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86 お互い、頑張りましょうね

「あ、北条君が来たみたいですね」


 桜がリビングに備え付けられているインターホンを見て言った。

 そのモニターには確かに要の姿が映し出されている。


(もっと愛想のいい顔をしていれば良いのに……)


 笑顔で……とまでは言わないが、せめて柔らかい雰囲気を出してほしい。



「出迎えてきますので、祀莉ちゃんも準備して来て下さいね」

「はい」


 桜が階段を下りて玄関へと向かっていった。

 祀莉は急いでコートを着てマフラーを巻いた。

 早くしないとまた遅いと要に怒られそうだ。


(あ、でも桜さんは少しでも長く要と一緒にいたいのでは……?)



 嬉しそうに出迎えにいった桜の表情を思い浮かべる。


 祀莉に対して宣戦布告したのだ。

 心を決めたのだろう。

 桜の行動で、要の様子がどう変わるのかも観察しなくては。

 自分に好意を寄せられると知ったら、要も桜を見る目が変わるかもしれない。



(わたくしがそうだったように──……いえ! あれは違うんですっ!! 違うんですってば!!)


 余計なことを思い出してしまい、意味もなく1人で慌てる。

 どうにかそれを打ち消したくて、頭を横に振りながら心の中で何度も否定を繰り返した。





「祀莉ちゃ〜ん! どうしました〜? お迎えですよ〜」

「ふぇ……っ!? あ、はい!」


 せっかく気を利かせようとしていたのに、すぐに呼ばれてしまった。

 返事をして1階へ下りると、玄関で向かい合っている2人の姿が見えた。


「今日は一緒にお菓子作りしてたんですよ〜」

「そうか」


 和気藹々……とまでは言わないが、それなりに親しく話している。

 邪魔しないようにそっと近づくと、祀莉の気配に気づいた要と目が合った。


「やっと来たか。帰るぞ」

「はい」


 祀莉が2人の前まで進み出ると、要が手を差し出す。

 無意識にその手を取ってしまった。


(あっ! やってしまいました……!)


 抵抗してもどうせ最後には無理矢理引っ張られるのだから、逆らわずに自分から繋ぎにいった方がまだ気持ち的にマシだ。

 そう学習して幼い頃から体に染み付いてしまっている。


 高校生になったのだからやめないと……と、何度も思ったのだが、無意識下にそうしてしまうので、どうしようもできない。

 気づいたら手を引かれているのがお決まりのパターン。


(こんな時にまで!)


 もっと早くこの癖を直しておけば良かったと後悔。




 桜を見ると無表情で繋がれた手を見つめていた。

 なんとも視線が痛い。


「あの! か、要、離してく──」

「祀莉ちゃん」

「はいぃっ!」


 離してほしいと懇願しようとしたと同時に桜に呼びかけられて、動揺まる出しで返事をしてしまった。


「鞄、忘れてますよ?」

「かばん…………あっ! すみません、すぐに取ってきます!」


 要の手を振り払うようにしてほどき、くるりと背を向けて階段を駆け上がった。

 桜の声に怒りはないが、祀莉には裏の声が聞こえたような気がした。

 ──離れて下さい……と。


(ちょっとオーラが怖かったです……)


 ライバルとして、もっと対向すべきなのだろうか。

 しかし小心者な祀莉には、それに対向する精神を持ち合わせていなかった。

 あれだけ散々準備して意気込んでいたのに、いざという時に全く力を出せないという残念な状況。


(もっとうまくできたら良いんですけど……)





 鞄はリビングの入り口に置き去りにされていた。

 他に忘れ物はないかと見回して、再び階段を下りる。


(…………ん?)


 2人が険しい顔つきで何か話している。

 祀莉がいる場所からは聞こえるようで聞こえない音量。


 声を掛けるべきか、そっとしておくべきか。



「祀莉」


 考えながら様子を伺っていると、要の瞳が桜を通り越して祀莉を捉えた。

 目つきがいつにも増して鋭い。


(ひぃ…………っ)



 本能が告げている。

 ──逃げろ、と。

 正直、すぐにでもここから逃げ出したい。

 しかし逃げる場所もなく、たった1つの出口は要によって塞がれている。



「早く来い」


(ぅ…………)


 逆らうともっと怖いということも体に染み付いている。

 せめてもの慰めに、鞄を盾にするように胸の前で抱きしめて、ビクビクしながらゆっくりと桜の隣まで足を進めた。



「祀莉ちゃん、ごめんなさい」


 桜が申し訳なさそうに祀莉を見て言った。


「やっぱり北条君には言っておいた方が良いかもって……」

「言うって、あの……何をですか?」

「ショッピングモールでのことです」

「……っ!」


 ショッピングモールでのこと……つまり、祀莉が桜に迷惑をかけたことがバレてしまった。


「鈴原が言っていることは本当なのか?」

「い、いえ、その…………きゃうっ」


 鋭い眼光にたじろいで後退しようとするも、鞄を抱える手を掴まれて要の方へと引き寄せられた。

 顔を近づけながら質問する要の迫力は恐ろしくて、震えていた体が今度は固まってしまった。


「北条君、おさえてください。祀莉ちゃんだってすごく反省したんですから……。ね?」


 桜が要の肩に手を置いて優しく諭した。

 祀莉を庇う姿は天使のようだが、そもそもの原因が彼女だということを忘れてはいけない。

 きっとこれも桜の作戦のうちだ。


(“迷惑をかけられたけど、私は大丈夫です”という、健気で優しいヒロインアピールですね!)


 桜の計算高さに感心した。

 しかし……何をどう言ったかは知らないが、もう少しソフトに伝えてほしかった。

 要が怖すぎると祀莉が固まって悪役令嬢として立ち回れなくなる。

 今だって何も言えなかった。





「…………もう良い。帰るぞ」


 要は諦めたようにため息をついた。

 桜の言葉を一応は聞き入れてくれたようだ。


(言いたいことはたくさんあるって顔をしてますが……)


 口では言わない分、視線で訴えてくる。

 その視線から逃げるように下を向いて靴を履いた。



 祀莉がちゃんと靴を履いたのを確認した要は、玄関の扉に手をかけた。

 少し開いた扉の隙間から冷たい風が入り込む。

 玄関の外は思った以上に寒そうだ。


「今日は悪かったな、鈴原」

「いえいえ、楽しかったですよ。また来て下さいね」


 要が祀莉の代わりにお礼を言い、桜は笑顔で答えた。


(え〜っと……、今のは要に言ったんですよね……?)


 要と会話した後に祀莉にも視線を寄越したので、桜の真意が読み取れなかった。


「それと、祀莉ちゃん」


 ちょいちょいと手招きをしているのを見て、何か忘れ物でもしてしまったのかと慌てて駆け寄った。






「お互い、頑張りましょうね」





 祀莉だけに聞かせるように、口の横に手を添えてそう囁いた。


「え……? あの、」

「祀莉!」


 反応が遅れて返事に戸惑っていると要に呼ばれた。

 早くしろ、という意味が込められていると瞬時に理解する。


「はい! すぐ行きます! 桜さん、失礼しますね!」

「気をつけて帰って下さいね」


 閉まる扉の向こうで桜は笑顔で手を振っていた。



(今のはどういう意味なんでしょう……?)


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