40 近くで見守れないのが残念です
一晩ぐっすり眠って、体調はすっかり回復していた。
朝食もしっかり食べれた。
それでもまだ少し熱が残っていたので、今日は休みなさいと母親にベッドへと戻された。
祀莉としては元気なのに、ちょっと体温が高いだけで少し大げさだ。
目が覚めてしまったし、暇だから小説でも読もうと思ったが、心配した母親が何度も部屋に様子を見に来そうなので、それはできそうにない。
(今日は大人しく寝ておきますか……)
時計を確認すると、もうすぐ要が迎えにくる時間だ。
そっとカーテンの隙間からのぞき見る。
いつも車を停めている場所は、祀莉の部屋から見える位置にあった。
(あ、要のところの車……)
柵と庭木で見えにくいが、北条家の車が家の前で停まっていた。
車に乗って待っていた要に使用人が対応している。
祀莉が今日は学校を休むと告げているようだ。
使用人が後ろに下がって綺麗なお辞儀をすると、すぐに車が出発した。
なぜか、ほっとした気分だった。
(今日は会わなくてすみますね……)
その数分後に机の上の携帯電話が震えた。
充電器に繋がれていた携帯を手にとって画面を開いた。
届いたのは要からのメールだ。
『昨日は疲れたんだろ? 今日はゆっくり休めよ』
どう考えても祀莉を気遣う文面だ。
しかし——
(ふむふむ、今日は鈴原さんと2人でいたいから、家から出るな……ということですね!)
変に深読みして変な方向に解釈し、1人で納得していた。
祀莉がいない今日、休み時間はもちろん昼休みや放課後も一緒に行動できる。
一番の憂いは貴矢の邪魔だが、いまのところ桜に相手にされていないから大丈夫だろう。
反撃もされていたし。
(あぁ……近くで見守れないのが残念です!)
昨日の校外学習で2人の距離はぐんと縮まったと思う。
グループで行動している中でも要と桜の会話は増えていた。
告白という一大イベントは失敗してしまったが、まだまだチャンスはある。
(要には頑張ってもらわないと……!)
***
そして翌日。
まだ心配する母親を振り切るように祀莉は家を出た。
いつもより随分と早い出発に使用人たちは首を傾げていた。
玄関を出て向かう先は——西園寺家の駐車場。
「才雅! 待ってください!」
黒塗りの高級車にはすでに運転手と才雅が乗っていた。
中等部は西園寺邸から少し遠いので、いつも祀莉よりも数十分先に家を出ている。
他の生徒が来る前に少し早めに登校して、予習をしているとも言っていた。
珍しく早起きの祀莉は、エンジンがかかっているその車に半ば無理矢理乗り込んだ。
才雅は突然、車に入ってきた祀莉に驚いた。
「姉さん!?」
「今日、一緒に乗せて行ってください」
「え……でも、要兄さんは? 迎えにくるんでしょ?」
「大丈夫です。ちゃんとメールしておきました」
要にはすでに連絡済みである。
迎えに来ることが分かっていて、何も言わずに先に行くなんて、さすがにそんな失礼なことはしない。
心配そうな顔をしつつも要にちゃんと連絡が行っているならと、才雅は運転手に車を出すように指示した。
「一緒に登校なんて、小学校以来ですね」
「あ……うん」
嬉しそうに話す祀莉とは逆に、困った顔をした才雅はそうだね、と返事をする。
鞄の中で携帯が震えていることに気づくことなく、高等部に着くまで2人で話をしていた。
「では、行ってきますね」
「無理しないでね?」
「大丈夫ですよ。わたくしは元気です!」
高等部の校門前で降ろしてもらい、去っていく車に手を振る。
祀莉は校舎へと向かった。
「ごきげんよう」
「ごきげんよ——西園寺様っ!? ごご、ごきげんよう!」
近くにいた女子生徒に挨拶をする。
制服のカラーから先輩と見受けられた。
祀莉の挨拶に反射的に挨拶を返した先輩は、相手が祀莉と知って驚いていた。
(わたくしが朝早いのが、そんなに珍しいのでしょうか……?)
正確には祀莉が朝早く、1人で登校していることが珍しく、声も裏返るほどに動揺していた。
昨日は要が1人で、今日は祀莉が1人で登校。
別々に登校することに何か意味があるのかと邪推してしまうだろう。
そんな先輩の心中も知らず、祀莉は一礼して校舎へと入った。
才雅の時間に会わせて家を出たからいつもより早めの登校だ。
教室にはまだ誰もいないだろう。
(このチャンスに、後ろのスペースに置いてある漫画雑誌を読ませてもらいましょう!)
最新巻が良いところで終わって、先の展開が気になっていたのだ。
数週間分、捨てずに置いてあるはずだから、最新巻の後の連載は探せばすぐに見つかるだろう。
機嫌良く鼻歌を歌いながら、下駄箱の前で靴を脱ぐ。
少し離れた場所に表記されている『北条』の名札を見つけて、反射的に体が強張った。
(う……。挨拶くらいは普通にできるでしょうか……)
なぜだか分からないが、要に会うと逃げてしまいそうだ。
そうならないように、きっちりと心の準備をして自分から話しかけよう。
また少しずつ慣れていけば良いんだから。
靴を履き替えて、静かな廊下を歩き出した。
ふと背後に人の気配を感じた時——腕を掴まれた。
(え……っ!?)
進もうとしていた方向とは反対に体を引かれる。
二の腕に馴染みのある感触。
祀莉はこの手が誰ものもなのかすぐに分かった。
「か、かか、要……っ!?」
突然現れた人物に目を見張る。
どうしてここにいるのだろうか。
すでに上靴に履き替えているところを見ると、祀莉より先に学園に着いていたようだ。
なんの心の準備もなく、出会ってしまった祀莉は思わず逃げ————られなかった。
掴まれた手は離れることなく、むしろ痛くない程度にしっかりと掴み直された。
そのままずんずんと進んでいく。
祀莉の意志を無視する強い力に転びそうになったが、なんとか踏ん張って持ちこたえる。
「あの、どうしてここに……?」
「…………」
恐る恐る、疑問を口にする。
問いかけられた要は何も答えず、無表情で教室とは逆方向に歩き出した。
腕を掴まれている祀莉は引かれるまま、駆け足気味で要の後ろについて行くしかなかった。
(えええっ!? どういうことですかぁっ!?)