25 ちょっとした出来心で
「なに……してるんだ?」
リビングルームの入り口で要は怪訝な顔をして立っていた。
放課後の四方館で起こった思わぬハプニング。
まるで、祀莉が桜に服にジュースをかけられたような、そんな場面でのご登場である。
——まずい。非常にまずい。
この状況は桜への好感度を下げてしまう。
「違うんです、要! これはわたくしが勝手に転んで——」
「そんなのは分かってる! だからジュースを飲むときは缶にそのままストローをさせって言ってるだろうが!」
(そ、そういえば……!)
色々とパニックになっていたから、そんなことはすっぽりと頭から抜けていた。
要は「まったく……」と言って、点々と散らばっている水滴を避けながら近づき、祀莉のお腹の上に転がっていたコップを拾い上げる。
「コップは割れてないな? とりあえず拭くものだ。鈴原、あっちにタオルがあるから持ってきてくれ」
「は、はいっ!」
桜は指示された場所へ急いで向かった。
顔と髪にはかかっていないものの、胸のあたりからお腹にかけてまでびっしょりと濡れていた。
今日が金曜日で良かった。
休み中に制服をクリーニングに出せる。
数枚のタオルを手にした桜が戻ってきた。
「西園寺さん! 前! 前! 制服が透けちゃってますからーーっ!」
「え? きゃあっ!」
白い制服から薄く下着が透けて見えていた。
ここには桜と要しかいないが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
祀莉は胸元を両手で隠し、要に背を向けた。
「まったく……風邪をひく前に着替えろ。ジャージはどうした?」
「……今日は体育がなかったので持ってきていません」
「…………。鈴原、お前のは?」
「すみません、私もないです……」
要は小さくため息をついて立ち上がった。
「ちょっと、待ってろ」
***
数分後、息を切らせて要は戻ってきた。
「——今日はこれを着てろ」
そう言われて渡されたのは要のジャージ。
この学園の制服はワンピース仕立てなので、着替えるなら全部脱がなくてはならない。
だからといって、男子のジャージ……。
―—ジュースまみれになった制服のままでいるよりかはマシか。
「ありがとうございます」
お礼を言って紺色のジャージを受け取った。
別室で制服を脱いで要のジャージに着替える。
背の高さはもちろん、腕と足の長さも段違いである。
折っても捲っても、ずるずると落ちてきて手足を隠してしまう。
全くサイズの合っていないジャージに着替えて戻ると、要と桜は床に零れたジュースを拭いていた。
「すみません……鈴原さん」
「いえ、気にしないで下さい」
「要も……」
「……いつものことだろ」
自分も手伝おうとしたが、頼むから何もしないでくれと要に釘を刺された。
ソファに座って2人が作業を終えるのを待つしかなかった。
(あれ? 2人で床を掃除……これって2人の距離を近づけるチャンス……!)
要と桜は黙々と床と掃除しているのだが、祀莉にはそういう風に見えるのであった。
数分後、べたべたしていた床は綺麗になった。
時計を見てもう帰らなくちゃと言う桜の言葉で、祀莉たちも同じ時間に下校することにした。
それに汚れた制服をどうにかしなくてはならない。
祀莉を真ん中に、3人並んで校門に向かって歩く。
要のジャージを着ている祀莉はいつも以上に注目を集めていた。
(うぅ……恥ずかしい)
「でも、あの制服だともっと恥ずかしかったと思いますよ」
桜の言うことも一理ある。
ジュースまみれの制服よりも、まだこっちの方がマシだ。
「持って帰るのを忘れて助かった。昨日、使ってそのままだから汗臭いかもしれないけど、我慢しろよな」
「……」
ちょっとした出来心で、指先しか出ていない袖を口元に寄せて匂いを嗅いでみた。
特に汗臭いとは思わない。
微かに柔軟剤のいい香りがする。
(それと、これは——)
「要のにおい……?」
首を傾げて独り言のように呟いた。
「な……っ!?」
「か、かわ……!」
祀莉の言葉と愛らしい仕草に、要と桜はそれぞれ心の中で悶えた。
「あ、そうです! 要、今日は鈴原さんを送っていってあげてはいかがですか?」
“今日は”ではなくて“今日から”と、本当は言いたかった。
そして迎えにも行ってあげれば良い、月曜日から。
しかし桜はその申し出をあっさり断った。
「あ、大丈夫です! 家はすぐそこなんで!」
「え? でも……遠慮しなくても」
「本当です。近いからこの学園を受けたんですよ。じゃ、また月曜日!」
「…………」
(近いからで受かるものではないですよね、この学園……)
あのヒロイン、頭の方はかなりチートらしい。流石ヒロイン。
笑顔でサラッととんでもないことを言う。
あまりの衝撃に引き止め損ねてしまった。
夕日の中、小さくなっていく背中を静かに見送った。
それにしてもさっきから要の様子がおかしい。
祀莉と目が合ったと思えば瞬時に逸らし、桜が走って行った方向をじっと見つめている。
(やっぱり一緒に帰りたかったんですね……)
今日は要のためにと思って色々頑張ってみたけど、どれ一つとして成功しなかった。
「要、すみません……」
「だから、別に良いって。ほら帰るぞ」
差し出された手を無意識にとって、ゆっくりと歩き出した。
***
西園寺邸にて。
祀莉がジャージで帰ってきたことに使用人たちは驚いていたが、要の説明で全員納得した。
——またですか……。まぁ、そんなことだろうと思いました。
という言葉が表情ににじみ出ている。
才雅には「またぁ?」と笑われてしまった。
それほどまでに祀莉のドジっぷりは、日常的なものだった。




