06 ここは……なんですか?
祀莉は困惑していた。
その原因は自分の手を引っ張りながら前を歩く、幼馴染み兼婚約者の北条要。
ようやくヒロインと出会えたというのに、何をやっているんだろうか。
桜を案内しないどころか、控え室にも行こうとしない。
ヒロインと2人っきりになれるチャンスをこうもあっさり破棄するとは……。
その足取りは一切の迷いがなく、昇降口からどんどん遠ざかっていく。
目の前には鮮やかな花が彩る花壇が並んでいる。
まるで公園のような中庭を横目に通り過ぎ、校舎沿いにまだ進んだ。
(さっきの場所は中庭で合っているのでしょうか……?)
黙々と歩く要。
案内してやる、と言った割にはまったく説明をする気がないようだ。
“校舎の外を散歩する”と言ったのは、窓の外にいてもし見つかったとしても、散歩中でしたと言い訳するために言っただけ。
本当に校舎の外を歩かされるとは思わなかった。
余裕を持って登校したので入学式までにはまだ時間がある。
生徒たちは自分の教室を確認したり、校内を探検したり、すでに講堂で待機して式が始まるのを待っているだろう。
要は新入生代表の挨拶を任されているのに、こんなところでウロウロしていても良いのだろうかと心配になる。
「あの、要。散歩はもう良いですから、講堂か教室に行きませんか?」
「もうすぐ着く」
「……」
質問に対しての答えが返ってこなかった。
精一杯の勇気を振り絞った祀莉の言葉を無視して要は歩き続ける。
いったいどこに着くというのだろうか。
何度もしつこく聞くと無言で睨まれることをよく知っている祀莉は、黙って後に続いた。
「ここだ」
「ここは……なんですか?」
学園の敷地内にあるとは思えない、豪華な作りをした施設だった。
要が言うには限られた者だけが使用できる四方館だそうだ。
(そんなものがあるとは聞いてましたが、まさかこれだとは……)
この四方館はその昔、西園寺を始めとする四大資産家の北条、東大寺、南条がそれぞれ資金を出して作ったという。
その親族の人間にのみ使用が許可されている建物。
建てられた当時は四方の館と呼ばれており、今もでもそう呼んでいる教師や卒業生がいる。
去年は南条家と東大寺家の生徒が好き勝手に使っていたが、2人が卒業したので今年利用できるのは祀莉と要だけである。
この施設に入るにはIC機能つきの学生証が必要だと教えてもらった。
他の生徒も入れるが、祀莉か要の許可が必要だ。
すでに発行されている学生証で要は四方館のロックを外した。
「まぁ……」
中はまるでホテルのようだった。
一目で高級だとわかるソファーに、大型のテレビ、そして最新のパソコン。
奥にはキッチンスペース。
それに大きな冷蔵庫まで備え付けられていた。
「何か欲しいものはあるか? 在学生が自由に物を置いて良いらしいぞ」
「いえ、特に。これだけあれば充分……あ」
ひとつだけ欲しいものがあった。
これだけ広いなら置いてもらっても良いだろうか。
「なんだ? 何が欲しいんだ?」
「本棚が欲しいです……」
祀莉は中学になってから、少しずつだが1人で家を出かけることを許してもらえるようになった。
小学校では学校と家を車で往復するだけ。
勿論、友達なんていなかったから遊びになんか行かない。
無理矢理、要の家に連れて行かれる程度だ。
最近になってやっとひとりで自由に買い物ができるようなった。
祀莉の目的はただ一つ、読みたい漫画と小説を買うことだった。
さらには、アニメのDVDやグッズまでも手を出そうとしたが、問題なのはその収納場所だった。
今まで買った本は部屋の本棚にしまってある。
奥行きのある本棚の奥側の列にこっそりと。
もちろん見えないようにカモフラージュとして参考書や辞書を表にならべている。
本を買ったは良いが売ることも捨てることもできず、溜まっていく一方だった。
数ヶ月に2、3冊程度だったものが、だんだんと買う量が増え、そろそろどうにかしないと、と思うほどに本棚のスペースを占領してきた。
祀莉が漫画、小説を好きだということは、要にはすでに知られている。
中学で思わぬ失態をやらかして、要にバレた時はどうなることかと思った。
しかし、それ以降なぜか彼は祀莉に協力してくれるのだ。
発売日近くになったら本屋に行かないか?と向こうから誘ってくるようになった。
家の人間も、要とならと外出の許可を出すので、ここぞとばかりに最大限に利用させてもらっている。
「——なるほど。部屋にある本をこっちに移すつもりか」
「い、いけませんか?」
「いや、構わない。空いてるスペースに置けば良い。ただし卒業後はここには置いておけない、分かったか?」
「はい」
卒業したら親の許可なしに古本屋に売りにいける。
それまで預かってもらえるならありがたい。
本棚がきたらちょっとずつここに運ぼう。
放課後はここに居座って読書を楽しむんだ。
「テレビもある。好きなDVDが見放題だぞ。……アニメとか」
「いえ……遠慮します」
(テレビを見つけた時、考えましたけど! 考えてましたけど!!)
それはもう是非見たいけど、要と一緒に見るなんてごめんだ。
見るなら要がいない時に1人で見よう。
要はパソコンに近づきスイッチを入れていた。
数秒ほどで立ち上がり、カチカチとマウスのクリック音が聞こえた。
「何をするんですか?」
「ネットで本棚を注文する。来い、お前が欲しいんだろう」
要の肩越しにパソコンの画面を覗き見る。
画面にはすでにネットショッピングのページが開かれていた。
ここまでやってもらえたら、あとは自分好みの本棚を探すだけだ。
要が椅子を横に移動し、くるりと回転させて祀莉の方に向いた。
席を譲ってくれるものだと思い、パソコンと椅子の間に立った——が、
「ひゃぁっ! あ、あれ? 要、あの……」
なぜか祀莉は要と一緒に座っている。
一つの椅子を左右で半分こしているのではなく、深々と腰掛けている要の前に座っている状態だ。
「俺も見る」
「なら、わたくしは隣の椅子に座りますので離してくださ——」
「この机に2つも椅子を並べたら窮屈だ」
「だったら後ろから見てますから」
「うるさい」
「……」
祀莉の体を閉じ込めるように左右から腕が伸びた。
キーボードを叩いて検索欄に文字を打ち込んでいる。
——逃げられない。
すっぽりと要の前に収まってしまい、身動きすらもままならない状況。
抗議しようにも背後からの威圧で振り向くのも怖い。
どちらにせよ、これ以上何を言っても無駄だろう。
早々に諦めた祀莉は、後ろにいる要に体重を預けた。
「……っ」
急にのしかかってきた重さに驚いたのか、一瞬、要の体が強張った。
(背もたれには悪くないですね。……それにしても、いつの間にかこんなにガッシリとした体つきになって……)
小学生のころは身長も体重も変わらないくらいだった。
さすがに6年生の頃には男女の差が出てきたが、それほどでもなかった。
中学は別だったので数ヶ月に1回会う程度。
要を怖がって避けていた祀莉は彼の成長には全く気にもとめていなかった。
要と同じ中学に通っている弟の才雅が言うには、要は全く女の子を自分に近づけさせなかったという。
なのに、今のこの体勢はなんだ。
もしかして、あれは才雅が婚約者である自分に気を使って言ったのではないだろうか。
要も男だ。きっと女性には興味があるはず。
これから桜とのイチャイチャらぶらぶライフを満喫するのだろう。
(さっきもいい雰囲気でしたし……。ふふ、楽しみすぎます……)