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93 この場にいたくない

 四方館ここを利用してもうすぐ1年になる。


 ……だというのに、すっかり落ち着き馴染んだこの場所が、まったく違う空間のような錯覚に襲われる。

 祀莉はまるで招待された客のように畏まってソファーに座っていた。



 下を向いていた顔をゆっくりと上げる。

 机を挟んだ向かいのソファーには、桜がお行儀よく座っていた。

 祀莉と目が合うと穏やかに微笑んでみせた。


(……)


 要はというと、いつもは祀莉の隣に座るのに、今日はなぜか1人用のソファーに腰掛けていた。

 これも違和感のひとつだった。

 1人で座るソファーがとても広く感じた。

 それと……


(沈黙が息苦しいです……)


 かといって祀莉からは何を話せば良いのか分からない。

 やっぱりここは桜がこの場にいることについての説明を求めるべき?

 でも……聞きたいような、聞きたくないような……。




 様子を窺っていると、桜と要がお互いに目配せをして頷いた。


(あぁ、やっぱり……)


 すぅ……っと背中に冷たいものが走った。

 いつだったか似たようなシチュエーションになったことがある。

 あの時は「もしかして、婚約破棄のお話?」とドキドキしていたのに、今は全く逆の気持ちだ。



「祀莉、この状況を見て分かっていると思うが……」

「!」


 要が重苦しく話し始めたので、“とうとう来た……っ!”と祀莉は身構えた。





「──もうすぐ試験だ」

「はい…………──え? 試験……ん? え?」


 耳にした言葉に疑問を抱き、理解した後にもう一度首を傾げる。

 要は一度、桜に視線を送り、そして……


「鈴原だが……今日から放課後、四方館ここでお前の勉強を見てもらうように頼んだ、良いな?」

「……」


 良いなと言っているが、祀莉に拒否する権利はない言い方だ。

 桜はにっこりと笑って「そういうわけで、よろしくお願いします」と会釈した。






 そろそろ1年最後の試験。

 バレンタインから急に現実に引き戻された。


「あの、要は……? また何か用事が?」


 前回は放課後に用事がある要の代わりに桜が勉強を教えてくれた。

 ということは、今回も用事があって祀莉の面倒を見れないから、桜に頼んだのだろうか。


「いや、俺も一緒にいる」

「え?」



(なら、どうして……?)


 不安げな視線を送る祀莉から要はす……っと目をそらした。


(……っ!!)


 こんな風に突き放されたのは初めてだ。

 昨日から要との間に気まずい空気が流れているのは承知している。


(昨日……といえば──あ、もしかして桜さんと一緒にいたくて?)


 祀莉の試験勉強を口実に桜を四方館へと招いたのではないか……。

 そんな風に思ってしまい、もやもやとした気持ちが胸の中に広がる。

 ついでに昨日のことも思い出してなんだか余計に決まりが悪い。



「でも……桜さんの迷惑なんじゃ……」


 桜を気遣うセリフだが本当は違う。

 この場所に……祀莉と要だけに与えられたこの場所にいて欲しくないだけ。




「いえいえ、大丈夫です。私も静かに勉強できる場所が欲しかったんです」


 祀莉が秘めた意味など知らず、桜は明るく言う。


「家だと樹がくっついてくるし……。かといって教室だと全然集中できないし……図書室や食堂に場所を変えたところで意味ないし。本当、邪魔で……勉強どころじゃないっていうか…………なんでついてくんのよ」



 桜の眉間に皺が寄っていく。

 最後の方はぶつぶつと独り言のように呟いていたが、呆然と見つめる祀莉と要に気づいて我に返った。


「ああっ! でも私、北条君と一緒に勉強してみたかったんですよね!」



 表情をぱっと切り替えて明るく言った桜に、祀莉は“やっぱり……!”と心の中で叫んだ。

 桜は要と一緒にいたくてここに来たのだ。

 建前上は試験勉強。

 しかし本来の目的はお互いに会うためだった……と。





「さあ、祀莉ちゃん。頑張りましょう! ノートと教科書を出してください」

「……はい」

「大丈夫ですよ。ちゃんと勉強すればいい成績がとれますから!」


 陰鬱な面持ちで返事をした祀莉を励ますように桜は言った。

 気乗りしない態度を、テストの自信がないからだと勘違いしているのだろう。



「では、このページから解いてみましょうか」

「はい……」


 指示された問題集のページを開く。

 祀莉は復習を兼ねてテスト範囲内の練習問題を解くこととなった。





「あ、北条君ちょっと良いですか?」


 高難易度の問題を解いていた桜が立ち上がって、要がいる場所へと教科書を持って移動した。

 要は嫌な顔ひとつせず桜の質問に耳を傾けていた。


 念願のツーショットが見れたというのに祀莉は顔を背けた。

 今は見たくない。

 2人の会話も聞きたくない。



 ──この場にいたくない。



 だからといって祀莉がここから去った後、2人きりにしてしまうのも嫌だった。

 自分がこんな風に感じる日が来ようとは思いもしなかった。


(……もう! どうしてこんな……っ)


 祀莉は小さく頭を振る。

 そして目の前の現実から逃げるように勉強に集中した。







 祀莉が完全に問題集へと意識を集中させた頃、スッキリした顔で桜はテキストを眺めていた。



「ありがとうございます、北条君。やっと理解できました」

「……別に」


 お礼を言う桜に要は素っ気なく答えた。

 満足した表情で祀莉の正面に戻った桜は、気合いを入れて次の問題にとりかかった。


「いやぁ〜どうしてか数学だけは北条君に勝てないんですよね〜」

「……ふん」

「まあ、文系は私の方が勝ってますけどね〜」


 ふふ〜と笑いながら、もとにいた場所に座り直した。

 今のところ、特待生としてトップはキープしている。

 それでも気を抜けば追い抜かれてしまいそうなほど、要とは僅差だ。


「確実に勝つために、ぜひ数学の勉強方法を盗ませてもらいたいですね!」

「……勝手にしろ」


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