていた。あと少しで赤い糸が売れそうだったから。
そんなおやじにレオンは一瞬だけ、龍の顔を見せた。亜由美に気づかれないようにだ。
すると、おやじが震え上がり、シャキッとした。
「えっと、ああ、そうだね。修復のできない夫婦にはこの赤い糸はだめだろうね。それじゃあ、二人がそれぞれの道をいくけど、ある程度の距離を保ちながら一緒に人生を歩いていけるように運命の糸を巻いてやろうか」
「そんなこと、できるんですかっ」
「あ、うん、まあね。お嬢ちゃんの糸も一緒に巻きつけると三人はいつもいい関係でいられる」
「ってか、最初からそういう糸でいいじゃん」
レオンが吐き捨てるように言う。おやじはレオンが怖いらしくチラチラ見ていた。
「この青いのがお父さん、黄色がお母さん、そして緑が君だよ。一本の棒に三色が重ならないように均等に巻いていく」
三色が並んできれいな模様になっている。
「こうすることで、お互いがぶつからず、離れることもしないで、自分の人生をうまく歩いていけるっていう巻き棒だよ」
「それならもしかするとうまくいって別れなくてもいいかもね」
「だよな。でも赤い糸の方が値段が高いんだ。亜由美がすごく悩んでいるから、そこに付け込んで売りつけようとしたんだよなあ。おっさん」
レオンが意味ありげに笑う。おやじは何も言えない。
「ああ、そうだ。これはもう相談料だけでいいよ」
「えっ、いいんですか」
亜由美はおやじに頭を下げた。嬉しそうにその棒を受け取り、大切にカバンにいれた。
《赤い糸はすっげえ強力なんだ。小指をがんじがらめに縛りつけるらしい。それで糸の量が半端じゃない》
《へえ、この棒に巻き付いてる糸は三色だけど三十センチもないもんね≫
《そう、こういう悪い奴もいるってことだ》
「おい、亜由美、先に喫茶ミリアで待ってろ。莉緒を見つけたら帰るから」
「うん」
亜由美はもう満足した表情で、店の方へ歩いていった。