71 もう黙れ
要が桜を好きになる。
桜も要を好きになる。
そして2人は結ばれる。
それが運命で、決められた未来なのだ。
──誰にも変えられない物語。
なのに要が桜に惹かれないとはどういうことだ?
「ましてわたくしのことが好きだなんて世迷い言を……」
「人の告白を世迷い言呼ばわりするな!」
「うぐっ」
現実と向き合うことができず、心の言葉を漏らした祀莉にまた要の手が伸びた。
顔を固定されたかと思ったら両頬をつねられていた。
やっとこめかみの痛みが治まったというのに、今度は頬の痛みでまたもや悲鳴を上げる。
頬を摘んでいた手にぎゅーっと外側に引っ張られた。
「いひゃ、いひゃいれすっ」
「…………ふんっ」
痛みを訴えるとすぐに離れたが、後からじわ〜っと痛みが侵食してくる。
(うぅ……これも地味に痛いです……)
「言っておくが、婚約を解消する気はないからな」
「え……でも桜さんは……」
「なんでそこで鈴原が出てくるんだよ」
「桜さんは要が好きで……」
「そんなはずないだろ。さっきからなんで鈴原のことばっかり……お前は鈴原が俺を好きだと本人から聞いたのか?」
何かと桜のことを持ち出す祀莉に、今度は要が質問した。
「え……そ、それは……」
……聞いたことは、ない。でも──
(決まってることですし……)
上手く説明する方法が思いつかずもごもごと口ごもる。
「その反応は本人から聞いたわけじゃないな」
「う……」
「なんでお前がそんな風に勘違いしてるのかが分からねぇ」
「だから、それは……その〜、え〜っとぉ……」
祀莉が考えていることを要にいったいどう説明すれば良いのか。
実は自分には前世の記憶があって、その時に読んだ小説の中で2人は最終的に結ばれるんです!
……なんて言えるはずもない。
落ち着きなく指を絡めてシドロモドロな祀莉を見て要は眉をひそめる。
「お前、何か隠してるだろ? ……まさか、本当に貴矢に惚れてるんじゃ……」
「はい? なに言ってるんですか?」
突然、要の口から貴矢の名前が出てきたことを不思議に思い、目を丸くした。
彼とは本来なら協力関係にあってもおかしくはないが、祀莉が要と桜をくっつけようとしている以上、桜を狙っている貴矢は祀莉にとっては敵に等しい。
(わたくしが秋堂君のことを……?)
思わず笑いがこみ上げてきた。
「ふふっ、わたくしが秋堂君が好きだなんて、どこをどう見たらそう思うんですか? 勘違いにも程がありますよ、もうっ! いい加減にして下さい!」
「……」
祀莉が言った言葉をそっくりそのまま返してやりたいと要は心底思った。
こっちの方こそいい加減にしてほしい。いや、本当。
思い込んだら一直線なところは今も健在で、何を言っても無駄であることは承知している。
祀莉が何を考えているのかまでは分からないが、とんでもない勘違いをしていて、それを訂正するのは簡単ではないことは理解した。
「とにかく! 俺は鈴原のことなんて何とも思っていない!」
「わ、分かりませんよ、そんなこと! もしかしたらある日、急に心変わりするかもしれませんし!」
本来なら桜と初めて会った時にそうなるはずだったのに、期待通りの展開にはならなかった。
それは自分がタイミングを逃してしまったせいだと思っている。
だからこそ挽回しようと色々と画策していたのに、なぜか失敗に終わっている。
それは本当に要が祀莉を好きだったからだとでも言うのか。
だとしても——
「要がわたくしを好きだなんて信じられません……」
「なんでだよ」
「急にそんなこと言われても……」
「……っ、確かに言葉にしたのは初めてだが、その、なんていうか……お前に対する接し方とか……」
自分で言っておきながら、みるみる要の顔が赤くなっていく。
そんな要の様子を気に留めることなく、祀莉は彼が発した言葉について考え込んでいた。
(“接し方”……それは好きな子に対する接し方ってことですよね? え? そんな態度、今までありました?)
よ〜くよぉ〜く思い出してみる。
熟考してみる。
それらしい記憶がないか必死に回顧する。
……意地悪されている記憶しかない。
そのインパクトが強すぎて覚えていないだけ、という可能性もないわけではないが、しかし好意的な接し方をされたら、それはそれで衝撃的なので覚えていないというのもおかしな話である。
「あの〜失礼ですが、いつ……? どこで……?」
「……いつも手を繋いだり」
「手を繋ぐ……? わたくしを強引に引っ張っているのでは?」
「違ぇよ! 放課後、一緒にいるだろ?」
「要も四方館が気に入ってるんでしょう?」
「なんでそうなる! デートもしてたじゃねぇか!」
「え? デート?」
「…………ケーキ食べにいった時とか」
「ケーキ……あぁっ! 強引に引っ張られていったときですよね? あれは桜さんとのデートの下見かと思ってました」
「お前……その時期から俺と鈴原のこと……」
次々と発覚する祀莉の謎の解釈。
散々な言われ様に、これ以上何を提示しても斜め上な返答が返ってくることが予想できたので、早々に見切りを付けて要は諦めた。
今までのことも、こんな風に祀莉の中で改ざんされて伝わっていたのだろうと思うと切なくなった。
「俺は……今まで……」
自己憐憫の感情に浸っている要を見て、祀莉は気まずそうに目を逸らす。
まさか今までの行動が好意からきていたものだったなんて。
しかも桜関連だと思っていたことがまったくもって的外れだったなんて。
いくら好意を示しても本人が気づいていないのでは意味がないのと同じだ。
もっとそれらしく振る舞わないと相手に気づいてもらえるわけがない。
——と、自分の鈍感さを棚に上げて心の中で説教じみたことを思っていた。
(要も悪いんですよ! すぐ怒るし引っ張るし顔も恐いですし!!)
「祀莉……」
「は、はい!」
心の中で悪態をついていたタイミングで名前を呼ばれたので、思わず姿勢を正して返事をしてしまった。
動揺して変に緊張している心を落ち着かせなくては。
要が顔を上げ、祀莉をまっすぐ見つめる。
「今更どう言ったって俺たちは婚約してるんだ。逃げられねぇぞ?」
「いえ、逃げるも何も要がわたくしを疎ましく思うように──」
言葉が途中で紡げなくなった。
突然に視界が暗くなって、唇に柔らかい感触。
一時的に思考が停止し、何が起きているのか分からなかった。
(………………え? えぇっ!?)
要にキスをされたと理解した頃には唇は開放されていた。
それでも要の顔は鼻先が触れるほどに近くで留まっている。
「ならねぇよ。まずその考え方を改めろ」
祀莉の発言を咎めるように、コツンと額で額を小突かれた。
驚いて身を引こうとするが、いつの間にか肩に置かれていた手で身動きが取れなくなっていた。
心臓がうるさいほどに体中に鳴り響く。
「ふぇっ、な……ななっ、なにを……その考え方って……っそ、それより! 近いですっ」
「うるさい」
「んっ」
もう黙れ、と言うように──しかし優しく唇を塞がれた。




