36 なんでわたくしが緊張するんですか……?
控えめな照明が並ぶ廊下で立ち尽くす。
祀莉が部屋から出た時はもうすでに桜の姿は見当たらなかった。
(どっちに行けば良いのでしょうか……? う〜ん……、——こっちにしましょう!)
自分の勘を信じて、とりあえず右に進んだ。
昼間の涼しさが夜では少し肌寒い。
冷たい空気に体が震えた時、貴矢の話が頭をかすめて背筋がぞっとした。
……いや、あれは外のキャンプでの話。
ここはホテルの中。大丈夫、大丈夫……。
昔から怖い話は苦手だった。
怖くなくても“怖い話”だと意識した瞬間、そういう風にしか聞こえなくなる。
恐怖のあまり周りも見えなくなる。
さっきは取り乱してしまったが今は平気だ。
……そう、平気なんだと自分に言い聞かせた。
(それよりも、鈴原さんと要の逢い引きです!)
プールに夢中で告白のことなんてすっかり忘れていたが、それでも物語は進んでいる。
ここで祀莉の期待していたイベントが発生するのだ。
もうすぐ夏休みが始まる。
恋人として熱いひと夏を過ごしたいなら、今がチャンスだ。
(告白のシーンが見れるなんて……ふふ……)
甘い雰囲気で向かい合う2人を思い浮かべて、恐怖を打ち消すことに成功した。
(鈴原さんはどこに行ったのでしょう? 急がないと見逃してしまいます……!)
そんなことを考えながら、当てもなく廊下を進む。
目的の人物はまだ見つからない。
このまま廊下を進めばロビーにつく。
いるとしたらそこかもしれない。
まっすぐ進んだ先に明るい場所が見えてきた。
ちょうど良いところに観葉植物が置かれていたのでなんとなく陰に隠れた。
廊下は薄暗いからバレはしないだろう。
できるだけ気配を消して、そっと覗き見る。
静かなその場所に、紺色のジャージを着た生徒が2人いることが確認できた。
(——いましたっ!)
桜を発見した。
背の高い男子生徒と話している。
(やっぱり呼び出しの相手は要だったんですね!)
できればもっとよく見える場所まで近づいて観察したいが、これ以上顔を出すと見つかる可能性がある。
ならば……と、2人の会話を一言も聞き漏らすまいと耳に集中した。
「で、何の用?」
「んーー……別に。呼んだら来るかなー……って」
「はぁっ!?」
(…………あれ?)
聞こえてくる声が要のものじゃない。
この声は——貴矢だ!
(えぇ!? ちょっと待ってください! どうして、また秋堂君なんですか……!?)
わくわくしながら覗き見れば、逢い引きの相手は要のライバル——秋堂貴矢だった。
(要は何をしているんですか!?)
彼らは同室のはずだ。
こんなところで抜け駆けされて……まったく、なんて間抜けなヒーローなんだ!
しかし、桜は貴矢に対して好意的ではない様子。
むしろ嫌悪を剥き出しにしている。
表情と刺々しい言葉がそれを物語っている。
ヒーロー以外に靡かない桜はなんともできたヒロインだ。
「もう、なんなのよ……。用がないなら部屋に戻る!」
「えー。良いじゃん、どうせもうすぐ消灯なんだし」
「だから戻るのよっ!」
それでも貴矢は楽しそうにちょっかいを出している。
部屋に戻ろうとする桜の腕を掴み、無理矢理その場に留まらせていた。
(嫌がられているのに諦めの悪い人ですね! あぁ、もう! わたくしが出ていって助けたいです!!)
要ーーっ、要はまだかーー!と心の中で何度も叫ぶ。
今ここに登場してヒロインを助ければ、一気に株が上がるだろう。
(いっそわたくしが要を呼びに……ん?)
祀莉が覗き見ている反対側の廊下から人が現れた。
——要だ。
(来ましたーー!! 遅いです! でもナイスです!!)
祀莉のテンションはこれ以上ないくらいに上がった。
ヒロイン救出の登場としては……まぁ、いいタイミングだ!
待たされた分、助けられたときのトキメキが大きくなるに違いない。
(良いですよ、要! そのまま奪ってしまえっ!)
「おい、貴矢。もうすぐ消灯だぞ。部屋に戻れ」
要がロビーに現れ、貴矢と桜の言い合いが一時中断する。
「なんだよ要。邪魔しないでくれるか? 2人で楽しく話をしているところなんだけど?」
「だったら、何も言うつもりはなかったが……。鈴原が困ってそうだから声を掛けたまでだ」
“2人が一緒に居るところがイヤだった”って、直球に言えば良いものを……。
もっとぐいぐいと男らしさを見せて欲しい。
(手を掴んで引き寄せるとかしてほしいですね……)
祀莉は少し物足りなさを感じていた。
「なんでお前がそこまでして鈴原を構う?」
「ちょっ——」
ニヤリと笑った貴矢は握っていた桜の腕を引き、自分の胸元へと寄せた。
(ぎゃーーーーっ! ちょ、要ーー! 何してるんですか!!)
奪うどころか、やすやすとライバルに渡してしまうとは!
期待していたシチュエーションだが、またしても相手が違う。
(要! あなたがしっかりしないと……! 鈴原さんもびっくりしてます!)
ぽすんっと貴矢の胸に収められた桜は、驚きのあまり固まっていた。
引き寄せた桜を抱き込んだ貴矢は、ふふんと挑発的な笑みを要に向けた。
「―—もしかして要、こいつのこと……好きなのか?」
——ドクンっ
(……え?)
貴矢の言葉を聞いて、一度、祀莉の鼓動が大きく跳ねた。
それからじわじわと早く、大きくなっていく。
桜と要が並んでいるシーンを見て、トキメキで胸が高鳴ることはあった。
しかし、今感じている胸のドキドキはどこか違う。
これは……——緊張?
(なんでわたくしが緊張するんですか……?)
疑問を浮かべつつも、気になる3人から目を離せずにいた。
漫画やアニメなら様々な演出や効果を駆使して、盛り上げられているシーン。
残念ながら原作は小説で、冒頭部分しか知らない祀莉は、自分の想像の中で物語を予想して作り上げるしか出来ない。
想像していたのとはちょっと違うが、今目の前で起こっているこれこそが、正しいストーリーなのだろう。
さて、この後はいったいどうなるのか——
高まる鼓動とともに祀莉は見守った。




