84 こんなの……ただの“セリフ”ですのに……っ
桜の家はショッピングモールから徒歩で5分ほどの距離だった。
(前に桜さんが話していた通り、本当に近い! 羨ましいです……)
距離的に要のマンションと同じくらいだろうか?
と、考えているうちに桜の自宅へ到着した。
「お邪魔します。あ、今日はご両親は? ご挨拶しないと……」
「今は父も母もいないので気にしないで下さい!」
「そ、そうですか」
桜のご両親にちゃんと挨拶しなくてはと緊張していたのだが、どうやら今日は不在だったようだ。
「ただいま〜!」
祀莉の横をすり抜けて、樹が中へと入っていった。
「あ、樹! ちゃんと手を洗ってね!」
「は〜い」
「桜さん、わたくしも手を洗わせてもらってもいいですか?」
「もちろん。今樹が入ったところが洗面所です。コートと鞄、預かりますね」
「お願いします」
祀莉も脱いだコートと鞄を預けて、手を洗うために洗面所へ行った。
台に乗った樹が真面目に手を洗っていたので、「偉いですね」と言ったら祀莉に向かってにこっと笑った。
(はぁ……やっぱり樹君は可愛いですね!)
癒される……。
姉の言うことをちゃんと守っている樹の姿を見てつくづく思った。
祀莉も手を洗い終えると、待っていてくれた樹に手を引かれた。
キッチンとリビングは2階にあるそうで、祀莉は樹に案内されて階段を上っていった。
「こっち〜」
樹の後に続いて、リビングを通り越した先のキッチンに入る。
そこには、チョコペンをお湯の入ったコップで温めている桜の姿があった。
「では、クッキーにチョコペンで飾り付けしましょうか」
桜が焼いたクッキーがテーブルに並べられている。
色んな形があってとても美味しそうだった。
桜は温めておいたチョコペンを祀莉に渡す。
「はい。祀莉ちゃん、どうぞ。好きな形のクッキーにお絵描きして下さいね」
「はい!」
これがデコレーション用のチョコペン……と感動した。
そしてふと疑問に思ったことがあった。
「あの、どうしてお湯に……?」
「そのままじゃ固くてチョコが出てこないので、柔らかくしたんです」
「へぇ……」
比べてみて下さいと、まだ湯煎していないチョコペンを渡されて、なるほどと納得した。
確かに固い。
(これじゃあ、お絵描きは無理ですね……)
柔らかくしてもらったペンで、樹と並んでクッキーを飾り付けた。
星形のクッキーを縁取るようにチョコを塗る。
(むむ……意外と難しいですね……)
思っていたよりも簡単ではなく、上手にはいかなかった。
樹も描くというよりは、適当に塗りたくるという感じなのだが、本人は楽しそうだ。
「祀莉ちゃん。前から訊きたいと思ってたことがあるんですけど……」
「はい、なんですか?」
2人を見守っていた桜が話を切り出した。
今、手元から目を離すと失敗しそうなので、祀莉はチョコを塗りながら返事をした。
「祀莉ちゃんって北条君のこと、どう想ってるんですか?」
「え……、えぇ!?」
驚いて持っていたチョコペンを強く握ってしまった。
せっかく綺麗にできていたのに。
勢いよく出たチョコがクッキーからはみ出て、ちょっと不格好になった。
しかし、そんなことよりも桜の質問の方が重要だ。
問われた祀莉はこれ以上ないほどに動揺していた。
「さ、桜さん、それはどういう……?」
「祀莉ちゃん自身はどうなのかな〜って……。北条君のこと、好きなんですか?」
「な……っ!」
ストレートに質問された祀莉は困惑のあまり言葉が出なかった。
桜の真剣な眼差しに耐えられず、視線をさまよわせる。
「わたくしは……その……も、も……」
──もちろん好きです。ですから手を出さないで下さいね。
……と牽制するのが、ライバルとしての役目だ。
そう理解しているが──
(要のことが好き!? そ、そんなこと! 口にできるわけないです……!)
いざ言おうとしても、それ以上言葉にすることができなかった。
緊張で体が震える。
体温がどんどん上昇している。
恥ずかしさでどうにかなりそうだ。
(なんで、こんなの……ただの“セリフ”ですのに……っ)
自分の声すらもかき消すほどに、心臓の音が大きく体中に鳴り響いている。
「祀莉ちゃん?」
「は、はいぃ……っ!」
緊張状態で声が裏返る。
咄嗟に両手で口を押さえた。
「あ……すみません。困らせてしまいましたね」
「いえ……」
「……難しいですよね、告白って……」
桜はそわそわした様子で、まだ封を切っていないチョコペンを手に取る。
それを右手、左手と交互に掴んで弄びながら、ぽつりぽつりと話しはじめた。
「タイミングとか……。うまくいかなかったら、その後どういうふうに振る舞えば良いのかとか考えちゃって……」
「えっと……」
「なんとなく好かれているのかなって、そう思う瞬間はあるんです」
(これって、まさか……)
まだパニックになっていた頭では何の話をしているのか理解できなかったが、少しずつ状況を把握できるようにはなった。
桜は要のことを話している。
しかも好かれている自覚があって、告白のタイミングを伺う様子も見える。
相手の名前を明かさず、相談しているように見えるが……どう考えてもこれは祀莉を牽制している。
(つまり……今までの話は前置きで、本題はこっちということですね)
ようやく話の要点が理解できた。
変な前置きなんてしなくて良かったのに。
唐突に言われても、それはそれでパニックになっていたかもしれないが……。
やっぱりタイミングと心の準備は大事だと思った。
「あ〜〜でも、それが勘違いだったら気まずいし……同じクラスだとなおさら……」
「大丈夫だと思いますよ? うまくいかないなんて、そんなこと……ないと思いますよ?」
「祀莉ちゃんが見てて分かるなんて、相当なんですね……。分かりやすいですか?」
桜は照れたように笑っていた。
まさに“ヒロイン”という名に相応しい表情。
「分かりやすいというか……」
だって……それが運命なのだから。
──物語は確実に進んでいる。




