92 怒濤のような放課後
放課後が近づくにつれ、少しずつバレンタインを意識し始める空気が流れ出した。
休み時間になると、女子と男子はそれぞれグループを作って固まり、会話に花を咲かせている。
会話はただの世間話だが、ところどころに“お菓子”やら“甘いもの”などという単語が聞こえてくる。
チラチラと周囲に視線を巡らせ、様子を伺っているのが丸わかりだ。
不自然極まりない……。
そして、放課後はすぐにやってきた。
怒濤のような放課後──と後に囁かれたその光景は目を疑うものだった。
ホームルームが終わると同時に教室に女子生徒が流れ込んできたのだ。
1年生から3年生まで学年問わず。
ライバルを押し退けて我先にと目的を果たそうと必死な形相で訪れる女子生徒たち。
手にはもちろんバレンタインの贈り物を携えて。
(やっぱり要はモテるんですね……)
これから諒華の言っていた“チョコの山”ができあがるのだろうか。
本当にそんなことがありえるのかちょっと見てみたいので、祀莉は自分の席からことの成り行きを見守ることにした。
(…………あら?)
しかし教室を訪れた全ての女子生徒は、要を通り越していった。
どこへ行くのかと思えば、彼女たちはその奥にある貴矢の席へと群がっていった。
「え……」
「うっわあぁ……」
祀莉が驚きに目を見開いていると、諒華がどん引きの声を出した。
「……諒華、あれはどういうことなんでしょうか?」
「あれは……そうね、北条君には祀莉がいるから標的を秋堂君に移したってところね……」
「え? わたくし? というより標的って……」
目の前で起きている現象を諒華が冷静に分析して祀莉に説明した。
朝の平穏が嘘であるかのように、教室には熱気が漂っていた。
標的になってしまった貴矢は次々と押し付けられるプレゼントに戸惑っている。
逃げ出したいと顔に書いてあるが、残念ながら女子生徒に囲まれて身動きが取れない。
珍しく困った顔をしていた。
貴矢が受け取ってくれるまで諦めない女子生徒もいれば、そっと机に放置していく女子生徒もいた。
同じように放置する生徒が増え、だんだん上へ上へと積み上げられていく。
見る見るうちにチョコの山が出来上がった。
(こ、これが例の……)
「祀莉、いくぞ」
「え?」
諒華と一緒にその惨状を眺めていると引き上げるように腕を掴まれた。
椅子から腰を浮かした状態で見上げると、要の不機嫌な顔が目に入った。
「なんだよ、気になるのか?」
あれが……と要は視線で貴矢を示して言った。
「はい、まぁ……い、いえっ! 秋堂君が助けてほしいと熱い視線を送ってきてますので!」
気になると言えば気になるので、素直に肯定するとさらに吊り上がった目で睨まれてしまった。
急いで訂正するが、貴矢が必死にこちらにSOSを送っているのは本当だ。
「……その、助けてあげなくて良いんですか?」
「別に。俺には関係ない」
女子生徒の合間を縫って送られる視線に無視を決め込む要。
貴矢は声を出さずに「この薄情者!」と口を動かしていた。
……だんだん可哀想になってきた。
「助ける必要なんてありませんよ」
要の背後から顔を出した桜が「自業自得です」と苦々しい表情で言った。
貴矢の席付近は順番待ちの女子生徒で埋め尽くされている。
周囲の席に座っていた生徒は巻き込まれないように避難していた。
「私もそろそろ帰るわ。まだ増えそうだし……」
諒華が席から立ち上がる。
教室の外にはAクラスに入る勇気がない女子生徒がこそこそと中を窺っていた。
「去年もこんな感じだったんですか?」
女子生徒の群れを呆れた様子見ていた桜が疑問を口にする。
「いいえ。去年はもっとマシよ。北条君と秋堂君で分散してたし、チョコを渡すのは放課後だけなんて注意はなかったしね」
昨日の注意事項で放課後以外にチョコを出したら没収と言われていたらしい。
それだけは絶対に阻止しなくてはと律儀に注意を守っていたのだ。
逆に言えば放課後にしか渡すチャンスがない。
ライバルを減らすために目を光らせていた生徒も多数いたというのも後から聞いた。
とにかく、標的が下校してしまう前に渡してしまわないと、せっかく用意したチョコの意味がなくなる。
それは必死にもなるだろう。
(学園の注意が裏目に出たみたいですね……)
「災難だったわね、鈴原さん。大丈夫……今だけだと思うから」
「え? い、いえっ、全然気にしてませんから!」
諒華の労いに桜は大きく首を振って否定した。
しかし隣の桜の席はもろに被害が出ている。
貴矢の机に乗り切らなかったチョコが、隣の桜の机に置き場所を広げていた。
第2のチョコの山の置き場となっていた。
(ここまでとは……)
途切れることのないプレゼント攻撃は凄まじい。
貴矢に哀れみの視線を送っていると、掴まていた手がぐいっと引かれて立たされた。
「あいつのことは放っておけ。ほら行くぞ、大事な話がある」
「え? 大事な話ってなん──」
「さ、行きましょう祀莉ちゃん」
「私も途中まで一緒に行くわ」
要の“大事な話”について聞き返そうとしたが、桜と諒華に遮られて教室を出ることになった。
人が集まっているのはAクラスの周囲だけだったようで、教室から離れると普段と変わらない風景に戻っていった。
微かに甘い匂いが漂っている。
廊下の隅で複数の女子生徒がチョコレートを交換していた。
これくらい穏やかなバレンタインだったら良かったのに。
途中まで一緒だった諒華が「じゃあね」と昇降口へと向かった。
祀莉も「さようなら」と挨拶をして、いつものように四方館へと足を向ける。
……と、ここで違和感が一つ。
この先は四方館しかない。
特別教室があるが放課後は特別な許可がないと開放されていない。
なら、どうして……──
(どうして、桜さんもついてきているんですか──!?)
祀莉と要が並んで歩く後ろに桜がいる。
気づいていないはずはないのに要は何も言わない。
桜の同行を認めているのだろうか。
(というより……もしかして要が桜さんを呼んだ……?)
──大事な話がある。
脳裏を掠めるのは要が発した言葉。
(ま、まさか……)




