ケルベロスの首
「じゃあ、早速行こうぜ!」
サビアは豪快に笑いながらシズルの手を引き歩き出す。しかし簡単に手を払われ行き場のなくした手が宙をさまよう。
「まずどこに行くんだよバカ」
眉を寄せ噴水のへりに座り直す。よほどこの場所に座るのがお気に入りなのだろう。
「ツルーティ邸」
「……お前さ、思考回路どうなってるの」
低く、淡々とシズルは言う。
こう言うのも無理はない。ツルーティ邸に住む、ツルーティ男爵はそこそこ大きな富豪だ。貿易関係を牛耳っているらしい。しかも、近々爵位があがるという噂も流れている。
「まあまあ、いいじゃーん」
軽く受け流すように笑い、シズルの腕を引き立ち上がらせる。眉間のしわを深くして大きなため息をつく。重い腰をゆっくりとあげ、港の方へと歩き始めた。
「なあ、乗せてよ」
サビアは船長らしき人物に挑発的な笑みを浮かべ話しかける。シズルは自身の髪をいじりながらずかずかと船に乗ろうとしていた。
「おいおい、金払えよ」
船長がシズルの肩を掴み引き寄せる。しかし、一瞬のうちにして船長は地面に尻をつく。眉間にしわ寄せ小さく舌打ちをする。そして何事もなかったかのように中へと入っていった。
「……な? おとなしく乗せとこうぜ?」
ニヤニヤと笑いサビアも中へと入っていく。彼らは1円も払うことなく、乗船したのだった。
「気持ち悪い……」
船に揺られてツルーティ邸のある貿易街についた。サビアは顔を青くし今にも吐きそうだ。ブツブツと船長の悪口を言う。それを遠巻きにシズルは見ている。吐かれるのが嫌なのだろう。
「船酔いするのになんで船なんかに乗るのさ。ばかじゃん」
憎まれ口にも反応できないくらい気分が悪いらしい。口元に手を当ておぼつかない足取りで進んでいく。
「そんなんじゃ殺られるだろ」
サビアを近くのベンチに座らせる。「待ってて」と言い、何処からか水を持ってきた。それを大人しく受け取り一口飲む。冷たく冷えた水は体に染み渡る。少しだけ、気分が良くなった。
「あ、ありがと」
小さな声でお礼を言うと目を逸らし貰った水を一気に飲み干す。シズルは少しだけ頬を緩める。すぐに目を細め、前方に見える大きな屋敷を見据える。ツルーティ邸だ。
ワインレッドの光沢のある屋根。品を感じるシェルピンクの外壁。周りに植えられている木は異国の物でイチョウという木だ。夏だというのに葉は既に黄色に染まっている。
「ほら、はやく行こ」
鋭く言うとスタスタと歩き出す。サビアはその後を慌てて追った。
屋敷の中には簡単に入れた。見張りがちょうど交代の時だったのだろうか。誰もいなかったのだ。
灰色の廊下を歩いていく。コツコツと足音が響く。反響してむわっと耳に残った。
「で、ここでは何取るの」
ここまで無言だったシズルが口を開く。首が三つある犬、ケルベロスの銅像を興味深く見ている。銅像の近くには異形の動物達を形どった銅像が多数並んでいた。サビアはこの廊下が黄味悪く感じる。前に入った時は暗くてよく見えなかったがちゃんと見えると一つ一つがリアルで恐ろしかった。
「俺の短剣」
「このくらいの大きさのやつ」と手で二十センチメートルくらい開く。それを興味なさげに聞き、今度は尾が七つある狐を見入る。
赤髪の少年は小さくため息をつく。正直、こいつとは合わないと薄々感じていたのだ。しかし短剣を取り返すため。それに、アイツとの約束を守るため。自分にそう言い聞かせ前に進む。
「あ、あのー」
後方から控えめな声が聞こえる。声変わり途中の独特な声があたりに響いた。バッと二人は振り向く。
全く気づかなかった……。
ヒヤリとした汗が流れる。気配を全く感じなかった。オドオドとした様子の黄色の髪の少年。二人より幼く感じる。自信のなさそうな顔には似合わず、真新しい短槍を持っていた。
「誰だ!」
サビアは声を張り上げる。武器になりそうなものはないか探したが見当たらない。仕方なく顔の前で小さく構える。
「いや、その……。す、すいません」
少年は槍を離し手を挙げる。涙目になりながら「すいません」と謝る。
少年の態度に二人は面食らう。身構えていた体勢をゆっくりと解く。少年はホッとしたのか手を下げた。
「んーと? お前は何してんの」
ぽりぽりと頬を掻きながらサビアは問う。シズルはジッと少年を目を細めて見据える。その視線に怯み小さな悲鳴をあげる。
「ばか、脅すなよ!」
シズルに鋭く言いきっと睨む。小さく舌打ちをし、目を伏せた。
「えと、その。ここで門番させて貰ってます」
小さな声で呟く。『門番』ということは敵。二人は体勢を低くし、攻撃に備えた。いつやられてもおかしくない。こんな態度を取っているのも何かの罠かもしれない。チラリと背後を見る。他の人が来る気配はない。
「二対一なんてひ、卑怯ですよ!」
声を震わせながらキャンキャンと喚く。その姿はどこか子犬を思わせる。
──すぐに終わらせる。
サビアはトンッと床を蹴り一気に間合いを詰めた。その勢いを殺さず右拳で少年を殴りつけた。
「うわっ!」
しかし、その拳は当たらず宙を彷徨う。勢いのついた体は止まらずケルベロスの銅像にぶつかった。
「急に殴るなんて酷いです!」
キンキンと甲高い声が頭に反響する。少し頭を打ち、クラクラする。次の攻撃を仕掛けようと立ち上がる。
「シズル、任せた!」
サビアは声を張り上げたがシズルは動く気配はない。
「相手が仕掛けて来ない限り俺はやれない」
腕を組み、目を伏せる。その様子に頭をガリガリと掻いた。
こんなんじゃ取り返せねえ。
どすん、と何かが落ちる音がした。床を伝わり、足の裏に振動がくる。嫌な予感がしてサビアは振り返る。ケルベロスの真ん中の首が床に落ちていた。根元からポキリと折れていたのだ。血の気がサァと引く。
「……あーあ」
俺は何もやってないとでもいうかのようにシズルは目を逸らす。急いで持ち上げくっつけようとする。しかし、くっつくはずもなくゴン、ゴンとぶつかる音が響いた。
「あのー……」
少年が控えめに声をかける。しかし、余裕のないサビアは語気を強め返答した。びくりと肩を震わせ、ゆっくりと口を開く。
「周りに置かれている調度品が壊れると警報が鳴るようになっていたと思うんですけど……」
言うや否やビー、ビーと耳障りな音が廊下に響く。反響してグワングワンと頭に残る。そして、すぐに足音が聞こえきた。
「やっべえ……」
二人は逃げ出そうとする。しかし、黄色の髪の少年が腕を掴みさせてくれなかった。
「あ、テメェは昨日の……!」
駆けつけた男の一人がサビアを見て声を上げる。昨日サビアを殺ろうとした男だ。前と同じく鋭い槍先をこちらに向けていた。
「俺のお宝取り返しに来た!」
槍を構える男たちを睨み付ける。その気迫に男たちは少し怯んだ。自分より幼いガキに怯んだのだ。
「んなの知らねえよっ!」
ヒュッと風をきる音が聞こえる。ドンッと少年に突き飛ばされたおかげで槍は当たらずに済んだ。その変わり、体を思い切りぶつけたが。
「これ、貰うよ?」
シズルは落ちたケルベロスの頭を持ち上げしげしげと見る。その表情はとても嬉しそうだ。隙を見せたと思ったのか二人同時に顔めがけて槍を突く。
ニヤリと口角を上げ、スッと柄の方を軽くいなす。体勢を崩した男たちの袖を引き一瞬のうちに地面に叩きつけた。鈍い音が聞こえる。苦しそうな呻き声も一緒に聞こえた。
「わぁ、強いんですね!」
興奮したように少年は嬉々としてはしゃぐ。その様子を見て男たちは苛立ちを隠せていない。噴火しそうな怒りを必死に抑えようと葛藤している。
「こいつらが弱いだけ」
フンと鼻を鳴らし残っている男たちを値踏みするように見る。首を横に振り小さなあくびをした。
「スアン! お前裏切ったのか!」
スアンと呼ばれた黄色の髪の少年は目をパチクリさせる。サビアは起き上がり男とスアンを交互に見た。シズルは眉を寄せチラリと横目で見る。
「へ、いやいや! そんなつもりじゃ……」
スアンの弁解は虚しくスアンにも槍先を向けられた。ヒィ、と悲鳴をあげる。
「覚悟しやがれェ!」
てっきり逃げ出すと思っていたスアンを助けようとサビアは距離を詰める。何となくだが、悪い奴ではないような気がしたのだ。パッと手を伸ばす。
しかし、サビアの助けなど目もくれず。自身で持っていた短槍を相手の槍先に合わせ突く。キンっと金属がぶつかる音がする。衝撃の与えられた槍が震える。スアンの槍は短いためすぐに反撃に移れた。
軽くしゃがみ相手との距離を詰める。槍の柄の部分で思い切り殴りつけた。木製の柄は派手な音を立て折れる。槍を持った男は白眼をむいて倒れた。ピクピクと体を痙攣させている。
「マジ?」
サビアの声は虚しく廊下に響く。スアンが倒した男の懐からポロリと短剣が落ちる。銀で装飾された鞘。短剣の柄には『サビア』と書かれていた。間違いないだろう。
「あの、これ」
その短剣を拾い、スアンは渡した。それをそっと受け取り引き抜く。昨日と変わらず手入れのされていない刃は所々欠けている。
「ありがとな!」
にっと歯を見せ貰った短剣を大事にしまう。程よい重さがかかり、サビアはホッとする。
「僕なんてそんな、大したことは……!」
謙遜しながらブンブンと体の前で手を振る。嬉しいのか少しだけ目尻が下がっていた。
「取り返したなら帰ろーよ」
ケルベロスの首を抱えながらシズルは元来た道を歩き出す。スタスタと行ってしまうのでサビアも慌てて後を追った。
「それ、どーすんだよ」
「……鑑賞用?」
真面目な顔で返されたので思わず吹き出す。二人の後ろ姿をスアンは見つめていた。
「ふっふっふー」
ニマニマとしながら短剣をズボンのポケットの上から撫でる。ゴツゴツとした感触が肌に伝わる。一日なかっただけで随分懐かしく感じた。
「顔、にやけて気持ち悪」
怪訝そうな顔をして眉をひそめる。そう言っているシズルの頬も心なしか上がっていた。サビアはそれを見て呆れたようにため息をつく。
「けど、取り返せて良かったですね」
予想外の声に二人は顔を見合わせ、ゆっくりと振り向く。癖のある黄色の髪が風に揺れている。ニコニコとしながら軽く首を傾げていた。
「……なんでいるの?」
疑問を口に出すとスアンはきょとんとした表情を見せる。何でそんな事を聞くんだと言わんばかりにだ。
「いや。あそこで裏切り者になっちゃったんで……」
ははは、と乾いた笑いがこぼれる。そんな所に戻ったらクビだけでは済まないだろう。
「て事なんでよろしくお願いしますね!」
ニッコリと笑い、2人の手を取る。ブンブンと振り回しパッと離した。