23 ライバルの令嬢として
中間テストも無事に終わり、祀莉はある計画を実行しようとしていた。
それはライバルの令嬢として、ヒロインにちょっかいを出そうというものだった。
要が動かないのはこの学園において桜が平和に過ごせているから。
ヒロインを守る必要がないから要は焦りもせず余裕ぶっているのだ。
しかし、それでは困る。
続き……小説の続きを……。
最近までテストのことで頭がいっぱいだった。
それがやっとが終わり、癒しを求めて小説を読み荒らしていたら不意に思い出したのだ。
(この小説の物語が全然進んでいません!)
そもそも続きを知らない祀莉は進行具合として、現状がどうなっているのか確認できない。
もしかしたら物語通り進んでいるかもしれない。
だとしても、目に見えて2人の仲が進展していると感じないからモヤモヤするのだ。
(やはり、わたくしが動かなくては……)
頬杖をついて自分の席から要と桜を見ていた。
今日は珍しく2人が話をしている。
要の机に参考書と教科書を並べている様子から見て、話の内容は勉強のことだろう。
だとしても、2人があんなに近くにいるところを目撃するのはあまり見ない。
本当はずっとこうやって眺めていたかったが、実行するなら今だ。
——自分の婚約者と女子生徒が話している。
今ならこの理由でヒロインに手を上げることができる。
ほんの少し強めに頬を打つだけ。
楽しく会話をしている2人の間に入り込むのはちょっと心が痛むが、こうでもしないといつまでたっても話が進まない気がする。
自分の婚約者に気安く話しかけるなとでも言っておけば、要が桜を庇うだろう。
覚悟を決めて椅子から立ち上がる。
「祀莉? どうしたの?」
諒華の問いかけにも答える余裕なんてなかった。
脇目も振らず桜の方へと足を進めた。
距離が近づくにつれ、胸の鼓動が速く大きくなるのを感じる。
(……き、緊張します。でも……——やらなくては!)
緊張で強く握り込んでいた右手を開いて浮かせた。
後は振り下ろすだけ。
近づいてくる人の気配に気づいて桜は顔を上げた。
その人物が祀莉だと認識した頃には、手のひらが自分に向かっていた。
驚きと戸惑いで避けることもできずに、思わず目を閉じた。
「……!?」
祀莉の手は真っ直ぐに桜の頬へと……
——ぺちっ
(あ……っ、失敗です……!)
心を鬼にして——と思っていたが、やはり人に手を挙げることに抵抗があった。
桜の頬に届く寸前で躊躇してしまい、それでもやらなくてはという意志が働き、可愛い音が鳴るだけのビンタになってしまった。
「…………西園寺さん?」
頬に手を当てたまま固まる祀莉に、桜が恐る恐る声をかけた。
打たれると思って身構えてみたが、痛みは全く感じなかった。
何が起こったんだと不思議そうな顔で目をパチパチさせていた。
呆然としていたのは祀莉も同じだった。
時間が止まったような感覚。
祀莉の行動を目撃した者、していない者も含めて教室内の全ての生徒が、2人に注目していた。
その中ではじめに動いたのは要だった。
「祀莉っ! 何してるんだ!!」
「きゃ……っ」
桜の頬に当てたままの手を要に掴まれた。
そして反対側の腕が後ろからお腹に回され、ぐいっと後ろに引き寄せられる。
突然引っ張られたことによってバランスを崩し、要に倒れこむ形になってしまった。
(ちょっ、わたくしではなくて鈴原さんの方を——)
要が祀莉を羽交い締めにしている間に、貴矢が桜へと近づく。
じゃれあう2人を見ながら突っ立っていた桜の顎をくいっと持ち上げて、打たれた頬をまじまじと見た。
(なんてことをーー!!)
ほら、ご覧なさい。
自分なんかに構っているから、貴矢に先を越されたではないか。
確かに攻撃した祀莉を桜から離すことも大事だが、優先順位が違う。
可愛い印象を持つ桜と眼鏡が似合うイケメンはすごく絵になる。
一瞬、見蕩れてしまったがこうではないのだ。
(そのポジションは要のものなんですーー!)
桜は貴矢の行動に驚いた顔をしたが、すぐに我に返り自分の顔を掴んでいた手を振り払った。
「ちょっと! なにすんの!?」
混乱のあまり地が出てしまっている。
勤勉で礼儀正しいと評判の特待生。
普段、クラスメイトとはちょっとくだけた敬語で会話しているのを耳にしていたが、やはり普段はこういう話し方なのだろう。
パシッと手を振り払われた貴矢は、不快に感じた様子はなく、むしろ薄く笑みを浮かべていた。
「俺も気になってたんだ。良かったな。吸われる前で」
「え?」
貴矢の言葉に桜はきょとんとしていた。
祀莉も彼が言った“良かったな”の意味が理解できなかった。
(それに、吸われる前って……?)
「祀莉ちゃんの手、見てみ?」
「え?」
要に掴まれたままの手を指差して見るように促す。
みんなが祀莉の手に注目した。
(……わたくしの手? ——あっ!)
祀莉の手には、見事にしとめられた“蚊”がついていた。
……なんという偶然。
そして、この虫のおかげで祀莉の計画はまた別の方へと向かっていった。
「なんだ……」
「蚊がいたんですね……。ありがとうございました」
要がほっとしたように呟き、桜は祀莉の手のひらについた蚊をティッシュで拭き取った。
(またしてもお礼を言われてしまいました……)
恨まれるようなことをしたつもりなのに、なぜこうなる。
自分の思い切りが悪かったこと。
蚊をしとめてしまったこと。
この偶然がまたもや祀莉を悪役令嬢から遠ざけた。
「なんだ、蚊がいたのか……」
「西園寺さんが急に動いたからびっくりしたよ」
「もうそんな時期か」
見ていた生徒たちはさっきの騒動は“蚊”によるものだと納得して、その場は解散というように散り散りになった。
あんなに勇気を振り絞ったのに、自分の行動に成果がなされなかった祀莉は呆然とするしかなかった。
そんな時、貴矢がとんでもないことを言い出した。
「いやぁ、びっくりしたね。要はあれじゃないの? 祀莉ちゃんが嫉妬したと思ったんじゃない?」
(ちょっと!! そう言う冗談はやめて下さい!)
またそう言って自分が有利になるように仕向けようとする。
なんてずる賢いやつなんだろう。
「…………」
要もはやく否定すれば良いのに何も言わない。
羽交い締めにされている自分からは見えないが、“そんなわけねぇだろ”と馬鹿にした笑みを浮かべているに違いない。
だったら、とっととこの手を放してほしい。
(なんでこうも、うまくいかないんでしょう……)
——作戦は失敗した。
しかし、このままでは引けない。
今度こそ、と意気込んだ祀莉はもうひとつ用意していた作戦を決行しようと決めた。
「鈴原さん!」
「あ、はいっ」
突然の呼びかけに驚きながらも桜は返事をした。
「今日の放課後、体育館裏にきて下さいっ!」
「えぇ!?」
祀莉の言葉で、再び周囲がどよめいた。
果たし状!
——なんて持ってないが、左手袋も一緒に投げつけるくらいの意気込みで宣戦布告した。
“体育館裏”というワードだけで、祀莉が何をしようとしているのかは理解したはず。
「祀莉、なに言ってんだ? そこは——」
「要には関係ありませんっ!! わたくしは鈴原さんと2人で話がしたいんです!」
「……」
(い、言ってやりました……!)
珍しく強気な口調の祀莉に要は押し黙った。
勢いで逆らってしまい心臓はバクバクだがもう遅い。
どんなに睨みつけられても怯むものか。
お願いだから、今日だけは邪魔をしないでいてほしい。
それでも、気になった要は桜の後をついて来るだろう。
というわけで、祀莉にネチネチ言いがかりをつけられ、桜が泣きそうになっているところに颯爽と登場!
華麗にヒロインのピンチを救う!というような状況を用意してあげれば、好感度アップ間違いなし。
(あぁ、きっと鈴原さんを抱えるようにして、わたくしから庇うのでしょうね……)
後ろから要に抱えられながらそんな想像に浸る。
「鈴原さん、絶対に来て下さいね?」
「えっと……はい」
桜は控えめに返事をして、祀莉の後ろにいる要の顔を窺う。
「…………」
見るからに不満そうな表情。
そんなことは知らず、祀莉は自信に溢れる笑顔を浮かべていた。
(今度こそ、上手くやってみせます!)




