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たった一つの願いごと。

作者: 神谷 美琴

”だいすきなママへ”



一枚の白い紙に書かれた、幼い字。俺が書いた、母への手紙。


「ハハ…懐かしいなぁ」


椅子に座り、手紙を読んでみる。思わず吹き出しそうになった。この頃の俺は、

よくわからなかったんだ。母が、どこにいるのかを…。




あれは、白い雪が降る寒い冬のことだった。


「パパ!雪、キレイだね」


白いマフラーを首に巻き、赤い長靴で走る。まだキレイなままの、雪の上を。サ

クサク…耳に心地よい音が響いてくる。


「こらこら、タク。そんなに急いだら転んじゃうよ」


息を切らしながら、もう一つの足音の持ち主が歩いてくる。ゆっくり、でも少し

だけ早く。


「平気だって!パパは、心配しすぎだよ」


振り向き、笑みを浮かべながらパパに手を振った。降る雪と、吹く風の冷たさが

肌に当たる。


「よぉし、タクに追いついたぞ!」


やっと追いついたパパに、後ろから抱き締められた。びっくりしたけど、すごく

嬉しかった。


「パパ、くすぐったいよ」


タクは身を捩らせながら、大きな声で笑った。パパも一緒に、大きな声で笑った

。そして、訪れる沈黙。


”温かい”


それが二人にとって、一番安心するものだった。


「…ねぇ、パパ」


「なんだい?」


しばらくの沈黙を破ったのは、タクだった。


「ここに、小さい雪だるまを作ろうよ」


「雪だるま??…そうだね。一緒に作ろうか!」


「うん!」


その言葉を合図に、タクとパパはしゃがみ込んで雪だるまを作り始めた。寒いけ

ど、すごく暖かかった。


「なぁ、タク。素手で大丈夫か?手が真っ赤だぞ」


「大丈夫だよ。パパこそ、手が真っ赤だよ」


二人は、手を交互に見ながら大きく笑った。赤くなって少し痛いけど、二人は平

気だった。だって時々、手を擦り合わせて温めていたから。


「…できた!」


どのくらいの時間が経ったのだろう、辺りは夕日で赤く染まっていた。いつの間

にか、雪は止んでいたのだ。


「タク…これって…」


「僕たちだよ!あのね、大きくてネクタイをしてるのがパパ」


二人の目の前にある、完成したばかりの雪だるま。タクは、大きい雪だるまを指

差す。その雪だるまは、葉っぱで作られたネクタイを付けていた。


「そして、小さいのが僕だよ。ちょっと変だけど、ちゃんとマフラーしてるから


タクが指差す、小さい雪だるま。千切って付けた葉っぱが、マフラーに見える。


「そしてこれがね…」


ゆっくりとタクが指差すのは、パパよりも小さく、タクよりも大きい雪だるま。


「…ママだよ」


葉っぱのエプロンを付けた、雪だるま。右にパパ雪だるま、真ん中がタク雪だる

ま…左がママ雪だるま。


「パパ…ママはどこにいるの?雪だるまみたいになりたいよ…」


タクの一言で、チラチラと雪がまた降り始めた。まるで、降ることを忘れていた

みたいに。


「タク……っ」


ポンポンとタクの頭を軽く叩くと、パパは立ち上がった。タクも慌てて立ち上が

る。


「…ママはね、遠くにいるんだよ」


「遠くに?」


「そう…。ずぅっと遠くにいるんだよ」


「ママは、いつ家に帰ってくるの?」


「タク、ママはね…ママは…もう、帰ってこないんだ…。帰って…こないんだ」


パパの声は、振るえてた。きっと泣いてるんだ。タクは、それ以上のことは聞か

なかった。


「パパ…」


タクは、パパの顔が上手く見れなかった。涙を見るのが、怖かったんだ。あの時

のパパが…ママの写真の前で泣く、パパの姿が浮かんでくるから。タクにとって

今できることは、パパの大きな手を握ることだけ。


「パパ、家に帰ろう?」


「そう…だな。家に帰ろうか」


三つの小さな小さな雪だるまを残して、タクとパパはその場を去った。あの時繋

いだパパの手は、振るえてた。そして時々落ちる涙は、胸を痛くさせた。一歩、

また一歩と、前に進む度に強く握られる手。タクは、そっと握り返してみた。パ

パは、気付いてくれてるのかな?


「…パパ!あれは何!?」


ふと、途中で見つけた赤い小さなポスト。高さは、タクより少し高いだけ。


「これは…ポストだ。こんなところにあったかな?」


パパは、不思議そうにポストを触った。タクも一緒に、ペタペタと触った。


「ねぇ、パパ。これは何をするものなの?」


「これかい?これはポストって言って、手紙を入れるところだよ。この中に手紙

を入れるとね、郵便屋さんが、手紙を入れた人が届けてほしいと思った人のとこ

ろへ届けてくれるんだ」


「ふ〜ん…」


タクは、ポストを見つめた。赤い、小さなポスト。この時タクが何を思ったかは

、パパは知らなかった。


もし届くなら、もし僕の声が届くなら…もし僕の気持ちが伝わるなら、この手紙

をママに渡して。


「タク?部屋に閉じこもってたと思ったら…何か嬉しいことでもあったかい?」


部屋を出たところで、タクはパパに声を掛けられた。家に着いた瞬間、部屋に勢

いよく逃げ込むように入り、閉じこもってれば、誰だって心配はするだろう。


「何でもないよ、パパ」


タクは笑いながら、さっきまで書いていた手紙を背中に隠した。パパには内緒の

ことだから。


「ねぇ、パパ。僕、さっきのポストのところに行ってくるね」


「ポストのところ?」


「うん。そこに落とし物しちゃったから…」


「そうか…一人で大丈夫かい?」


「うん!だって僕、男の子だもん」


パパは笑ってタクの頭を、ポンポンと軽く叩いた。その後、気をつけるんだよっ

て声が降ってきた。タクはコクコクと、頭を縦に振って答えた。

「行ってきます」


あのポストにこの手紙を入れれば…。タクは、一生懸命歩いた。歩きにくい雪の

上を。


「…あっ!あのポストだ」


タクは、ポストに向かって走った。ザクザクと、雪を踏む音が響き渡る。途中、

転びそうになった。でもタクは、ポストに向かって走っていた。


「あと少し…あと少し」


息が切れる。こんなに一生懸命になったのは、何日ぶりだろう。そんなことを思

った瞬間、タクの頭に何かが響いた。


「…ちゃん」


聞き覚えのある声。懐かしい声。タクは、立ち止まった。雪は、パラパラと降り

続ける。


「…クちゃん。タクちゃん…」


「…ママ??」


タクは、そう呟いた。一番に頭の中に描かれた人だから。ゆっくりと振り返った

。その声が、ママであるようにと願いながら。


「…あれ?」


タクが振り返ったその先には、誰も居なかった。そこにあるのは、タクの足跡だ

け。


「…何だ…誰もいないじゃん」


また、ポストに向かおうとタクは歩き出した。その時、誰かがポストの前に立っ

ているのが見えた。その人は白のコートを羽織り、赤いマフラーを巻いていた。

白いマフラーと、赤い長靴。タクとは違うけど、同じ色をしていた。


「誰…?」


ポストの場所に着いた時、タクはその人に聞いた。知りたかったわけではない。

ただ、なぜかその人が気になったのだ。その人…彼女はタクの声に気付き、ニコ

リと微笑んだ。


「さぁ…誰でしょう」


タクはびっくりした。あまりにも彼女が、優しく笑うから。あまりにも彼女が、

輝いて見えたから。


「誰でしょうって…自分の名前はわからないの?」


「実は…ね。記憶が無いのよ。自分に関する記憶がね」


「記憶が無いの!?…じゃあ、どうしてここに!?」


彼女は人差し指を口に当て、しばらく考えた。そして思い出したのか、ゆっくり

としゃべり出した。


「手紙…そう、手紙を持ってたの」


「…手紙?」


「うん。そしたら目の前にポストが見えて、あっ!出さなきゃ!…って思って…

気がついたら、ここに立ってたって訳なの」


彼女は自分で納得したのか、コクコクと何度も頭を縦に振った。笑う彼女をタク

が見ていると、彼女が突然振り返った。


「…っ!?」


タクはびっくりして、慌てて目を伏せた。もしかして…見てたことわかっちゃっ

た?


「ねぇ…君の名前は何て言うの?」


「ぼっ、僕!?」


「そう、君の名前」


慌てて損したかも…。彼女は気付いてなかったのか、笑顔で質問をしてきた。タ

クは一つ、大きく溜め息をしてから答えた。


「僕の名前は青井拓哉(あおいたくや)。タクって言うんだよ」


「タク…じゃあ、タクちゃんだね」


「えっ…」


びっくりした。今まで、ママからしか呼ばれたことがないから。やっぱりこの人

…ママに似てる…。

彼女と、どれくらいここでしゃべっただろうか。辺りは薄暗くなっていた。


「もうこんな時間!タクちゃん、送ってくよ。…タクちゃん?」


「…うん?大丈夫だよ」


タクは、ボーッとしていた。彼女が声をかけても、返事が遅れて返ってくるだけ

だった。彼女の手が、ゆっくりとタクの額に触れる。ひんやりとして、気持ち良

かった。


「ちょっと!タクちゃん、熱があるよ!早く帰らなきゃ!」


彼女はタクを背負うと、ゆっくり、なおかつ早く歩き出した。


「タクちゃん、大丈夫だよ。タクちゃん……タク……」


次第に遠くなる彼女の声。タクは、彼女の温もりを感じた。


「お姉ちゃん…。ありがとう…。お姉…ちゃん…」


タクは意識が遠くなり、そのまま眠りについた。ふんわりと香る、彼女の髪の匂

い。甘くて、すごくいい匂い。


「…ママ…」


ふとタクが言った声は、静かに風と共に流れていった。


「ん…」


眩しい日差しに、タクは目を擦りながら起き上がった。辺りを見るとそこは、外

ではなく家の中だった。しばらくボーッとする中、タクの頭に彼女の笑顔が浮か

んできた。


「…あっ…お姉ちゃんは!?」


布団から出たタクは、慌ててパパのところに走った。朝ご飯が今できたのか、パ

パはテーブルにお皿を並べていた。


「パパ!お姉ちゃんはどこ!?…どこにいるの!?」


「おはよう、タク。そんなに慌ててどうしたんだい?」


「どうしたって…昨日のお姉ちゃんは!?」


「お姉ちゃん?…そんな子、いなかったよ。昨日は、家の外にタクが倒れてたん

だ」


「嘘だ…」


タクは、その場に座り込んだ。驚きが隠せない。


「…タク…あっ!そうそう!タク宛てに手紙が届いてるよ」


そう言ってパパは、タクに手紙を渡した。差出人は書かれていなかった。


「誰からだろう…」


『タクちゃんへ


今日も元気?パパとはちゃんと仲良くしてる?

ママね、言いたいことがあるの。一つだけ、思い出したことがあったから。ママ

、タクちゃんが生まれてくる前に…一度タクちゃんに会ってるのよ。

あの時は、記憶がなくて…気がついたら、ポストの前に立ってたの。タクちゃん

は…覚えてるかな?ママ、すごく可愛かったでしょ?

タクちゃんに、あの時会えて嬉しかった。この手紙、いつ渡そうかなって…正直

迷ってます。信じてくれないかもって、すごく怖いから。

…でもママは、信じてくれなくてもいいよ。二人がこの話を聞いてくれる、ただ

それだけでいいの。

この手紙を読んでくれてありがとう。タクちゃんは、これからもずっと良い子で

いてね。パパに迷惑をかけちゃダメだよ。』


タクは泣いた。いっぱい泣いた。昨日のお姉ちゃん…やっぱり、ママだったんだ


「ママ…ママ…」


あの時の俺は、気付いたんだ。母はいないということ、母とは二度と会うことが

出来ないことを。今この手紙を読み返すと、懐かしいような、不思議な気分にさ

せられる。


「タクー!降りて来い。釣りに行くぞ」


「今行くよ!」


俺は、あの時母に会えて良かったと思う。この先もずっと、俺と親父の心の中で

母は生きて行くんだ。




『だいすきなママへ


ぼくは、パパとなかよしだよ。こんどパパが、つりにつれてってくれるんだ。パ

パ、すごくはりきっちゃってたいへんだよ。

それから、ママにいいたいことがあるんだ。それはね…ないしょ!

このてがみが、ママにとどくといいな。』



俺の手紙は、箱の中にある。ずっと、今まで出せずにいた。あの時のポストは、

今もあるのだろうか。三人を繋いだ、あのポストは…。











”それはね…ママとパパのこどもになれて、すごくしあわせだよ。”



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― 新着の感想 ―
[一言] 初めまして。幼いタクちゃんがお父さんにも気遣いを見せるので、健気ですね。  お母さんに幻でも一時出会え良かったと感じました。何気ないはずの赤いポストが印象的に残ります。  優しい物語良かっ…
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