38 いつも通りに息ができない
祀莉は布団の中ですやすやと眠っていた。
涼しい風がそっと頬を撫でる。
少し肌寒さを感じて子供のように体を丸めた。
「祀莉ー、起きなよー」
「ん〜〜」
「いい天気だよー。風も気持ちいいし」
諒華はカーテンがひらひらと波打っている窓を指差しながら、祀莉の布団をぽふぽふと叩いた。
まだ寝ていたいというのに、それを邪魔しようとする。
(さっき、やっと眠れましたのに……)
昨日、あれから部屋に戻ってベッドに入ったは良いが、まったく眠れなかった。
眠ろうとすると、要に抱きついてしまった時のことを思い出してしまい、布団の中で羞恥と後悔に頭を悩ませていた。
何度、足をばたつかせて叫びそうになったことやら。
あぁ……せっかくの告白のチャンスだったのに。
それが失敗に終わって落ち込んでいるところにとんだハプニング。
恐怖で我を忘れてしまい、桜の目の前で思いっきり要に抱きついてしまった。
幽霊と間違えてしまった先生にも悪いことをしてしまって、昨日の夜からぐるぐると反省中である。
そして、眠りについたのは2時間ほど前。
やっと現実から逃避できたと思ったのにもう朝とは……なんて残酷な。
「祀莉ーー?」
諒華が布団をひっぱりながら、べしべしと、今度は軽く背中を叩き始めた。
起きろ起きろと耳元で何度も言われ、仕方なしに目を擦りながら体を起こした。
朝陽が眩しい。
「んむぅ……」
「おはようございます! 西園寺さん、もうすぐ集合時間ですよ」
すでに制服に着替え、準備を終えている桜が元気良く朝の挨拶をした。
半分しか目が開いていない祀莉の顔を中腰で覗き込んでいる。
「おひゃようございます……。えっと今何時……」
桜の後ろにある時計を確認すると、もうすぐ朝食の時間だった。
そろそろ準備をしないとまずい。
まだ半分寝ている状態でもぞもぞと着替えを始める。
あまりにもゆっくりなので、見かねた諒華が「遅い!」と祀莉の服を引っ剝がし、強引に着替えさせた。
早くしないと点呼に間に合わない。
こっくりこっくりと船を漕いでいる祀莉を無理矢理歩かせて、レストランへと向かった。
「ここの朝食はおいしいって評判なのよ。フレンチトーストが絶品なんだって」
「そうなんですか! 楽しみです。西園寺さん、ちゃんと目を覚まさないと食べ損なっちゃいますよ?」
「…………んぅ」
返事にもなっていない声を漏らす祀莉。
寝ているのか起きているのか微妙なところである。
右手を諒華、左手を桜に引かれてやっと足が動いている状態だった。
「祀莉ー。起きてるー?」
「西園寺さーん。ちゃんと歩いてくださーい」
「…………分かってます。そんなに強く引っ張らないでください、要」
「……」
「……」
半分寝ながら登校している時は、いつも要に引っ張られているんだろう。
むにゃむにゃとそれらしき言葉が祀莉の口から出てきた。
要はこれを学校にまでつれてくるのか……と感心する2人であった。
「まぁ、北条君が無理矢理にでも口につっこむでしょうよ」
「ですね」
レストランに入ると、名簿表を持った先生がいた。
朝食の前に点呼をとっているらしい。
名前を告げて中へ入ると、要と貴矢はすでに食事を始めていた。
目蓋が落ちかけている祀莉を要の隣に座らせて、諒華と桜もそれぞれ席に着く。
目の前には温かな朝食が用意されていた。
食欲をくすぐる匂いに、祀莉の目がだんだんと覚めてきた。
「おっはよー、祀莉ちゃん!」
祀莉とは逆にすっきりと目が覚めている貴矢が元気よく挨拶した。
「……おはよう……ふわぁ、ございます……」
「はは、まだお眠のようだね。じゃあ、俺が——」
祀莉の口元にフォークに指した一口分のフレンチトーストを差し出す。
「——食べさせてあげよう。はい、あーん……——ぅわあっちィっ!!」
要が熱々のコーヒーが入ったカップを貴矢の手に押し付けた。
カップの外側はほどよく熱くなっていたらしく、触れてすぐに熱さを感じた貴矢は跳ねるようにのけぞった。
熱で赤くなっている部分を、慌てて氷水が入ったコップで冷やす。
「何すんだよ、要!」
「……ふん」
貴矢の抗議に何事もなかったかのようにコーヒーを口に運ぶ要。
(仲が良いですね……)
昨日のやりとりなんてなかったかのようである。
ぼんやりとそんなことを考えていると、口にフレンチトーストがつっこまれた。
***
二日目の午前は自由行動。
森林浴がしたいという桜の提案で、祀莉たちはホテルの周りの森林浴コースを歩いていた。
(………………眠いです)
暖かい陽射しの中、緑溢れる木々に囲まれて、時には美しい花に出会うが、正直祀莉はそれどころではなかった。
軽やかに遊歩道を歩く桜たちについて行くのに必死だった。
その間にも襲いかかってくる眠気。
足を動かしているうちは大丈夫だろうと思ったが、眠いものは眠い。
途中で寝てしまわないように意識を保つのがやっとだった。
(頑張れ、わたくし……)
昼食を終えたらバスに乗って帰れる。
それまでの辛抱だ。
眠気を我慢しつつ、緑を楽しむ散歩コースをただひたすらに下を向いて歩いていた。
(はぁ……。こんなことならホテルで休ませてもらえば良かったです……あら?)
ぼーっとする頭を振って顔を上げると、さっきまで隣にいた要たちがいつの間にか数メートル前を歩いている。
話に夢中で祀莉が遅れていることに気づいていない。
待ってくださいと声を出す元気はない。
(追いつかないと……)
駆け足で距離を縮めようと踏み出した瞬間、大きめの小石を踏んでバランスを崩してしまった。
「ひゃ……っ」
前のめりに倒れていく感覚に冷やっとした。
体を支えるため地面に手を伸ばした時、後ろから抱きしめられるようにお腹に腕が回り、膝が地面につく直前で受け止められた。
(ま、また要に助け——……んん?)
自分に回されている腕がいつもと違うような気がする。
よくよく考えれば要は背を向けて前を歩いている。
(じゃあ、この腕は……)
恐る恐るといった感じで腕の主を見上げる。
「あはは、危なかったねー」
祀莉を受け止めたのは、一緒にグループ行動をしているもう1人の男子生徒。
無愛想な要と違い、柔らかい笑顔が女子生徒の間で人気な秋堂貴矢だった。
その整った顔で、驚きで固まっている祀莉に問いかける。
「大丈夫? 祀莉ちゃん」
「あ、はい。ありがとうございます……」
お腹に回される腕に居心地の悪さを感じながら、祀莉はお礼を言った。
先を行く要、桜、諒華の3人。
進む速度は変わらず会話をしながら歩いていた。
「それでね、今日の朝から西園寺さんの様子が……あれ? 西園寺さんは?」
「え?」
「秋堂君もいないですね……」
遅れている2人に気づいたのは桜だった。
問いかけられた要は桜と反対側を見る。
隣にいるはずの祀莉がいないことに、慌てて後ろを振り向いた。
その先には抱き合っている貴矢と祀莉。
倒れそうだった体を起こした祀莉の腰に、助けたまま手を添えている状態なのだが、それまでの経緯を見ていない要には、2人が抱き合っているようにしか見えなかった。
「あいつ……!」
込み上げる怒りを全身で表し、祀莉のもとへと駆け出した。
「貴矢! 何してんだっ!」
奪うように貴矢の腕から祀莉を自分に引き寄せる。
勢いのまま要の胸に飛び込む形になった祀莉は「ぶふっ」とこもった声を出した。
背中に腕が回されて、ぎゅっと抱きしめられる感触。
(え……な、ななな何ですか!?)
その体勢に昨晩のことが頭の中に蘇ってきた。
途端に襲いかかる羞恥と後悔の感情が祀莉の心を乱す。
顔を上げると鬼のような形相の要。
親の仇を見るような目に、さらに恐怖の感情までもプラスされた祀莉は思わず叫んだ。
「はぅわああぁぁっ!!」
奇妙な声を発しながら、力の限り要の体を押しやって数歩後ずさった。
「え……ま、祀莉?」
「こ、ここ……来ないでくださいっ!!」
手を伸ばし近づこうとする要に、両手を前に押し出してさらに距離をとる。
突然の拒絶に要はショックで固まった。
混乱している祀莉は自分の行動を理解できていなかった。
(要に近づくとなんか変です……)
心臓が跳ねるように鳴り響いている。
顔に熱が集まってくるのを感じる。
呼吸が乱れる。
——いつも通りに息ができない。
(わたくし、どうしてしまったんでしょう……)
一方、貴矢は桜から詰られていた。
「ちょっと! 西園寺さんになにしたの!?」
「転びそうになったのを助けただけだって!!」
「ふーん。あ、そう。変なとこ触ったんじゃないの?」
「触ってないって! こう……後ろから手を回したら、自然に腕の上に胸が……あれ?」
「最っ低ーーっ!!」
「がはぁっっ!」
祀莉を助けた時のことを桜で再現しようとした。
紛れもなくセクハラである上、余計なことを口にしてしまい、見事な右ストレートをくらっていた。
地面にうずくまる貴矢に、自分の両胸に手を当てて悲しい顔をする桜。
ショックで固まっている要に、警戒するように後ずさる祀莉。
「はぁ……」
——この状況。
いったいどうしたものかと諒華は頭を抱えた。
イラストを発見した方はご存知かと思いますが、祀莉と桜の胸囲には少し(いや、かなり……)差がある設定となっております。
イラストは目次、本編のページ内に隠してあります。(ケータイ版にはありません)
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