53 わたくしの役目なのに
祀莉が振り返ったと同時に視界の中の光が消えた。
目の前には無慈悲にも閉ざされてしまった扉。
冷たいそれに耳をぴったりくっつけると、外にいる香澄の高らかな笑い声が聞こえた。
その声がだんだんと遠のいていき、心に不安が芽生える。
(すぐに出してくれる気配はないようですね……)
扉から顔を離して周囲を見回す。
真っ暗な視界の中、ほこり臭さを感じてやっぱり倉庫なんですね……とさらに不安が募る。
漫画や小説で閉じ込められるシーンをいくつか読んだが、大抵、主人公だけでは脱出できていない。
誰かが——ヒーローが助けきてくれるから当然なのだけれど。
(その助けを呼びにいくことが、わたくしの役目なのに……)
肝心なところで役に立てていない。
不甲斐無い自分に腹が立つ。
「祀莉ちゃんっ!? どうして……っ」
「桜さんっ!」
明るい場所から突然暗い場所に移されたので、視界はまだ倉庫の中に慣れていなかった。
それでもそこにいるのは先に閉じ込められていた桜の声だと瞬時に分かった。
「すみません、わたくしのドジのせいで……。要を呼びに行こうと思ったのですが……っ、見つかってしまって……」
「わぁっ! 泣かないで! 大丈夫ですよー!」
目撃していた自分がこのイベントを解決するのための重要人物なのに、無様に閉じ込められて申し訳なかった。
その思いと、ここにいるのは自分1人だけではないと分かった安心感で、目から涙があふれてくる。
(不安なのはわたくしではなく、桜さんの方なのに……)
「すみません……わたくし……っ」
「祀莉ちゃん」
気遣うように祀莉の名前を呼びながら桜が近づいてくる気配。
頬を伝う涙を桜の指先がそっと拭う。
閉じていた目を開けると、少し慣れてきたのか、高い窓から入る僅かな光だけでも桜の表情が見えるようになっていた。
「大丈夫。私がなんとかしてここから出してあげるから」
桜は祀莉に向けて優しく笑いかける。
抱えている不安をかき消してくれるように。
***
「——と言っても万事休すなんですよねぇ。携帯も応援席に置いてきちゃったし……」
腕を組んでう〜んと頭を悩ませる桜。
立っているのも疲れるからと、とりあえず置いてあるマットを床に敷いてその上に2人で座っていた。
(携帯っ! わたくし持ってます! これで諒華に連絡を取れば——あれ……?)
ポケットに入っているはずの携帯電話がない。
体育館を出る時に確認したので、持ち歩いていたことは間違いない。
(ここに閉じ込められるまでに落としたのでしょうか……?)
力の限り抵抗していたので、その勢いで落としてしまった可能性がある。
気づけなかったのかと言われると、全くもって気づかなかった。
いつの間に……!?という心境である。
(持ってます!と声に出して言わなくて良かったです……)
しかし、これで助けを呼ぶ手段がひとつなくなってしまった。
他に何かないかと考えて上を見上げる。
天井近くの窓は高くて届かない。
換気のための窓なので造りは横に細長く、人が通れるのかという問題と外での着地の問題があった。
(——いえ、まずそこまで上らないと……。窓からの脱出は無理そうですね……)
2人で大声で叫んでみようか。
しかしこの体育館棟の防音機能は優秀だ。
上の階で試合をしているのに、その音がまったく響いてこない。
(やっぱり窓を開けるしか……)
ちらりと、前に座っている桜を見やる。
彼女も腕を組んでここから脱出する方法を考えている様子だった。
「はぁ……。まさかあの2人が組んでいたとは……」
小さなため息の後、桜がぽつりと呟いた。
あの2人とは“香澄”と呼ばれていた人物——間宮香澄と、“百合亜”と呼ばれていた人物——花園百合亜のことだろう。
ショートカットで茶髪の女子生徒が間宮香澄。
桜を閉じ込めた後、ずっと楽しそうに笑っていた。
そしてもう1人。
お嬢様らしく髪をきつく巻いていた子が花園百合亜。
どこかで見たことがあるような気がしたが、よく考えたら入学式の日に彼女の姉に会っている。
彼女も同じ髪型だったからきっとそれが原因だろう。
(花園さんとはさっき初めて会ったんですものね……)
「Bクラスに落ちたからって、あんな風に八つ当たりされてもねぇ……」
「Bクラスに……落ちた……?」
桜の言葉で思い出した。
才雅と要が話していた内容。
——自分から“Bクラスになりたい”って申し出たって噂を聞いたんだけど、
「要がクラス落ちさせたのは花園さんだから、自分からBクラスになるって言い出したのは間宮さんの方ですよね? ならどうしてこんなこと——あ、すみません……」
謝りながら口元に手を置く。
考えていることが言葉に出ていた。
知るはずもないのに、そんなことを言われても桜は困るだけだ。
「間宮香澄は貴矢が好きで、追いかけるようにBクラスに申請したんです。貴矢は中等部卒業の時点でBクラスに落とされることが確定していましたから」
「え……あ、そうなんですか」
独り言です、無視してくださいと言う前に、桜は祀莉の疑問に答えた。
確信のある言い方に一瞬疑問を持ったが、クラスメイトとも上手くやっているようなので、桜もそれなりに情報を仕入れているのだろう。
入学して半年が経とうとしているのに、何も知らない祀莉とは大違いだ。
「たまたま私と貴矢が一緒にいるところを目撃したらしく……色々と勘違いした彼女がこうやって行動を起こしたんだと思います」
「まぁ、それは……」
「北条君を好きな花園さんも多分同じ理由で、祀莉ちゃんと北条君が一緒にいるところを見たんじゃないでしょうか?」
「でも……わたくし、花園さんとは今日が初対面で……」
「私もですよ。こっちは気づかなくても向こうは見ているんです」
「はぁ……」
桜の話に祀莉はぽかんとするしかなかった。
確かに、花園百合亜は祀莉のことを知っていた。
校内を移動するときは大抵、要と一緒にいることが多いからそれを目撃したんだろう。
(でも、それだけで勘違いするでしょうか……?)
「——はっ! 貴矢ってAクラスですよねっ!?」
淡々と話をしていた桜が唐突に大きな声をあげた。
「え? はい、同じクラス……ですよ?」
「祀莉ちゃん、試合どうなってました?」
「点数は覚えてませんが、うちのクラスが勝つと思いますよ」
「……ってことは次も試合に出る!? ど、どうしよう……」
今まで落ち着き払っていた桜がだんだんと焦りの表情を見せていった。
何をそんなに慌てているんだろうと、祀莉は目をぱちくりさせた。
「祀莉ちゃん。本来ならBクラスの貴矢が助けにくるはずなんだけどね……」
「え……? Bクラスの秋堂君……ですか?」
聞き間違いだろうか……?
いや、確かに桜は“Bクラスの貴矢”と言った。
(えっと…………んん?)
桜の言葉がうまく理解できなかった。
暑さのせいで頭の回転が鈍っているのかもしれない。
体を伝う汗が気持ち悪い。
一瞬、ぐわんっと頭の中が揺れる感覚。
(暑いです……。どうしてでしょう、座っているのに目眩がします……)
「祀莉ちゃん……? どうしたの? ごめんね、いきなり変なこと言って。大丈夫?」
「……はい」
口ではそう言ったが、激しい頭痛と吐き気が祀莉を襲う。
座っていることもできなくなり、いつの間にやらマットの上に倒れるように横になっていた。
起き上がろうとしても体が重くて力が入らない。
「祀莉ちゃんっ!? もしかして熱中症っ!? 祀莉ちゃんっ、祀莉ちゃん!」
心配する桜の声すらもズキズキする頭に響く。
横になっていてもぐらぐら揺れる感覚の中で、ショッピングモールの階段で落ちそうになった記憶が頭をよぎった。
ふわりと感じた甘い花の香り……。
さっきも同じ香りを嗅いだような気がする。
(——あぁっ! 思い出しました! 花園さんの後ろ姿はショッピングモールで見た女の子と同じ……!)
毛先だけきつく巻いた髪型の女性。
確かに彼女は祀莉と要が一緒にいる場面を目撃していた。
だからあの時、祀莉を突き落とそうとしたんだ。
「——誰か! 誰かぁっ!」
桜は何度も扉を叩きながら、外に向かって叫んでいる。
倉庫の中で反響するそれらの音は外には聞こえているのだろうか。
「ねぇ! 誰かいないの!?」
桜の叫びは震えるような声に変わり、音量も小さくなっている。
叫び続けることによって体力を消耗していた。
それでも扉に寄りかかりながら、叩き付ける拳は止めなかった。
(すみません……。わたくしのせいで……)
汗か涙か分からない雫が頬を滑り落ちた。
——突如、がらりと扉が開け放たれて、眩しい光と新しい空気が倉庫に入ってきた。
前のめりに倒れる桜を受け止める影。
桜は縋り付くように彼の体に腕を回した。
「ほう、じょう……くん?」
(あぁ……良かった。来てくれたんですね——要)




