勝利の美酒
カンコロコンコン。
小さな子供が訳も分からず、神社の鐘を鳴らす様な陽気でいい加減な下駄の音。
そよ風すらない長屋の通り、場違いなそれが響く。
帯を締めただけで、着ているとは言いがたい着物。携えるのではなく、漆の禿げた鞘を肩に担いだ太刀。
そして鐺の近くに縛り付けられた、大きめの瓢箪。
チャプチャプと中に入った酒が、下駄に合いの手を入れていた。
時代は江戸末期。
戦の数は激減し、侍と呼ばれる者が武士から山賊の様に移り変わって暫くたった。
刀を抜く場、己の技量を示す場が働き口と共に枯渇する。
そんな時代。
この長屋もその時代ならではだろう。
人が生活していた痕跡はあるが、人が生活している雰囲気はない。
至るところで赤黒い染みの上に、腐った男と老人だけが転がっている。
「山賊か」
呟いた瓢箪の男。
誰も居ないはずの、恐らく一夜にして廃墟と化した長屋。
そこに複数の足音。三人。
鳴りやむ下駄の奏。
その代わりを務めるのは、まるで何年もの間訓練を繰り返したような規則的な音。
長屋の曲がり角から一人また一人と、前後を取り囲むように姿を現した。
「瓢箪をぶら下げた太刀。着崩した着物。間違いなくかの名高いな剣豪であらせられるな!」
現れ出でた連中は、想像とは大きく違った。
古く擦り切れてはいるが、上等な着物と袴に身を包み、その頭は光沢のある髷が結われている。
瓢箪の男も、髪は纏めている。しかしそれは床屋に払う金が惜しく、伸びた物を押えておくためのモノ。
浪人達からはこの時代にいても尚、武士の視線が宿っている様に見えた。
「俺は知らねぇが、もし名が世に知られた男だったらどうするつもりだ?」
浪人たちは、腰に携える刀に手を伸ばす。
威嚇するようにガチャリと堅く重い、しかし鋭い音が三方から響く。
「切る!」
浪人たちから放たれるは、五月蠅く感じる程の殺意。
「随分物騒だな。何かとんでもない恨みを買っていたらしい」
「否、お主に恨みなどは何一つない。拙者らが欲しいのは己の腕の証明のみ!」
刀を持つ者にとって、戦の無い世界は天国でありまた飢餓地獄。
この時代でも剣術を武器に、食いぶちを確保することは出来る。
しかし刀の数に対して、その数は圧倒的に少ない。
山賊や物取りに落ちたくなければ、その場所を手に入れるしか道は無かった。
「自らの腕を磨き強者を討てば、拙者等の名を世に示せる」
「腕が立てば、剣術指南役としての道も開かれよう」
浪人たちが静かに抜いた刀は、代わりにキラリと鳴る様に光った。
身だしなみに気を使ってはいても、汚れや綻びが見える着物や顔。
しかしその鋼の刃だけは、まるで鍛ちたての様に美しかった。
「なるほど、そいつは良かった」
瓢箪の男は、担いでいた太刀を浪人の一人に向けて突き出す。
鞘の先の瓢箪が、ユラリと踊った。
「この酒を買うのに、有り金全部叩いちまった。追剥だったら無駄足だったが」
太刀が少し傾くと、瓢箪と酒の重みで鞘が落ちていく。
カランと、地面に叩かれ音をたてた。
「腕試しなら話は別だ、勝った方がこの酒を飲む。自分の命を守り抜いた喜びと、強い奴に勝った嬉しさを胸に勝利の美酒で舌鼓を打つってのはどうだい?」
「酒か……久しく口にしていないな」
浪人の内誰かの喉が唾を呑み、ゴクリと鳴く。
最後に呑んだ酒の味を思い出しているのだろう。表情に喜の色が混ざる。
「双方に異論はねぇな」
四人の間に沈黙が流れる。
全ての音が消え失せ、まるで互いの鼓動を聞き出そうとする様な探り合い。
背後からの二人が一斉に前へ出た。瓢箪の男へ一瞬で周いを詰める!
挟み込むような、横凪の同時攻撃。
しかしそれは地面に倒れ込むようにしゃがんでかわした。
だが戦場において、地面に手や背を付ける事は命取り。
二人の浪人は、切り替えして突くように切っ先を伸ばす。
ドスッ! ゴリッ! と耳触りの悪い音が二つ。
浪人共の肩から響く。
続いて奏でられるは、苦痛に囚われた二つの断末魔。
攻撃に出たはずの浪人二人が、その肩と腹を抑えながら崩れた。
その状況を残った一人、そして瓢箪の男のみが理解する。
地面を背にした瓢箪の男は、右腕に握られた太刀をそのまま突き出す。と同時、瓢箪を支点として鞘の方も広い地面に立たせる。
すると長さで優るそれらが、浪人たちの刃が届くよりも早く身体をとらえた。
瓢箪の男は素早く立ち上がり、太刀を構えた。
それを好機と認めたか、それとも仲間を救う為か。残りの一人が切りかかるも、それは瓢箪の男の蹴りに防がれた。
下駄に食い込む刃。
瓢箪の男は下駄を脱ぎ、そのままの勢いで回転。立ち上がろうとしていた浪人どもの首を、背後から切り伏せる!
残った一人が大勢を立て直し、下駄の付いた刃で再び切りかかる。
それは瓢箪の男の左肩に入るが、着崩した着物が滑る様に脱げた。
着物に持っていかれる刀。
浪人が振りぬいた刀を、下駄で踏みつける。
そこに下段から上段へ、歪みの無い音で一閃。
血は浪人たちの上等な着物を黒く染め上げ、瓢箪の男にも飛び移る。
周囲に生臭い匂いが充満した。
血池の中、瓢箪を拾い上げる男。
栓を抜き、その透明な中身を口から喉へと送り込む。
ゴクリゴクリッ! と歓喜と狂喜のぶつかるような音を鳴らす。
「プハ―――ッ!!!」
命が尽きてもなお、固く握りしめられた刀たち。
その一振り、下駄を外して浪人の脇に戻してやる。
「達者でな、侍ども」
ビチャ……ビチャ……ビチャ……カンッ!
カンコロカンカン
音のない長屋通りを風に揺れる風鈴の様な、自由気ままな下駄の音が響く。
帯を締めただけで着ているとは言いにくい、酒と血の染みた着物。
刀を収めた瓢箪揺れる鞘を担ぎ、酒を楽しみながら男は何処かへ消えていく。
それがこの頃の日常の音であり、非日常の音である。
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