儀式への参加要請
車が走り始めると乗り込む際に入ってきた湿気を含んだ温かい空気はすぐに冷やされて、駅の裏の山から聞こえる蝉の声は遠くなっていった
相関関係不明の人々からの自己紹介は特に無い
信号で止まり、車内を支配していたエンジンの音が弱まると私はいよいよ沈黙に耐えられなくなった
「どこに向かってるの?」
「うちに決まってるじゃない」
並んで後部座席に座ったオコ、というのは彼女の学校でのあだ名だが、が不機嫌に腕を組んだまま言った
「決まってましたか」
「うち今日バーベキューやるんだけどさ」
そりゃ車内で殴り合いを始められても困るけれど
さっきまでの話はどこへ行ってしまったのだろう?
なぜ彼女の家に連れて行かれるのだろう?
どうして今バーベキューが出てきた?
私は取り敢えず「豪気だね」と答えたが、この感じは何処かで味わったことがあると思っていた
思い出したのは現実の世界の出来事ではなく夢の中
辻褄は合っていないがなんとなく納得せざるを得ないというあれ
膝にボストンバッグを乗せた助手席の芳生君が上半身をよじって私に向かって言った
「バーベキューは俺の帰還を祝して毎回行われる呪術的な意味を孕んだ儀式なのです」
「帰還?」
呪術? 儀式?
「それに吉崎も参加して欲しいのよ」
オコ、そのあだ名の由来が苗字が小此木だからなのか怒れる若者だからなのか、人によって思う比重は異なろう
しかし彼女を知る人で後者の割合がゼロであると思う人はまずいないだろう
今彼が発言した単語の幾つかは、我慢できる類のものではないはず
いつもの彼女なら”儀式”なんていうものに身をおく状況には例え冗談でも一言言うはずだ
理由は大抵「馬鹿みたい」だから
今の彼女を不自然に思ったのは私だけのようでいよいよ夢の中の出来事のようであったけれど
きっとこれが日常なのだ
私の知らなかった彼女の
クラスの中では彼女と親しい部類に入ると思うが、いつも一緒にいるという程ではない
家に行ったこともない
彼女は私に読んでいる本のことをよく聞き
私は彼女が腹を立てていることについて相槌を打ち
猫の話をして
また明日そう言って毎日教室を出る
一緒のクラスになってまだ四ヶ月で
まだどこまで親しくなっていいものか図りかねていた
私達は多分お互いに相手を評判よりデリケートな人間だと思っていた
「……ひょっとして……生贄とかそういう……?」
「そうなるわね」
再会→拉致→生贄(火炙り?)
車越しに小学生達が大声で挨拶を交わし、手を振りながらすれ違っていった
車の進行方向に歩いて行く女の子達は装備からしてこれからプールに行くところで、もう一方はプールの帰りらしかった
信号が青になり彼女らが遠ざかるのを見ながら、
彼女らの頃の夏休みに比べて私の中学二年のそれは随分複雑になったなあと思った
「こいつオタだからさ。学校が休みになると家から殆ど出ないからってうちに送られてくるの。それは知ってる?」
私は首を振る
「いつもこっちに来た初日は特にテンション高くて、私話聞いてるだけでイライラしていつもあんまり楽しめないの。だからそいつの相手をして欲しいんだわ。友達なんでしょ? そのスカポンタンと」
「そういう言い方だとまるで俺がオタクでお前に迷惑かけてるみたいじゃないか」
「うん」
「こいつは傑作だ!」
「幾つか聞いていいかな?」
「ダメ」
「ということは、つまりお二人は兄妹ではない?」
「お下げ引きちぎるぞ」
やぶ蛇になるとは思ったが聞かないわけにはいかなかった
情報が少なすぎるのだ
「俺はこの二人とは赤の親戚なんだ。現世での崇高なる俺の名は志塚芳生。しずかちゃんとか静御前が俺と結婚するともれなく”しづかしずか”になるってわけ。漫才のコンビ名みたいな趣があるよね。でもそれが母親の名前なんだ。更に悲劇と呼ぶべきは全然静かじゃないんだ。こっちの運転手は正真正銘春のお兄様、大喜君。花の男子大学生」
「ははあなるほど。じゃあ次に、呪術的な儀式についてだけど……」
「そんなことよりそっちはどうなのよ。なんで知り合いなの?」
予想通り、ついに話が一周して戻ってきた
だがまたしても芳生君、ようやく名前を知ることが出来た彼、が先に答えた
「俺と吉崎さんが初めて会ったのは……ジュラ紀の少し前、俺がカエルで彼女がトンボだったときのこと」
「妄想部分は飛ばして」
「じゃあグーッと飛んで新生代の新第三紀」
「飛ばせ」
「面白いところなのに」
「もういい。黙っとれ。そもそも私は吉崎に訊いたんだ」
「ここの図書館で会ったわ」
「ちょっと別の本を探しに行って戻ったら誰かが席に座って俺が読んでいた本を貪り読んでいたのだ。それはもう時が止まるほどの集中力で。その人こそがそう、新第三紀では狼、明治時代には沢蟹だった彼女その人だった! もうこの町まで!! くそっ早すぎる! 俺はなるべく相手を刺激しないように極めて遠慮がちに言った。あの……カバン取っていいすか? だって俺の鞄は彼女の異常な集中力によって歪んだ空間の中に取り込まれていたんだ。すると彼女は」
「あんたクラスでも時々やるよね。人の本勝手に読むの」
「開いたままの本って気になるじゃない」
「いや別に。それで二人で仲良く読んだってカンジ?」
「俺の話ちゃんと聞いてた?」
「まさか」
「二人は三畳紀からの因縁の仲なわけ。大体二億年だ。そんな時空を越えた宿敵に世界の秘密が書かれた禁断の書を奪われてしまった。俺は言ってやったさ。その本読みたかったらドーゾ。徒に事を荒立てるのは俺の最も忌み嫌うこと。だのにだ。図書館の利用券失くしたからまた今度借りるとか言うんだ。俺は戦慄した。何を呑気なことを言ってやがるんだと。もし俺達以外の邪悪な何者かが次にその本を手に取ってそのまま借りパクしたらどうするんだと。だから常日頃紳士を目指している俺としてはカード再発行手続きを手伝うしかなかった……というわけだ。これで満足かね」
「へー。いつ? 昭和とか言ったら舌切り刻む」
「大ちゃんが腕折ってた時だから……えーと」
「ああ、あの軽トラに轢かれて自転車ごと田んぼまで吹き飛んだ」
「五年前だな。苦痛にあえぐ俺を爆笑するお前の姿が忘れられないな」
春の兄様はサングラスを外しながら言った
「腕折れてると思わなかったし」
「車に轢かれた時点で一大事だろうが」
「だってあまりに見事に空中で一回転するものだから」
「そして芳生は俺が病院で腕にネジ入れてる間に女の子とイチャイチャしてたと」
「スマン」
「いつか春を許す時が来たとしても、お前だけは絶対だめだ」
バックミラー越しの目は本気に見えた
車は利根川水系の一級河川に架かる橋に差し掛かった
昼前の道路は意外と混んでいて、複数の道路が集束した橋の上を車は進んだり止まったりを繰り返しながら進んで行く
そのうち五百メートルほど上流にある鉄橋を電車が渡るカンカンという音がした
水かさの少ない流れは所々に中洲をつくり角のとれた石達が白く陽を跳ね返していた
きっと裸足で歩けないほど熱くなっているだろう
想像した足の裏の感触に一瞬それまでの会話を忘れた
橋を越えると左右の景色から商いの匂いが減って民家が多くなる
以前聞いた話だとオコの家までもうそれほどないはずだった
「でもそれだけでなんで涙の再会?」
「俺達の何が分かる!」
「お前はしね」
「……私達が禁断の書を図書館から持ち出したことに気付いた闇の女王ニコラコプルールーはすぐさま追手を放った。このままでは二人共捕まってしまうと判断した芳生くんは私に禁断の書とそれを開くための鍵を渡し、自らは囮となって捕まってしまった。だから私は……」
「ぬおお! それは禁則事項」
一言では説明出来ない質問を私は芳生くんの話に乗ることで誤魔化すことにした
幸い彼も乗ってくれたので、そのまま推し進める
「でもこの際仕方ないわ」
「ねえ。打ち合わせとかしてんのそれ」
「本はもう図書館に返してしまったけど、これがその時受け取った鍵」
私は鞄から一枚の金属製の栞を出して見せた
即興劇の中一つだけ本当のこと
以前彼に貰ったもの
世界の秘密を開く鍵
「いつも使ってる栞じゃん……でもそれ可愛いよね。ちょうだい」
取り上げるられそうなので速やかに鞄に戻す
「そうか……お前には栞に見えるのか」
自分が進呈したものを忘れているとも思えないけれど、彼は目立った反応は示さずあくまで演技に徹していた
「彼女は選ばれし者ではないもの」
「なにこの気持ち悪い人達……」
妹に続いてその兄も、こりゃ確かに友達だぜと感心して下さった
「……つまり……数少ないオタ仲間と再会できたから嬉しさのあまり……ってことでいいの……かな?」
「えっ」
「あれ、違った?」
「オタクに偏見は無いつもりでいたけど、呼ばれてみると思ったより心が痛むわ」
まさに予想外
演技も忘れる衝撃だった
「もっと早くに言ってあげるべきだったわね」
「でも私本が好きなだけで」
「あんた達と会話してると時々凄く不安になるのよ。ただの気持ち悪い妄想だって分かってても、どこまで本気なんだろうって」
一応の反論は全く無視された
彼女が私のことをデリケートなどと思っているなどというのは彼女の言う気持ちの悪い妄想だったのだ
「気持ち悪かったデスカ」
「春、オブラートだオブラート」
「私は芳生だけじゃなくて身内に他にもオタクがいますから? 吉崎とも問題なく付き合ってきたわけだけど、この際きっちり言っとくわ。側にいる人間がびしっと言ってやらないとだめだもの。うちの男どもは手遅れだけどね……」
兄の忠告も、ビブラートも利かせろという芳生くんの助言も恐らくオコには耳にも入っていなかった
彼女の耳にはきっと余計な言葉を濾すフィルタがついているのだ
「いつか本当に妄想の世界の住人になっちゃうよ?」
「この俺みたいにな!」
本気で心配されている
私がそう思った直後彼女は
ま、どうでもいいけど、と言って窓の外を見はじめた
車は県道を右折して細い道に入った




