その後のこと 2
(む〜〜……もう少し桜さんとお話ししたかったです……)
ちょっとむくれながらスマホを要へと返す。
受け取った要は画面を操作しながら、どすんっと隣に腰掛けた。
髪はしっとりと濡れていて、お風呂上がりの良いにおいがする。
「泊まっていかないのか?」
「はいっ!?」
石鹸の匂いに気を取られていた祀莉は、要の質問に驚いて声をあげた。
「な、なな、なに言ってるんですか! かか、帰りますよ!?」
「なに今更恥ずかしがってんだよ。つい最近までここで寝泊まりしてたじゃねーか」
「う……、それは……そうなんですけど……」
(それとこれとはわけが違います!)
あの時は西園寺家に誰もいなくて、最終手段としてお世話になったが今は違う。
両親も帰国しているし、使用人もちゃんといる。
帰る家があるのに要のところに泊るなんて、父親が許すはずがない。
「わたくしが帰らなかったら、みんな心配しますし……、お父さまだって……」
「お前の家には連絡済みだ」
「はい!?」
「ちなみに、小父さまは夜は遅くて朝も早いから気にしなくても良いって、小母さまが言ってた」
だから問題ない……と。
祀莉のお泊まりを母親が直々に許可を出したという。
(お、おお、お母さま……!?)
冬休みの時もそうだが、年頃の娘をあっさり男の家に預けすぎだ。
──いや、母親の要への信頼は厚い。
祀莉の意見よりも要の意見を優先するし、要が一緒にいれば大丈夫だと確信を持って祀莉の外出を許可する。
(わたくしだって、しっかりすればちゃんと1人でどこにでも出歩けるように……なり……ます)
心の中で呟くが、だんだんと自信が遠のいていく。
要が一緒じゃない買い物が祀莉にとってどんなに危険なことかは、先日のショッピングモールで思い知った。
(桜さんにも言われましたしね……。誰かと一緒に来るべきだって)
まさか家の人間を連れて行くわけにもいかず……。
その点で言うと要との外出は気が楽だ。
祀莉の趣味を知っても特に否定することがない。
尚且つ、買い物の内容を詮索されたくないという祀莉の性格を把握して、あえて距離を置いた場所に移動してくれる。
(知らない人に声を掛けられて焦っていた時は、ちゃんと助けにきてくれましたし……)
親切な店員にまで睨みを利かせるのはやりすぎかと思ったが……。
それでも何ごともなく買い物ができるのは、要のおかげなんだと先日の件を経て改めて実感した。
──と、まぁそれはそれとして。
理由もなく要のマンションにほいほいと泊まるのは、よろしくないと思う。
第一、着替えはどうするのか。
「泊まるにしても着替えがありませんので……」
「着替えならちゃんと用意があるから安心しろ」
「へ……? よ、用意って……?」
せっかく良い口実を見つけたのに、とんでもないことが発覚した。
祀莉が持参した着替えは全部持って帰ったはず。
なのに……用意がある?
「冬休みに祀莉が泊まりにくると聞いた俺の母親が、春江と一緒にそれはそれは楽しそうに、お前のための服を選んで用意していた」
「え……」
「いつ来ても良いようにと春夏秋冬。お前の部屋のクローゼットのタンスに入っている」
「そうだったんですか!?」
冬休み中は持参した荷物で事足りていたので、クローゼットは開いていなかった。
他人の部屋を借りている身なので、使用しても良いものかと遠慮していたのもあってのことだ。
そう言えば、初日に借りた着替えは祀莉のものではなく、春江が用意したものだった。
急遽手配したものだと思っていたが、あれは要の母親と選んだもののうちの一着……?
「そ、そこまで用意してもらわなくても……」
「いーじゃねーか。どうせ結婚したらここに住むんだし」
「へ……っ!? け……っ」
「家を建てても良いが、お前にとってはショッピングモールから近いここの方が都合がいいだろ?」
「ええと……」
「春江も俺たちの子供の世話ができて嬉しいって言ってたしな……」
「こ……っ!?」
話が飛躍しすぎて頭がついていけない。
婚約はしているが、結婚はまだまだ先のこと。
まして子供のことなんて……。
「そ、そんな先のことまで考えなくても……。第一、婚約していると言ってもこの先何があるか分からないですし……」
「は?」
具体的に将来の話をされて、祀莉の頭はショートしそうになっていた。
動揺を隠すために思わず口にした言葉に要が反応する。
機嫌良く話していた声がいきなり低くなった。
「あ……」
ギロリと睨まれたことで、自分が何を口にしたのかを理解して動揺が焦りに変わった。
このままではまずい。
なんとか言い繕わないと……と本能が告げているが──
「あ、あああの……! 今のはなんていうか、万が一のことを考えて……」
「万が一があってたまるか!」
「ひゃ……っ」
言い訳どころか逆効果なワードを交えてしまい、瞬きのうちに天井を仰いでいた。
ソファーの柔らかさを背中に感じて、自分が仰向けになっている体勢であることに気づく。
眩しい照明に目を細めると、不機嫌な要が祀莉を閉じ込めるように覆い被さってきた。
まだしっとりと濡れている髪先の水滴が、ぽたっと祀莉の頬に落ちる。
「ぜってぇー今日は帰さねぇ……。覚悟しろ」
「待って下さい! て、訂正しますから……!」
「もう遅い」
要の手が祀莉の首筋をなぞるように首の後ろへと回された。
襟の裏側へと指を滑らせてリボンの留め金を外し、そのままするりと引き抜く。
次に手にかけたのは、首もとまできっちり留められている制服のボタン。
「ちょ、ちょっと待って下さい……っ」
「うるさい」
要の行為を止めようと両手を伸ばして抵抗したが、片手ですんなりと絡めとられてしまった。
そのまま頭の上でソファーに押し付けるように拘束される。
何がなんだか理解が追いつかない祀莉は、ただ小さく身じろぎをして、意味のない抵抗をすることしかできなかった。