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60 一瞬ドキッとしてしまったじゃないですか!

 いつの間にか窓の外は暗くなっていた。

 たしか諒華がこの家を訪れた頃はまだ明るかったと思う。

 話をしている間はついつい時間を忘れてしまう。

 部屋の時計を見上げて諒華は椅子から立ち上がった。


「もうこんな時間だし、私はお暇するわ。明日は来れるのよね?」

「……お父さまの許しが出たら」

「そう。テストが近いから、あんまり長く休むと大変よ?」

「う……」


(そうでした……)


 このままいけば、望ましくない点数をとるだろうということは明確だ。

 今までのことを考えてそれを要が許すはずがない。

 また要のお世話になるのか……と項垂れる。

 その姿を見て諒華は笑っていた。



「じゃあね。お大事に」

「はい。来てくれてありがとうございます」


 部屋から出るなと言われてるので、見送りは部屋の扉まで。

 少しくらいなら大丈夫だろうと3歩だけ廊下に出て、その場で今日来てくれたお礼を言う。

 階段を下りていく諒華の姿が見えなくなるまで、祀莉は手を振り続けた。






(花園百合亜さんと間宮香澄さんが転校して、要と桜さんの間に障害はなくなりました……)


 

 桜の邪魔をする役目の自分が引けば、少しは2人の仲が発展しやすくなる。

 問題なのは……、

 


「……秋堂君────えっ? ぅわ……っ」


 貴矢の名前を呟いた途端、両肩をつかまれたかと思うと廊下の壁に体を押し付けられた。

 突然のできごとに何がなんだか分からなかった。

 壁に縫い付けられるように固定されていて、抵抗することもできなかった。


 恐る恐る顔を上げると、要が鋭い双眸で祀莉を見下ろしていた。




(か、要……っ!?)



「貴矢が……どうした?」


 普段より低い声でゆっくりと問う。

 その質問は耳に届いていたが祀莉は答えることができなかった。




 ──怖い。



 なぜここに?

 いつから?

 などと考える余裕なんてなかった。

 怒りを込めた視線と口調に体が硬直し、思考も止まったまま。



「祀莉」


 何も言わない祀莉に答えを急かすように肩を掴む手に力が込められる。


「ぅ……いたっ」

「っ!」


 痛みに絶えきれず声を漏らすと、はっとしたように要は肩から手を離した。

 かと思うと、祀莉の膝下と腰に腕を回して軽々と抱き上げ、早足で部屋の中へと運んだ。





 要は祀莉を抱き上げたままベッドに腰を下ろし、祀莉を抱えていた手を背中に回した。

 そして服の上からそっと背中を撫ではじめた。


(……え? え? なんですかこれ?)


 まるで要に抱きしめられているみたいではないか。

 そう意識すると胸の鼓動が速くなった。




「悪かったな。背中、痛むか?」


 痛かったのは背中ではなく掴まれた肩だったのだが、どうやら要は勘違いをしているようだ。

 痣がある部分は辛うじて壁に当たらなかった。



「いえ、あの、だ、大丈夫ですから……」


 密着している体勢をどうにかしようと、要の胸に手をあてて離れようと試みるが、腰に回っている手が邪魔で彼の膝の上から降りられそうになかった。


「で? 貴矢がどうした?」


 祀莉の抵抗を物ともせず、要は先ほどの質問を繰り返した。

 話すまで逃がすものかとがっちりと拘束されているように思えた。




(秋堂君の情報を引き出そうとしている? でも、わたくしは要が有利になるような情報は特に持ってませんし……)


 ここは適当に誤摩化そう。


「諒華から色々話を聞いてたんです。今日、学園でお父さまたちがお話ししてて、そこに秋堂君もいたって……」


 だんだんと声が小さくなる。

 それを聞き取ろうとしているのか、要の顔はどんどんと近づいてきた。


(ちょ、ただでさえ近いのに……!)




「──聞いたのか。今日のこと」

「はい。もう安心ですよね?」


 諒華の話からして2人は充分反省しているようだ。

 西園寺家の人間を巻き込んだのだから、それ以上の報いを受けているに違いない。


 他にも要のことが好きな子がいるかもしれないが、今回の騒動とその顛末を知ったら桜に何かをしようという気にはならないだろう。

 良かった……と安堵の表情を浮かべる。

 背中を撫でていた要の手が離れ、祀莉の頬に優しく触れた。


 壊れ物を扱うように指先で撫でる仕草にドキッとしてしまった。




「──安心しろ、もうお前に手を出させない」


(え!? あの、はい……?)



 突然の言葉に祀莉は目をぱちくりさせた。


(ど、どうしてわたくしに言うのですか!?)


 何を考えているのかと見上げると、要の頬はうっすらと赤く染まっていた。

 それを見て祀莉は理解した。


(──相手を間違えましたね!)


 それは桜に対して言うべき言葉。



 自分じゃなかったら完全に勘違いしているところだった。

 うっかりなら今後気をつけてもらいたい。


(い、一瞬ドキッとしてしまったじゃないですか!)



 動揺が顔に出ていないか心配になった。

 平常心を保とうとするが、心臓がおさまる気配はない。

 気まずい空気の中、先に口を開いたのは要だった。


「なぁ祀莉。俺たちって…………こ──」


 要の言葉が言いかけたまま止まった。



「こ?」

「………………婚約者、だよな?」

「え? はい、そうですけど?」


(今のところは、ですけどね……)



 なぜ今更そんなことを訊くのだろう?と祀莉は首を傾げた。

 じっと見つめる視線を躱すように要は目をそらして、何もない空間を見つめている。



(怪しい……──はっ! もしかして! そろそろ婚約を解消する決意をしたのでしょうか!)


 花園百合亜は転校する。

 女子生徒への牽制もばっちりだ。

 ということは祀莉という隠れ蓑は必要なくなった。



(つまりそういうことですね……っ!)


 これから要が……物語が動き出すのだろうと、祀莉は期待に胸を膨らませた。


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