02 ある意味、悪い令嬢
祀莉が手にしているパンフレット。
金色の文字と豪華なデザインで大きく印字されている文字。
私立華皇院学園。
「なんて仰々しい漢字だこと……」
そう口にした瞬間、おかしな感覚に襲われた。
(——あれ? 以前も同じことを思ったような気が……)
幼い頃とか、そんなのじゃない。
もっと前。
そう、たとえば生まれる前に……。
聴覚ではなく視覚から取り入れた学園の名前。
それによって、だんだんと記憶が蘇っていた。
泉の底に眠っていた記憶が、投じられた小さな石で沸き上がってくるように……波紋が広がるように、一瞬で頭の中が他人の記憶で満たされた。
なんだか見覚えがあるような、懐かしいような……。
しかし、祀莉にはこんな記憶に心当たりがまるでなかった。
不思議な感覚を味わいながら、祀莉はついにその正体をつきとめた。
それは前世の情報だった。
名前は……なぜか思い出せない。
情報量は少ないが、一気に押し寄せてきた記憶に頭がふらついた。
何が起こったのか冷静に理解するため、流れてきた情報を整理してみることにした。
彼女——祀莉自身であることに変わりはないが、便宜上、他人として扱うことにする——はずっと病院のベッドで過ごしていた。
病弱ですぐに疲れてしまうため、病室の外に出ることは許されなかった。
ただ時間が流れるだけの日々を過ごしているだけだった。
そこで手を出したのは漫画や小説。
退屈な時間を紛らわせるのにはうってつけだった。
友達に何でも良いから読むものを貸してくれと、頼んで持ってきてもらったもの。
ほとんどが恋愛メインの話だった。
まあ、何でもいいやと適当に読んでいたが、いつのまにか彼女は読書に夢中になっていた。
退屈な入院生活が小説さえあれば良いとすら思うようになり、気に入った作者の作品ばかりを読んでいた。
しかし、彼女は小説を読んでいる最中で容態が急変し、そのまま他界した。
楽しみにしていた小説を読み終えないままに——。
(あぁ……、なんてもったいないことを……!)
病気に勝てなかった前世の自分を責めたくなる。
もし容態が急変しなければ、続きをキュンキュンしながら読み進めていただろう。
いや、容態が悪化しても読み続けていた。
最後の記憶は看護師に小説を取り上げられているものだった。
てこでも放そうとしなかった前世の自分に痺れを切らした看護師が、「後でいつでも読めるから!」と言って小説を奪っていった場面を鮮明に思い出した。
……嘘つきめ。
なんて、回想するように前世の記憶を思い出していた。
そして沸き上がってきた感情。
——それは、後悔。
普通の人間なら一度で良いから〜〜がしたかった、食べたかった、行きたかったとか、そういった類いのものだろう。
しかし、彼女は違った。
——小説の続きが気になる。続きが読みたい!
もう、彼女の記憶ではなく祀莉自身の願望なのだが、この際どちらでも良い。
2人は同一人物なのだから。
ただ、前世がどうのこうのと言われても実感がない。
自分は次の人生——祀莉としての人生を歩んでいる。
たとえ自分のものだったとしても、こんな記憶を押し付けられてどうすれば良いのだ……。
しかし、気づいた。
今、自分が生きている世界がその小説の世界だ。
自分の名前、西園寺祀莉は登場人物欄の中にあった。
来年から通う高校の名前然り、やはり自分は小説の中の世界に転生したのだ。
つまり、ヒロインを見つけて観察していれば、小説の内容を目の前で現実として見れるというわけだ。
(なんて幸運! まずはヒロインの名前を思い出さなくては……)
祀莉は冷静になってまだ読み初めだった小説の内容を思い出す。
ヒロインの名前は——鈴原桜。
なんて爽やかで可愛らしい名前なのだろうか。
そして他の情報を思い出して、ふと気がついた。
その物語の登場人物にはもう1人、祀莉の知っている名前があった。
その人物とは祀莉の婚約者であり、天敵でもある男、北条要だった——
……うわぁ。
まさかこんなにも身近な人間が……って、ちょっと待って。
自分の婚約者がヒロインの相手だとすると……——
頭の中でページを読み進める。
もちろん、読んだとこまでしか記憶されていない。
一言一句全てを覚えてるわけではないから、記憶が全部正しいとも限らない。
それは仕方がないか、と思いながら大まかな内容を復習いながら辿り着いたのは桜と要の出会い。
そこに西園寺祀莉が登場していたのだ。
悪役令嬢よろしくヒロインに絡み、なんやかんやといちゃもんをつけて、そこに要が止めに入るというありがちな展開。
もちろん要はヒロインを庇い、婚約者であるはずの祀莉には謝罪するよう要求していた。
登場の仕方といい、場面といい、これは明らかに悪役令嬢のポジションだと祀莉は気づいた。
(わたくしが悪役……!? それに、要がまさかのヒロインの相手……)
祀莉の婚約者、北条要。
容姿端麗、頭脳明晰、スポーツも芸術分野も難なくこなす、パーフェクト人間。
現在は、来年に祀莉が入学する私立華皇院学園の中等部に通っている。
そこに通う生徒たちには王子様と呼ばれているらしい。
(それは要の本性を知らないから……)
幼い頃から祀莉は彼を知っている。
だからこそ、キラキラと笑顔と愛想を振りまく王子様ではなく、でっかい態度で王様をやっている姿が目に浮かんだ。
昔はさんざん彼に振り回されたものだ。
しかし、そんな彼もいずれヒロインにメロメロになっていくのかと思うと、これは見逃せないと思った。
ヒロインと言えば……彼女は一般の人間だから祀莉たちの様に「はい、どうぞ」とは入学させてもらえない。
入れる方法と言えば、特待生枠を利用すること。
小説ではこのシステムを利用して入学してきたと思う。
この時期には特待生を含み、入学する生徒はすでに決まっているだろう。
さっそく祀莉は父親に新入生の名簿を取り寄せてほしいと頼んだ。
そして後日、届いた名簿に目を通す。
すでにクラス分けされており、探し出すのは簡単だった。
クラス分けは家のランクによって振り分けられる。
祀莉は当然Aクラス。
婚約者の要も同じクラスだが今はどうでも良い。
目的の人物を捜す中、特待生と書かれている生徒を見つけた。
もちろんその人物はヒロインである鈴原桜。
——もう、ここまで来たら間違いない。
ここは小説の世界だと確信した。
自分が悪役令嬢と知ったからには、大人しくしておくのが自分の身のためなのだろうが……しかし、小説の続きが気になる。
自分好みの物語を書く作者だったので、この作品もきっと満足のいくラストなのだろう。
最後はハッピーエンドなのでしょう、そうでしょう。
幸せそうに寄り添う2人を頭に思い描き、祀莉はうっとりとした笑みを浮かべた。
ライバルの令嬢からもたらされる数々の嫌がらせ。
それを乗り越え最後はハッピーエンドで結ばれる2人。
だいたい恋愛小説の流れってこんなものだろう。
見たい見たい!
はやく入学式が来ないかと胸を躍らせた。
どうせ自分は当て馬。
要とは親同士で勝手に決められた婚約だし、本人同士は「あ、そうですか」程度の認識。
むしろ、昔から傍若無人な要に恐怖して過ごしてきた祀莉にとっては、笑顔で押し付けたい相手だった。
つまり、目の前で小説の続きが見れる上、人を人とも思っていない婚約者から解放されるという素晴らしい展開が待っている。
——よし、
「わたくしの願望のために、ヒロインと要をくっつけましょう!」
西園寺祀莉。
自分の欲望のためには婚約者を差し出すことも辞さない、ある意味、悪い令嬢だった——