13 密着しすぎなのでは……?
「——なんですの? その髮。貴女ごときがパーマなんかかけて、生意気でしてよ」
花園グループの令嬢、花園珠理亜が発した言葉は、祀莉が桜に言うものだった。
本当は登場時に言っていなければならないセリフなのだが、自分が惚けていたせいで機会を失ってしまったのだ。
そのセリフをそのまま口にする珠理亜。
なんだか、どんどん自分の役割を奪われていかれいる気がする。
お願いだから、彼らの——自分の邪魔をするのはやめてほしい。
席を立ち、祀莉にしては俊敏な動きで、桜と珠理亜のいる場所まで移動した。
「やめてください! 花園様!」
発した言葉は思いの外大きく、祀莉の声で教室が一瞬、静まり返った。
桜を背中に庇うように珠理亜と対峙する。
珠理亜は鋭い目つきで祀莉を睨みつけたが、自分の相手にはならないと思ったのか、ふんっと鼻で笑った。
(うぅ……)
一瞬、怯んでしまいそうだったが、ここで負けたら完全に役目が奪われてしまう。
それは絶対ダメ。
震えそうになるのを我慢して祀莉は精一杯睨みつけた。
その姿が小動物の小さな抵抗のように見えたとしても……。
見守る生徒たちは、今度は別の不安に見舞われた。
ここで珠理亜が祀莉に手を上げようものなら、要が黙っていないだろう。
祀莉と2人でいるところを見たのは今日がはじめてだが、彼女を大事に思っていることは要の様子で気づいていた。
高等部からは自分の婚約者が入学して来ると話していたときの嬉しそうな顔。
可愛い女子生徒にはとりあえず声をかける貴矢に、「祀莉には近づくな」と何度も釘を刺していた。
そして今朝の登校時、手を繋いで歩く仲睦まじい姿。
女子生徒には一切、笑顔を見せず、あわよくばお近づきになろうとするものには、冷たい言葉と態度で突き放していた。
ここにいる珠理亜も何度か要の逆鱗触れて怖い目に遭っているはずなのに、なぜまたやってくるのか。
要に近づいて来る姿を見るたびに、彼らは不思議で仕方なかった。
よほど神経が図太いのだろうか。
「西園寺さん……」
桜が自分を庇ってくれている祀莉の名前を呼ぶ。
「え……西園寺……ですって?」
緊張感が漂う教室の中。
1人だけ、珠理亜だけが目の前の1年生の名字を聞いて固まっていた。
この学園のAクラスで西園寺なんて、四大資産家のひとつ“西園寺グループ”しかありえない。
気づいてしまった珠理亜の顔がさぁ……と青くなった。
「わ、わたくし……失礼しますわっ!」
さすがにまずいと思ったのか、珠理亜は怯えるように出口に向かい、教室を出ると一目散に自分の教室に逃げて行った。
わぁ……っと拍手が沸いた。
「す……素敵ですわ、西園寺様!」
「さすが西園寺さん。今朝の噂は本当だったんだ」
「かっこいい……」
周囲からしてみれば祀莉がとった行動は、身を挺して桜を庇ったようなもの。
そんな祀莉にクラスメイトたちは賛辞の言葉を送っていた。
「西園寺さん、ありがとうございます」
深々と頭を下げる桜。
(違う……、違うんです! こうじゃないんですけど……)
なぜか、自分がやろうと思っているのと違うところに向かっているような気がする。
悪役令嬢がヒロインを庇ってどうするんだ。
「祀莉……お前……」
要が大きく目を見開いて祀莉を見ていた。
(しまった! もしかして、これは要の役目でもあったんじゃ……!)
わざわざ自分が前に出なくても、要がこの場を収めたに違いない。
ヒロインに良いところを見せて好感度アップのチャンスだったのだ。
それを奪ってしまった。
要はみるみるしかめっ面になっていく。
自分がやってしまったことの重大さに気づいた祀莉の顔が青くなる。
(怒られる……!)
思わず要に背を向ける。
ギロッとした視線を感じて一瞬、体が震えた。
「どうしたの祀莉ちゃん、大丈夫? もしかして怖かった?」
「えっ!? ひゃあ……っ」
祀莉の変化に気づいた貴矢が無遠慮に顔を覗き込んできた。
女子中学に通っていた祀莉は、要と弟以外の同学年の男の子と接するなんて小学校以来だ。
いや、小学校でもまともに関わったことがない。
だというのに、男子生徒のいきなりのどアップに驚いた祀莉は、反射的に距離をとろうと後ろに下がった。
しかし、足がもつれてしまい、体のバランスが崩れて後ろへと倒れそうになった。
踏ん張って体勢を整えられるほど祀莉の運動神経は良くない。
どんどんと反転していく視界の中、痛みを覚悟した。
——ぽすんっ
(え……?)
思っていたのと違う感覚。
硬い床にお尻をついたにしては全然痛くない……むしろ柔らかい。
それと、視線が高い。
(あれ? あれあれ……?)
「お、要。ナイスキャッチ!」
「へ……っ!?」
祀莉が着地した場所は要の膝の上だった。
ずり落ちないように腰に手が回っている。
(うわぁっ! ま、また嫌味を言われます!)
勝手に転んだ祀莉を、あの憎ったらしい笑顔で上から嘲笑うという図が頭に浮かんだ。
慌てて要の上から降りようとするが、足が地面に届いてない。
腰に回った腕が邪魔で身動きも取れない。
桜の目の前でこの体勢は非常によろしくない。
(どうして受け止めたんですか……!?)
今の場合だったら、椅子に座っていたとしても、倒れてくる自分を簡単に避けられるはず。
ここは“俺、こいつになんか興味ないから”と一切手を出さないのが得策なのではないか?
祀莉と要がくっついているところを見たら、ヒロインが勘違いしてしまうだろう。
(なのになぜ……?)
祀莉の頭の中は疑問でいっぱいだった。
しかしこの行動には何か裏があるはず、そう考えて思いついた。
——そうだ、これは“俺は紳士だぜ”アピールだ!
見た目と態度はアレだけど、中身はいい人なんだぜと桜にアピールするために祀莉を利用したのだ。
現に要は桜の方を窺うように見ている。
たとえ鬱陶しい婚約者でも蔑ろにしない、優しい男だというところを見せつけようとしている。
(でも、それにしては密着しすぎなのでは……?)
きっと要はとっさの判断でそこまでは考えていなかったのだろう。
「おい、貴矢……」
「いや、悪気はなかったんだって……。ごめんね」
桜の隣にいた貴矢が手を合わせて謝った。
すまなさそうにしているが、顔は笑っていた。
「あー、そっか! 祀莉ちゃん、前は女子中学に行ってたから、男の子に耐性ないんだっけ。でも、要は平気なんだ!」
ニヤニヤする貴矢の横で、桜は要の膝に乗ったままの祀莉を見ていた。
(まずい、誤解を与える前に訂正しなくては……)
これは要に協力しているんであって、別に平気というわけではない。
むしろ、この後何をされるか……もしくは何を言われるか祀莉は気が気でなかった。
その上、要の腕に支えられていると意識した途端、恐怖が沸いてきて体が震えはじめた。
はやく離してほしいという祀莉の願いとは裏腹に、腰に回された腕に力が込められる。
(要が怒っています!! 秋堂君が余計なこと言うからっ!)
さっそくライバルである要をヒロインから遠ざけようと試みているのだ。
祀莉と要の仲が良いと認識させ、彼女の中の恋愛対象から外そうとしている。
(やりますね……、さすが要のライバル!)
要もその意図に気づいているんだろう。
桜の手前、見苦しいところを見せられないと我慢して、祀莉に八つ当たりをしているに違いない。
今、祀莉は腰に回された腕と要の体にはさまれて軽く締め付けられている状態だ。
痛くはないが、要から圧力をかけられているのだと感じて、精神的に苦しい。
少し否定するのが出遅れたからって、これは横暴じゃないか。
だったら自分で訂正するなり、祀莉をはやく離せば良いだけの話。
(なのに……どうして未だに、わたくしを抱えているんですかぁ!)
要の行動に祀莉はますます混乱するばかりだった。