11 誰もが羨むAクラス
「——り、——ろ」
いつの間にか祀莉はぐっすり眠っていた。
要が名前を呼ばれて壇上に上がったところまでは、はっきりと意識がある。
「——おい、祀莉。起きろ!」
ふわふわした感覚。
まだ眠っていたいのに、強引に肩を揺すられて夢の中から引き戻された。
この声は……——
「んぅ……かなめ?」
うっすらと開いた視界に要の姿が映る。
講堂内は明るくなっており、ガヤガヤとした人の声と動きですでに式が終わっていることに気づいた。
「あぁっ、すみません! 要の声を聞いていたら急に眠気が……。その、決して退屈だったわけでは……あっ!」
そこまで言ってはっと気づいた。
今、自分は要の挨拶を聞いていないと白状してしまった。
——ヤバい。
自分の挨拶を聞いていないと知った要は、鬼のように怒るに違いない。
「心地よかったですものね。北条様の声。大丈夫ですわ、寝ている人はたくさんいましたから」
すかさず諒華がフォローをいれる。
が、果たしてそれはフォローなのか、いまいち判断しがたい。
寝てる生徒がいたって言われたら、逆にもっと怒るんじゃないだろうか。
しかし、それに便乗するしかこの場を切り抜ける手段はない。
「そ、そうなんです。昨日、緊張してあまり眠れなかったので、その……要の声を聞いていて安心したと言いますか……」
こうなったら褒めるしかない。
手段を選んでいられない祀莉は、ひたすら言い訳まじりの賛辞の言葉を並べた。
「要の声はとても耳に心地よいですから、聞いているとつい……。とても綺麗な声ですから聞き入ってしまって、いつの間にか眠ってしまったんです……。だって要の声はわたくし好みで……——」
「祀莉様、祀莉様。もうその辺になさった方が……」
「え?」
諒華にストップをかけられた祀莉は我に返って要を見上げた。
要は顔をおさえて遠くの方を見ていた。
(しまった、やりすぎました……!)
きっと気持ち悪いと思われているに違いない。
機嫌を直してくれればと褒めに褒めたのだが……調子に乗って言い過ぎたようだ。
要の声が自分好みというのは嘘ではない。
声優になれば間違いなく売れる。
そう考えたことが何度かあった。
「すみません。今のは忘れて下さい……。せっかくの要の挨拶で眠ってしまって、すみませんでした」
最後の手段。
素直に謝る。
これ以上はどうすることもできない。
「もういいから。教室に行くぞ」
「はい……」
てっきり雷が落ちると思っていたが、意外にもあっさり許してもらえた。
拍子抜けした祀莉は、差し出された手を無意識に掴んで立ち上がる。
「あら? 鈴原さんは?」
「鈴原? ——あぁ、特待生か。あいつはもう教室に行った」
「ご一緒に行かれなかったんですか?」
「なんでだ? 迎えにくるって言っただろ?」
そういえばそうだった。
そう言った手前、迎えにこないわけにはいかなかったわけですか。
邪魔をしてすみませんねぇ。
(あ、これも邪魔していることになるのですね)
確か……と前置きして諒華が思い出すように言った。
「鈴原さんって北条様の隣に座っていた方ですわよね。祀莉様、時折ご覧になっておられましたが……気になりますか?」
「えぇ、もちろんです」
2人だけの甘々な世界を目撃するため、できるだけ目を離さないよう努力している。
諒華と話している最中も何度も盗み見していた。
式が始まってからは暗くて見えにくかった上に熟睡してしまっていたから、見逃してしまったけど。
少しでも何か進展があったのだろうか。
終わった時の2人の様子でそれだけでも分かったかもしれないのに、眠ってしまうとは……。
残念だ、と祀莉は肩を落とした。
「だから勘違いするなと言っているだろう」
「あ……はい」
要に睨まれてしまった。
さっきから勘違いするなばかり言われている気がする。
今度はいったい何に対して勘違いするなと言っているのか、まったくもって心当たりがなかった。
こういう時は大抵、頷いておくと勝手に納得してくれるので、何か言われない限りはこの姿勢を保っておけば良い。
前を歩く要の手元を見て、祀莉は自分の鞄を持っていないことに気づいた。
「あ、すみません。四方館に鞄を置き忘れていました。取りに行ってきますので先に教室へ行って下さい」
そう言って諒華と要の側を離れた。
先に行って桜とゆっくり話していれば良い。
と思ったが、なぜか要がついてきていた。
いくら広い校舎とはいえ、さっき見せてもらった校内図でだいたいの配置は頭に入っている。
もし、分からなくなっても誰かに訊けば良いことだ。
自分の婚約者が迷子になっているのがそんなに嫌なのだろうか。
——そんなプライドより、ヒロインとの時間を大事にしてほしい。
なんて考えながら四方館に置き去りにしていた鞄を持って教室へ向かった。
祀莉がちゃんと校舎内を把握しているのか確認するためなのか、要は黙ったまま数歩離れた後ろからついてくるだけだった。
春休み中に綺麗に改装されたという廊下を歩く。
進む先にいる生徒は祀莉の存在に気づくと素早い動きで道をあける。
ありがとうございます、とお礼を言えば、女子生徒は嬉しそうに小さく声をあげた。
しかし、男子生徒は逆に顔色が悪くなっていく。
蛇に睨まれた蛙のようだ。
(いったいどうしたんでしょう……?)
後ろにいる要が蛇のように睨んでいることには気づかず、祀莉はその様子を不思議に思うだけだった。
この学園の校舎は学年で階が分かれているのではなく、クラスで分けられていた。
Aクラスは大きい方の校舎、一ノ棟の2階に設けられていた。
一つ上の階にBクラス、Cクラス。教室の広さはAクラスの半分だという。
別の校舎、ニノ棟の3階にDクラス、Eクラス、Fクラスがあり、さらに教室は質素なものになっている。
質素といっても他の私立の学校よりは、かなり良い待遇だ。
超豪華待遇のAクラスに比べればその待遇なんて霞んでしまうだけ。
誰もが羨むAクラスの教室の前。
扉とにらめっこする祀莉の心臓は、大きく鼓動を響かせていた。
(き、緊張します……)
教室に入りたいけど、心の準備がまだできていない。
開いていればまだ良かったものの、祀莉の前にある扉は完全に閉ざされていた。
この先にクラスメイトがいる。
また、孤立してしまうのだろうか。
誰も近寄ってこない、1人きりで過ごす休み時間。
先生すらも何も言ってくれない。
要が支配するクラス。
悪役令嬢として嫌われ役になるのだから、別に構わないと思っていた。
どうせ友達なんてできないから、悪ぶっておこうと……なのに——
——体が震える。
「祀莉」
「―—っ!」
肩に手が置かれ、祀莉は跳び上がりそうになるほど驚いた。
そうだ、要も一緒にいたのだ。
「大丈夫だ、俺がいる」
(あなたがいるから、わたくしは独りなんです……!)
そう叫びたかったが、そんなことができるはずもなく、言葉を飲み込んだ。
祀莉の気持ちを知らない要は、扉を開いて堂々と教室に入っていった。
要の隙間から見える室内。
今日から過ごす教室が想像以上の広さで驚いた。
「ほら、入れ」
「あ……はい」
扉の側で教室に見入っている祀莉に中に入るように促した。
そんな仲睦まじさを見せつけるような2人に、クラスメイトたちの視線は一気に注がれた。
「あ、要だ。久しぶり!」
「なー課題やってきたかー? ちょっとみせてくれよ!」
「……また忘れたのか? 高等部でもこれではまた先生に叱られるぞ」
「違うって! 分からないところがあったんだって!」
(……え?)
次々と要のもとに集まる男子生徒たち。
学園では王様然としてみんなに怖がられているものだと思っていたのに、意外とフレンドリーな感じだ。
(小学校と同じく、絶対王政の恐怖政治だと思ったのに……)
見たことのない要の態度に啞然としていた。
そんな祀莉の肩に、ぽん、と手が置かれる。
「っ!」
「やっほー。さっきぶりだね。君が祀莉ちゃんかぁ……」
「はい?」
軽い挨拶で祀莉の名前を口にしたのは、代表控え室の外で会った男子生徒だった。
さっきも感じたかが、どこかで見たのか、それとも会っているのか。
彼の顔には見覚えがあった。
焦げ茶色の髪。
優しく微笑みかける瞳が、眼鏡越しに祀莉を見ていた。