66 もうすでに帰りたいんですけど……
緊張の中、祀莉は周囲を見渡していた。
どれだけ注意深く見ても知っている顔はいない。
そもそも知り合いが少ないのだから、見つけるのは確率的にゼロに近いだろう。
(諒華がいるから大丈夫だと思ってましたが、やっぱり知らない人の中では緊張します……)
「そうガチガチにならないの。形だけでも堂々としてれば?」
絡み付く祀莉の手をそっと外して諒華は言った。
言われたとおりにしようにも、やはり緊張で震えてしまう。
祀莉は不安そうな顔で見上げた。
「うぅ、でも……。諒華、パーティーって毎年してるんですか?」
「んーそうね。私が覚えてる限りは毎年開催してるわ」
「では、ほとんどの方は顔見知りですか?」
「まさか。よく家に来る人は挨拶する程度ね。歳の近い子は話したりするけど」
諒華は祀莉と話しながらも目が合った人に会釈している。
こういったことに慣れているんだろう。
堂々としている姿を見て羨ましく感じる。
祀莉も小さい頃から父親について行っていれば、すこしは諒華の様に振る舞えたかもしれない。
(せめて緊張しない程度には慣れていたかもしれません……)
「諒華さん、お久しぶりですわ」
「お招きありがとうございます」
背後から諒華を呼ぶ女性の声が聞こえた。
自分の名前ではないのになぜかビクッと体が跳ねた。
振り向くと複数の女性が、祀莉たちがいるところへと優雅に歩いてきていた。
華やかなドレスを身に纏った同学年くらいの女性たち。
見知った顔がないことからクラスメイトではないことは分かった。
「ごきげんよう」
「お元気でした?」
「えぇ、ごきげんよう。毎年ありがとうございます」
(あ、諒華がお嬢様モードになりました)
名前を呼ばれた途端に余所行きの笑顔を貼り付けた諒華は、恭しく令嬢たちに挨拶を返した。
主催している家の娘なので、こういった対応もしなくてはならない。
諒華を見て祀莉は心の中で感心していた。
(さすがですね……)
彼女たちの挨拶の邪魔をしないように祀莉はそっとその場から距離を置いた。
人の少ない壁際まで移動してほっと一息つく。
慣れない場所で知らない人ばかり。
話しかけられたらどうしようと緊張しっぱなしだった。
(もうすでに帰りたいんですけど……)
いきなりこんな大きなパーティーは難易度が高かっただろうか。
想像していた以上に広くて参加者も多い。
諒華がいるから大丈夫と思っていたが、ずっと祀莉の相手をしていられるわけがなく、今も次々と挨拶に来る令嬢の相手をしている。
(なんていうか……心細いです)
どこかに出掛ける時は必ず要が付いていた。
1人で大丈夫だと言っているのにも関わらず強引に付いてくる。
目的が主に本を買うというものだったから、一緒に行動されると困っていた。
なのに今、要がいないことに不安を覚える。
要がいるから安心して自由に行動できたのかもしれない。
(迷子になっても探しにきてくれましたものね……。でもダメですっ! もう要には頼れません。明日になれば桜さんと──)
そこまで考えて心に変なひっかかりを覚えた。
いつものように妄想を膨らませてトキメキを感じることができなかった。
(……いいえ、今はちょっと。この状況では難しいだけです……)
喉が渇いたので近くのテーブルに並んでいたジュースを手に取って口元へと運んだ。
甘い味が口いっぱいに広がって半分ほど飲んでしまった。
「ごきげんよう、お嬢さん。こんな壁際でどうしたんだい?」
「えっ! あっ、え……っと」
ぼけーっとしているところに突然話しかけられて驚き、グラスの中身をこぼしそうになった。
グラスをしっかりと持ち直して見上げると、ダークグレーのスーツに身を包んだ青年が笑顔を向けていた。
歳は20代前半くらい。
祀莉がいる場所にある飲み物を取りに来らしい。
鮮やかな色のドリンクが入ったグラスを手に取っり喉を鳴らしながら半分ほど一気に飲んだ。
「はじめまして。ボクは武井宗一。あの武井株式会社の時期社長候補と言われていてね。今日も父の代わりにこのパーティーに出席したというわけさ!」
「はぁ……」
あのと言われても全くもってピンとこない。
家のことや父親の仕事に関係する会社は、聞き覚えがあればすぐに分かるかもしれないが、彼の言う社名は思い出せなかった。
祀莉の反応が思っていたのと違うようで、武井と名乗った男はむっとした表情をつくった。
「なんだい? ボクのことを知らないのかい? ボクの名前を聞くと大抵、驚かれるんだがね〜。いつの間にか有名になってしまって……はは、困るよな〜」
「そ、そうですか……」
言いながら、だんだんと照れくさそうに口元を緩め、最後の方は頭をかきながら笑っていた。
こんなに自信満々に自分のことを話すのなら、有名な会社の子息なのだろう。
父親の仕事に関わることのない祀莉が疎いだけなのかもしれない。
「君は初めて見る顔だからね。こういったパーティーは初めてかい?」
「あ、はい……。パーティーというものに初めて出席させていただきました」
「なら仕方がない。ボクはね──」
あたふたとしているうちに武井の自分語りが始まってしまった。
気を悪くさせてはいけないと、笑顔が引きつらないように気をつけて適当に相槌を打つ。
会話なんてできるはずもなく相手の話をただ聞いているだけ。
口をはさまない祀莉に気を良くしたのか、聞いてもいない自慢話を次から次へと演説するように語る。
小学校の水泳大会の銀賞なんて正直どうでも良い。
(うぅ……この方はいつまでここにいるのでしょうか? そろそろ諒華のところに戻りたいのですが……)
要なら挨拶の時点で睨んで追い払ってそうだと思いながら、目の前にいる青年の言葉に「そうですね」と頷く。
そもそも要はパーティーに出席するとこはあるのだろうか。
聞いたことはないがそういった話をすることもないので、祀莉が知らないだけかもしれない。
彼も北条家の子息だ。
パーティーに招待されるくらい当然だろう。
諒華は祀莉を介して要も誘ったつもりだったらしいが、もし彼がこの場にいたらどんな風に振る舞っていただろうか。
(適当に挨拶だけすませてとっとと帰りそうですね)
愛想良くしている姿が想像できない。
全くもって。
男の自慢話はまだ終わらない。
その間、祀莉は相槌を打ちつつ間を持たせるためにジュースを少しずつ飲み進めていた。
会場が暖かいのか、体がぽかぽかして頭もぼんやりとしてきた。
自慢話もまったくもって頭に入ってこない。
いつの間にか相づちを打つのも止めてぼーっと手元を見ていた。
(なんか眠くなってきました……。どうにかして諒華のところに戻らないと)
しかし、この男の話から抜け出す術を祀莉は持っておらす、ただひたすら早く終わってほしいと心の中で願うのみ。
いつになったらその願いが聞き入れられるのかという時、会場の照明がすぅっと暗くなっていった。
メインであるステージにのみ、ぼんやりと照明が残っている。
楽しく話していた人たちも静かになり、みんな同じ方向に視線を向けた。
「あぁ、はじまったね。主催の挨拶だ」
武井も同じように話をやめて、明るくなった舞台を見た。
主催といえば諒華の父親のことだ。
参加者の人数がある程度揃ったところで舞台上に現れた。
スポットライトを浴びて登場した彼の後にもう1人。
主催よりも大きな拍手で迎えられていた。
(……あれ? え? えぇっ!?)
ステージで盛大な拍手を受けている人物を見て驚いた。
なんと、諒華の父親の隣にはここにはいるはずのない人物──要が立っていた。