かくして人はネトゲにはまり
最近、娘がネットゲームにはまった。
正確にはMMORPGというらしい。
困ったことに、妻が晩御飯の準備をしても中々食べようとしないらしいし、休日も部屋に篭りきりだ。
しばらくすれば飽きるだろうと傍観していたが、一向に飽きる気配はない。それどころか、最近は部活にも行っていないらしい。
それは、仕事の忙しさにかまけて、娘の相手をしなかった結果のようにも思えた。
私は久々に娘の部屋へ入ることになった。
外へ出るのが大好きな娘だった。小学校時代は、男の子に混ざって駆け回っていると聞いた。
今の娘は、大きなディスプレイの前であぐらをかいていた。軽快なバックグラウンドミュージックに混ざって、執拗なクリックの音が室内に響いている。
何時間を、そんな姿で過ごしているのだろう。
「環」
「なんか用?」
娘が素っ気ない声で言う。
振り返る時間すら惜しいのだろうか。
以前の娘はこうではなかった。もっと喜怒哀楽の表現が激しい子供だった。
どう声をかけるか考えあぐねた挙句、私は彼女に擦り寄ることにした。
「そのゲーム、なんて名前なんだ?」
クリックの音が、止まった。
「お父さんも、興味あるんだ?」
「ああ、面白そうだと思ってな」
本当はそんな話をしたいわけではないのに。
しかし私は、娘とぶつかることを恐れたのだ。
今の私には、娘は不可解な生物にしか見えなかった。それは、火薬庫に印象が似ているかもしれない。
「インストール終わったよ」
娘は上機嫌に言う。
私は自室の椅子に座って、パソコンのディスプレイと向かい合っていた。ハードディスクに娘の手によってインストールしたのは、彼女が熱中しているゲームだ。
「これをダブルクリックすればいいのか?」
自分もパソコンのことを知っているのだぞ、といわんばかりに、専門用語を口にした。
「うん、アイコンをね」
言われるがままに、新しく登録されたアイコンをダブルクリックする。ウィンドウが開いて、IDとパスワードの入力画面が現れた。
娘が、それを入力していく。
「それじゃあ、キャラメイクして、最初の町で待っててね、お父さん」
「ああ、わかった」
娘は去って行く。
ゲームの素養は、ないわけではない。私が若い頃には、ファミコンは発売されていた。
私は、キャラクターを作り上げて、ゲーム世界にログインすると、その場で娘を待った。
十分ぐらいして、娘が私の部屋にやってきた。
「お父さん、まだ?」
「最初の場所で待ってるぞ」
「違うよ、お父さん。そこは、初心者のチュートリアル用のマップ。それを終わらせないと最初の町へ行けないの」
「そうなのか」
「しっかりしてよね」
娘は苛立たしげに去って行く。
こんなやりとりは久しぶりのように思えた。
昔は、遊びに行きたいという娘を、何度も苛立たせたものだ。
懐かしさに、私は思わず口元を綻ばせていた。
ゲーム世界で娘のキャラクターと遭遇して、私は呆気に取られた。
薄着すぎるのだ。
へそは出ているし、胸元も露になっている。
「薄着過ぎやしないか」
ゲーム内の私のキャラクターがそう言うと、娘のキャラクターはこう返事をした。
「デフォルトがこれだから仕方ないでしょ」
そういえば、昔のゲームにも、露出の多い女性キャラがいたものだった。
「お父さんのスケベ」
私が悪いのだろうか。私は思ったことを言っただけだ。
そんな外見でうろついていて、悪い男に目をつけられるのではないか。
「お父さんは、プリーストになってね」
娘のキャラクターが、話題を変えた。
彼女の発言に納得しかねていた私だが、素直にその言葉に従うことにした。
「わかった、プリーストだな。どうすればなれる?」
「レベルを上げないと転職できないから、まずは雑魚退治ね。大丈夫。休日返上で頑張れば、私の弱いキャラと組めるようになるから」
今日は、私は読書がしたかった。
しかし、娘がせっかく心を開いてくれているのだ。それを無碍にも出来なかった。
「お父さん、私、友達と出かけてきます」
妻が、声をかけてくる。
私は、ディスプレイを眺めたまま言った。
「ああ、わかった」
「まったく、お父さんまでパソコン中毒になっちゃったのかしら」
聞こえよがしに妻が言う。
これも娘と交流を図るためなのだ。そう言い訳したかったが、妻は一方的に言いたいことを言って去って行った。
娘は、ゲームの中の知識に詳しかった。
攻撃方法なども親身になって教えてくれる。
「学校の先生になったらどうだ」
私のキャラクターがそう声をかけると、娘の薄着なキャラクターはこう返事をした。
「ゲームの中にリアルの話を持ち込まないでよ」
なるほど、それもマナーということか。
確かに私も、三十路を超えてゲームをやっているとは他人には言い辛い。
世間では、この年齢はこういった趣味を持つべきという固定概念が横行しているのだ。
しかし、これも娘と交流をもつためである。
私の操るキャラは芋虫の化け物や液状の化け物を退治するため、娘の指示通りに一生懸命棒を振るった。
娘と遊ぶのなんて、何年ぶりだろう。
こんなに話したのは、何年ぶりだろう。
娘が思春期に入った頃、私も仕事が忙しくなった。
それを言い訳にして、いつしか自分から彼女を避けていたのだと思い知らされた。
私は娘に怯えていた。
気の効かない中年だと疎ましがられることを、恐れていた。
ゲームをして二日目になると、新たな試練が訪れた。
プリーストになった私の、技術の拙さを、娘は問題視した。
プリーストは、基本的には補助職だ。仲間達の能力を上げるスキルや、受けたダメージを治癒するスキルを主に使う。
普段は前衛の後ろに位置しているが、中には自ら敵を引き受ける耐えプリなる人種も存在するという。
娘が言うには、プリーストの腕次第で狩りの難易度はまるで違ってくるらしい。
娘のキャラクターは言う。
「ヒールは遅くていいから、バリアを出してよ。私のキャラクターはMHPが高いから、バリアのほうが最終的なMPの節約になるの。MP効率を考えるとまずバリア」
日本語で話してくれ。そう思いながらも、私は娘の言葉の翻訳に集中する
「つまり、バリアのほうがMPの減りが少ないんだな」
「そう。けど、パーティーメンバーによって最適解は違ってくるの。そこは臨機応変に判断しないと駄目よ。例えばナイトでも避け騎士はMHPが低いし、弓連者もMHPが低い。だから、ヒールマシンになるつもりで相手のMHPを維持しなくちゃならないの。まずは相手の職の特性を把握することが大事なの」
「なんだか、アルバイトみたいだな」
今時のゲームは、奥が深いものである。
「うん、結局ゲームは作業だからね」
「面白いのか?」
「上手く噛みあえば楽しいよ。セッションみたいなものだよ」
セッションとはなんだろう。
私は呆れられるのに怯えて、それを訊ねることが出来なかった。
「お父さん、立ち位置がマズイ。そこじゃ敵がよって来るでしょ。耐えプリにでもなるつもりなの?」
娘の激しい指示が飛ぶ。
確かに、その指示は正しい。
私は自分の至らなさを恥じた。これではまるで、使えない新人社員だ。
そして、娘の認めるプリーストになろうと考えた。
翌週の土曜日、娘は驚いたように言った。
「え、もうレベル75を超えたの?」
「ああ、超えた」
私は誇らしい気持ちでその言葉を口にしていた。
目の下のくまに、娘が気がつかないかとひやひやしながら。
娘が、羨望の視線で私を見上げる。
「なら、私のレベル高いキャラと組めるね」
「ああ。早速遊ぼうか」
「うん」
娘が部屋へ駆け上がっていく。
「最近、仲良いわね」
妻が、戸惑ったように言う。
私は、自慢げに頷いた。
「そうだろう」
これは努力の成果なのだ。そう、世界に叫びたかった。
寝巻きのままで、部屋に入ってパソコンを起動した。
ゲームのアイコンをダブルクリックし、出てきたウィンドウにIDとパスワードを入力する。
娘の高レベルキャラは、ウィザード、つまるところ魔術師だ。
後ろから呪文を放って敵を討つこの職業は、前を歩くプリースト、いわゆる耐えプリの動作に狩りの内容を全て預けることになる。
プリーストが索敵能力に乏しければ、敵に会えずに歩き続けることになるし、プリーストが敵にやられてしまえば自分も倒れるしかない。
私は心地良い緊張感を味わいながら、娘のキャラクターの前に自分のキャラクターを配置して移動させ始めた。
私のキャラクターは洞窟の中を歩いて行く。
時には少数の敵の中に突撃し、時には多勢の敵から少量の敵を呼び寄せて呪文を待った。
「上手いよ、お父さん」
驚いたように娘のキャラクターが言う。
「ファミコン世代を舐めてもらっちゃ困る」
私は胸を張って言いたかった。
その日の狩りは、順調に終わった。
「また遊ぼうね」
娘のキャラクターが放ったその一言に、私は感激した。
それは、娘からそんな言葉をかけられた嬉しさでもあり、プリーストとしての技量を認められた嬉しさでもあった。
私は娘と、ゲーム上で話す機会が増えた。
そのうち娘は、禁じ手としていたリアルの話を、ぽつりぽつりと話すようになった。
「私今、部活で上手くいってないんだ」
ある日、娘がそんなことを言い出した。
もちろん、ゲームの中での話である。
面と向かってなら、彼女はこんな話をしなかっただろう。
「人間関係か?」
「それもあるけれど、まったく上達しなくて、先が見えないの。三年になっても、レギュラーなんて無理そう」
「本当に無理なのかな?」
「うん、多分、無理」
私は、立ち上がりたいような気持ちになっていた。今すぐ娘の前に駆け寄って、抱きしめてやりたかった。
しかし、現実にはそんな行動は不可能なのだ。
私は深呼吸をして、キーボードを叩き始めた。
「お父さん、プリーストとして動けるようになっただろう?」
「うん」
戸惑ったのだろうか。娘の返事は、少し遅かった。
「それはな、一生懸命練習したからだよ。知らない人に組んでもらって、教えてもらって、それを覚えたからだ。レベルも一緒だ。戦って、戦って、積み重ねた」
娘の知らない間、娘と遊ぶ為にどれだけ苦労したことか。
「ネトゲとリアルは違うよ。ネトゲの世界は、ただ繰り返していればレベルが上がる。現実はそうじゃない」
「いや、ネトゲとリアルは一緒な部分がある。積み重ねないと、なんの意味もないことだ。ネトゲでモンスターを倒さないと、レベルが上がらないだろう?今の環は、モンスターを倒さずにレベルが上がるのを待っている」
娘は、返事をしなかった。
私は、言葉を続ける。それは、火薬庫の傍で焚き火を炊くような行為に思えた。
それでも私は、娘に思いが通じてほしいと願わずにはいられなかった。
「スタメンになれなくても、一芸を磨けばスーパーサブになれるかもしれない。皆の練習を見て、コーチになれるように勉強できるかもしれない。レギュラーになれないからって、無駄じゃないんだ。体を動かせるのは、今ぐらいなんだよ」
娘のキャラクターは、返事をしない。
私のキャラクターも、黙り込んでしまった。
そのうち、娘のキャラクターが言葉を発した。
「お父さんって、意外と熱いんだね」
「これでも運動部出身だからね。けど、私も部活をやめたいと思ったことがあった」
「なんで?」
「私の所属していた運動部は、途中で水を飲むのを禁止してたんだよ。とんでもない話だ」
「あはは、夏に脱水症状になっちゃうよ」
あははという三文字に、私は気持ちが和むのを感じた。
娘は、再び部活動に通うようになった。
忙しくなったせいか、ゲームをする時間も減っていった。
最近は、食事もすぐに食べるし、土日も友達と遊びに行くことが多いという。
しかし、妻の機嫌はすこぶる悪い。
「まだゲームやってるんですか。何時と思ってるんです」
妻の怒鳴り声が、深夜の家に響く。
私はディスプレイを真剣に見つめ、執拗にマウスをクリックしながら、返事をする。
「いや、もうちょっとだけ。今、約束があって。俺が落ちたら相手が困る」
「とか言って、寝坊したら洒落にならないでしょう?」
「寝坊しないよ」
「寝不足で車の運転をするなんて、非常識だわ」
「けど、約束が」
「たかがゲームの約束でしょ」
「ゲームでも約束だ!」
最近、妻の視線だけでなく、娘の視線も冷ややかになってきた。
それはどこか、哀れむような視線だった。
それでも私はネットゲームをやり続ける。
ゲーム内で経験を積み重ねた、自分のキャラクターを愛しているからだ。
読んでくださってありがとうございました!
私はSFC世代なんですけど、それでも三十路前だったりします。
時間の流れって早いですよねー……。