12 ヒーローにもライバルがいるなんて……
教室の扉付近で祀莉は1人の男子生徒に声をかけられた。
初めて会ったのはほんの一時間前——のはずだが、彼のことはそれ以前から知っていたような気がする。
もし、どこかで会って知り合っていて、自分が忘れていたのならかなり失礼だ。
気を悪くさせてはいけない、と祀莉は必死に思い出そうとした。
(う〜ん……でも、どこで……。——あぁっ!)
この時、祀莉の中である記憶が蘇った。
前世での記憶。
小説を手にとったとき、誤って先のページを開いてしまった。
偶然開いたそのページには挿絵が描かれていた。
——そう、今、祀莉に話しかけてきたこの男が描かれていたのだ。
祀莉は小説を読む時、挿絵はさらっと見て次のページに進む。
文章を楽しみたいので、イラストとしての情報はほとんど記憶になかった。
特に表紙は初めからブックカバーがかかっていたので見てもいない。
名前と小説に書かれていた容姿の情報だけで登場人物を判断していた。
もしかして、この男の名前は——
「あの、お名前を聞いてもよろしいですか?」
「え? 俺の名前? 秋堂貴矢って言うんだ。よろしくねー」
祀莉に問いかけられた男子生徒は自分の名前を名乗り、にこりと笑った。
(やっぱり……!!)
登場人物一覧に名前が出ていた。
フライングで見てしまった挿絵は桜を挟んで要と言い合いをしているような構図。
この男、要のライバルに違いない。
(ヒーローにもライバルがいるなんて……)
ライバルが祀莉だけなら、自分がどうにかすれば2人はなんの障害もなく結ばれるはずなのに、まさかの展開である。
秋堂貴矢。
小説内では味方のはずだが、現実では祀莉の敵だ。
2人の邪魔はつまり、自分の邪魔。
そりゃあ、少しくらいは障害があった方が盛り上がると思うけど、万一この男にヒロインが靡くようなことがあったら困る。
そうと知ったからには、この男をなんといかしなくてはならい。
「ねぇ、祀莉ちゃん。今度、俺と——痛っ……いててててててっ!!」
「おい、貴矢。またお前は……」
貴矢の背後には要が立っていた。
肩を掴む指がだんだんと食い込んでいく。
込められている力が半端なく強いことは、彼の表情と叫び声で誰もが理解できた。
「いやぁ……要をじっと見つめている祀莉ちゃんが可愛かったからつい……」
(え……見つめていた? わたくしが?)
クラスに馴染んでいる要が珍しくてそれを見てはいたが、見つめているほどでもなかったと思う。
しかし、クラスメイトには自分から離れていった要を不安な目で見つめている、というふうに見えていた。
それをふまえて貴矢は祀莉にちょっかいを出したのだ。
祀莉にというよりも、要にと言った方が正しいかもしれない。
「祀莉には近づくなと言っておいただろう。その手をどけろ、早急に」
貴矢の手は祀莉の頬を撫でるように添えられていた。
(あら、いつの間に……)
いつものごとく自分の世界に入って考えごとをしていた祀莉は、貴矢の行動にまったく気づいていなかった。
周囲から見ると完全に口説かれている場面だった。
「いや、でもこんなに可愛いなんて……いたいっ! 分かった、分かったから!」
やっぱり要の王様は健在だった。
なんとか要の手から逃れた貴矢は、仕返し!と言いながら要に掴み掛かった。
要はひらりと避けて自分の席に向かっていった。
貴矢もその後を追いかけるようにして祀莉のもとから去っていった。
喧嘩……というよりは、じゃれているように見える。
そんな2人がこれからヒロインを取り合うのだ。
(できれば秋堂君には諦めてほしいんですけど……)
「祀莉様、こっちですわよ」
すでに自分の席に移動していた諒華が祀莉の名前を呼んだ。
織部と西園寺。
入学式で隣の席だったように、教室では前後の席だった。
1人で使うには贅沢なシステムデスク。
ゆったりと座れるイス。
ひとつの机に一台ずつノートパソコンが設置されている。
一目でお金がかけられていることが分かる。
男女混合の名簿順。
祀莉は日当りの良い窓際の一番後ろの席だった。
(サ行で窓際の一番後ろなんてラッキーです。それに……)
次の列の一番前に桜。
そしてその隣の席が要だったのだ。
生徒の数は20人。
他のクラスと比べて少人数だが、鈴原と北条が隣に並ぶなんて滅多にないだろう。
(これぞ運命ですね!)
この学園のクラスは家のランクによって振り分けられる。
上のランクからクラスをあてがわれるので、それぞれのクラスにばらつきが生まれる。
そのせいか、Aクラスにはカ行とタ行がいなかった。
ちなみに廊下側に近い一列は食品会社大手・鷲塚一族の令嬢子息が並んでいた。
全員、いとこらしい。
自分の席に座ったまま、教室を見渡した。
(想像していたのと違います……)
もっと気取っていて、お互いに干渉しないスタンスだと思い込んでいた。
桜は数人の女子生徒と楽しそうに会話している。
(意外です。ちゃんとクラスに馴染めてます……)
こういうお嬢様、お坊ちゃまが集まる学校では、庶民がどうのこうのって嫌味を言われるものだと思い込んでいた。
(小説の読みすぎでしょうか……)
自分と桜を除く他の生徒は中等部からのクラスメイトだろう。
中等部のクラスもランク分けされていると聞いた。
家のランクはそうそう変わらないから、このクラスの生徒はほぼ顔見知りだ。
祀莉は季節外れの転校生な気分になった。
諒華も持ち上がりクラスの1人らしく、2人の女子生徒に「久しぶり〜!」と挨拶されていた。
「ごきげんよう」
「おはようございます、西園寺様」
「え……あっ、おはようございます」
諒華と話していた2人組が、祀莉に話しかけた。
突然の挨拶にうまく反応できなかった。
女子生徒とは普通に話せると思っていたが、やはり知らない相手は緊張する。
星川、三森と名乗る女子生徒は、明るい調子で話し始めた。
「今朝の噂、耳に致しましたわ」
「あの花園様を追いはらったとか」
「え……いや……」
追い払ったのは祀莉ではなく要だ。
しかし、訂正する隙もなく話し続ける2人に祀莉は圧倒されるばかりだった。
「2年A組、花園珠理亜。花園グループのご令嬢なのですけれど、なにせ傲慢でわがままで……」
「中等部の頃はずっと北条様を追いかけてらしたわよね」
「そうそう。睨まれて追い返されても、数時間後にはまた同じように……」
「ほら、ご覧になって。今も堂々と1年の教室に押し掛けてきましたわ」
目で促された方向に顔を向けた。
今朝、校門で群れをなしていたリーダー格の女子生徒が図々しくも教室に入ってきているではないか。
一生懸命話しかけているが、要は鬱陶しそうしている。
それでも令嬢に気にした様子はないようだ。
あの女子生徒も小説になにか関係しているのではないかと記憶をたどったが、登場人物欄に名前がなかったことから多分違うのだろう。
(なのに自分よりも悪役令嬢らしい名前ですよね……)
他の生徒には目もくれず、要の席の前を陣取り「フランスのお土産です!」と、綺麗にラッピングされた箱を差し出していた。
周囲の生徒は、見るからにイライラがにじみ出ている要がいつキレるか不安な顔をしていた。
——空気を読んで。察して。帰って。
彼らの気持ちが手にとるように伝わってきた。
しかし、まるで気づいていない珠理亜はにこにこと笑っている。
ふと、何を思ったのか彼女は視線を横にそらせた。
その視線の先——要の隣の席には桜がちょこんと座っていた。
「あら、あなた……」
その女性生徒が注意していた特待生であることに気づいたようだ。
「北条様の隣なんて、何様のつもり?」
「え……名簿順……」
今度は桜につめよった。
上から下までジロジロと不躾に視線を這わせる。
綺麗にセットされたカールをかきあげて言い放った。
「それに、なんですの? その髮。貴女ごときがパーマなんかかけて、生意気でしてよ」
(ちょっと待って下さい! それ、わたくしのセリフですってばーー!!)