39 再発しました……!
ホテル周辺に設置された緑豊かな遊歩道。
このあたりの観光名所とも言える迷路のような林の中を歩く生徒たちの姿。
清々しい朝の日差しを浴びながら、森林浴を楽しんでいた。
祀莉たちも同様に散策を楽しんでいたが、現在そんな雰囲気は一切窺えない。
朝の静謐な空気とは逆に重苦しい空気の中で、祀莉と要は不自然に距離を開けて対峙していた。
一緒に行動していた諒華たちは、2人の間に入り込んで良いのか悩みつつ静観している。
ぴんっと要に向けて真っ直ぐに伸ばされた祀莉の両手。
先ほどの「来ないでください」の言葉を体現するように、手のひらを要に見せた“近よるな”のポーズだ。
対する要は唐突な祀莉の行動に驚いていた。
今までも不機嫌な顔を見せた時、怖がられることはあった。
入学式の日に無理矢理、窓から部屋に入れたことが記憶に新しい。
しかし、ここ最近は急に触れても暴れることはなく、大人しく腕の中におさまっていた。
だからこそ、今日も貴矢の側から離すために祀莉を抱きしめるように触れたのだが……——
「……祀莉」
「ひゃあぅっ」
名前を呼んだだけなのに、祀莉は奇怪な声をあげながら近づいた距離以上に後ろへと下がった。
2人の距離は更に広がった。
「…………」
要の表情に不安が広がっていく。
どうしてこんなに拒絶されているのか、まったくもって心当たりがない。
貴矢に何か吹き込まれたのだろうか。
数歩離れた場所に突っ立っている貴矢をじろりと睨みつけた。
桜に殴られてほんのり赤く染まった左頬に手を当てている。
突然、要の鋭い目が自分を見たことに、貴矢はドキッとする。
その視線の意図を瞬時に察して「俺は知らねぇ!」と両手と首をぶんぶんと横に振って否定した。
一方、祀莉は襲いくる眠気に必死に耐えていた。
瞬きの回数が増え、閉じている時間も長くなってきている。
油断すれば閉じたまま開こうとしない重い目蓋を、どうにか気合いでこじあげる。
(眠い……ですけど、ここで寝るわけには……)
葉の隙間から燦々と降り注ぐ陽射しがチカチカと光って視界をかすめる。
眠気とは別に、その眩しさに反応して目を閉じてしまう。
それでも寝てはいけないと、無理矢理目を開けて俯いていた顔を上げる。
(……要がいっぱい?)
目の前がぼやけて、景色が何重にも重なって見えた。
一度ギュッと閉じて、再び開けてみても同じである。
要の姿が不自然にぶれていた。
頭がくらくらする。
耳鳴りがひどい。
しっかりと地面を踏みしめているはずなのに、ふいに体の感覚が鈍くなった。
(あれ……?)
ゆっくりと世界が傾いていく。
(——違う。わたくしの体が倒れて……)
「祀莉……っ!」
近づいてくる足音と取り乱した要の声。
ぐにゃりとした感覚の中、ぎゅっと目を閉じた。
「祀莉っ。おいっ!」
覚悟していた痛みはなかった。
かわりに、体を包み込む温もりを感じて祀莉は眠りに落ちた。
***
次に目が覚めた時、視界に入ってきたのは見覚えのある天井だった。
額に冷やっとした感触。
(冷たい……。タオル……?)
目だけを動かして、周囲を見回した。
泊まっていたホテルではなく、よく知っている自室のベッドの中にいた。
いつの間にやら自宅に帰っていたらしい。
部屋には夕日が射している。
才雅が心配そうに祀莉を見ていた。
「姉さん、大丈夫? 熱があるみたいなんだけど……」
体が重く感じると思ったら、熱があるらしい。
声を出すのも指先を動かすのも億劫だ。
祀莉の発熱は疲れからくるもので、主治医からは安静にしていれば良くなると言われていた。
「要兄さんがホテルから直接連れて帰ってくれたんだよ。覚えてる?」
「……」
重い頭を横に振る。
倒れてから目が覚めるまで意識がなかったから、全く知らない。
最後の記憶は林を散歩していて、転びそうになって……そうしたら貴矢が支えてくれて、それから——
(——それから、要に……——あれ?)
そこまで思い出して、その後の自分の行動に疑問を抱いた。
要に腕を引かれたり、急に羽交い締めにされるのはいつものことだ。
なのに、どうして今日は要が近づくと反射的に逃げてしまったのだろうか。
ベッドに横になっていてもフラフラとする頭で必死に考えた。
要に抱きしめられた時、顔が熱くなって、息が苦しくなって……。
体が反射的に要から離れようとした。
伸ばされる手に、近づいてくる顔に、服の上からでも分かるがっしりとした体の感触。
思い出しただけで体が震える。
——そうだ、これは……
(要恐怖症が再発しました……!)
大丈夫になってきたと思っていた。
過去のトラウマが薄れて、少しくらいなら強気に出れるようにもなってきた。
一緒に行動することが多くなって、要の近くにいることに慣れてきた——と思い込んでいた。
昔の祀莉は要が怖くて、一緒にいると自然とビクビクして動けなかった。
だというのに、反射的に逃げてしまうということは、前よりも症状が酷くなってしまったということだ。
(せっかく平気になってきましたのに……)
学園では恐れていた要の支配もなく、クラスメイトに馴染むこともできて楽しめていたはず。
なのに、急になぜ……。
「あ、そうだ。要兄さんがね——」
「ひゃぁっ!」
「えっ!? どうしたの、姉さん?」
才雅の“要”という言葉に反応してしまった。
これはもう重症だ。
このままでは日常生活に異常をきたしかねない。
同じ学校で同じクラスなのだから、毎日に顔を合せるに決まっている。
名前を聞いただけでこれなのだ。
本人に会ってしまったら、今日みたいに叫んで逃げてしまうに違いない。
(せめて普通に過ごせるように、克服しないと……)