異世界転生
アスファルトの熱が陽炎のように揺らめく、放課後の住宅街。高校二年生の桜井 鈴は、人混みを避けるように俯き加減で歩いていた。目立つことは苦手、人と話すのはもっと苦手。彼女にとって、学校の教室よりも、この誰もいない帰り道の方がずっと居心地が良かった。
そんな彼女の耳に、「ミャア…ミャア……」という、か細い鳴き声が届いた。
ハッと顔を上げると、道の真ん中、今にも車が通りそうな場所に、小さな子猫が座り込んでいた。まだ目も完全に開いていないように見える。鈴の心臓がドキンと跳ねた。人前に出るのは嫌でも、困っている生き物を見過ごすことはできなかった。
「だ、だめ、そこにいたら……」
子猫を助けなければ。そう思った瞬間、彼女は体が勝手に動いていた。
走り出し、子猫を抱き上げ、道路の端へ。子猫の柔らかい毛皮の感触と、同時に聞こえた鋭いブレーキ音と衝突音。そして、全てが白く染まった。
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次に目覚めたとき、鈴は柔らかな光に包まれた、神殿のような場所に立っていた。目の前には、白銀の髪を持ち、優雅な羽衣を纏った、それは美しい女性が微笑んでいる。
「あら、目を覚ましたのね。初めまして、可哀想に。あなたはもう、元の世界では助からない体になってしまったわ」
柔らかな声が、鈴の頭の中で直接響く。
「え……あ、その……」
混乱と、そして目の前の「女神様」という存在の威圧感に、鈴は思わず一歩後ずさった。口から言葉が出てこない。人見知り特有の、強烈な緊張感が全身を支配する。
女神様はクスリと笑った。
「そう怯えないで。あなたはとても優しい心の持ち主だった。あの行動は、魂の輝きね。だから、私はあなたに褒美をあげようと思うの」
女神様は、透き通るような白い指をスッと伸ばした。
「あなたはこれから、『ミッツメラルド』という異世界に転生してもらうわ。その世界で生き抜くために、何か望むスキルはないかしら? 強大な魔法、不死身の体、それとも、人たらしの話術?」
女神の問いかけに、鈴は顔を真っ赤にして俯いた。
(ど、どうしよう。女神様なんて偉い人に話しかけられてる……。ま、まともに目も見れない……。スキル? 欲しいけど、それを口に出すなんて、厚かましすぎないかな……。それに、何か変なこと言ったらどうしよう……!)
頭の中で思考がぐるぐると渦を巻く。視線は足元の床に張り付き、かろうじて口から漏れるのは、蚊の鳴くような声だけだった。
「あ、う……そ、その……えっと……」
全身から発せられる「話しかけないでオーラ」と、オドオドした挙動。
女神様は、そんな鈴の様子をしばらく観察していたが、やがて楽しそうな顔でパンと手を叩いた。
「もう! 何をそんなにオドオドしているの。せっかくのチャンスなのに、もったいないわね。……ふむ」
女神様はしばらく考え込むと、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「よし、決めたわ。もう、それ『人見知り』スキルにしちゃえ!」
「え?」
鈴が顔を上げると、女神様は満面の笑みで説明した。
「あなたのその『人見知り』、ものすごいポテンシャルを秘めているわ。あなたが人と接する時に感じるその緊張感、恐怖心、オドオド……それを全て力に変えるスキルよ!」
女神様は、鈴の頭上に輝く光の球をそっと置いた。
「スキル名は【絶世の人見知り】。レベル上限はないわ。あなたが人見知りを発動させ、緊張すればするほど、あなた自身のステータスが飛躍的に向上し、新たな能力を覚醒させるわ」
女神様は、目の前に光の文字を浮かび上がらせて見せた。この世界のレベル上限は999よ。
| 人見知り発動対象 ステータス上昇値 |
| 2人まで | Lv 1 UP |
| 3人~5人| Lv 2 UP |
| 6人~10人 | Lv 3 UP |
| 11人~100人| Lv 10 UP |
「もちろん、これは初期設定。レベルが上がれば、上昇率も跳ね上がるわ。要するに、人と会って緊張すればするほど最強になれるというわけ。素晴らしいでしょう?」
鈴は、自分の最大にして唯一の欠点が、まさか最強のスキルとして扱われることに、開いた口が塞がらなかった。
(最強になれるって言われても、誰かと会うのが怖いことに変わりはない……。でも、最強……?)
女神様は満足そうに頷くと、鈴の背中をポンと押した。
「さあ、新たな人生を楽しんで。ただし、転生後のあなたは、本当に誰も知り合いのいない、見知らぬ世界に放り込まれるわよ。頑張って、沢山緊張して、強くなりなさい!」
女神様の言葉が終わるやいなや、鈴の体は再び強い光に包まれ、意識が遠のいた。
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目が覚めると、そこは鬱蒼とした森の中だった。周囲には、見たこともない巨大な樹木が生い茂り、聞いたことのない獣の鳴き声が響いている。
鈴は恐る恐る自分のステータスを確認しようと念じた。
> 名前:桜井 鈴
> 種族:人間
> レベル:1 / 999
> スキル: 【絶世の人見知り (Lv.1)】
> 称号: 優しい子猫の守護者 (MP+50)
(な、なんだか、本当にゲームみたい……)
すると、ガサガサと茂みが揺れ、その中からゴブリンのような、緑色の肌をした人型の魔物が一匹現れた。体長は1メートルほどで、ギョロリとした目がこちらを睨んでいる。
「グガ……?」
鈴は全身が凍り付くのを感じた。
魔物だ!見知らぬ場所に放り込まれた恐怖、そして初めて見る「人型」の生物との遭遇。恐怖と人見知りが合わさった強烈な緊張感が、脳天を突き抜けた。
(ひ、人…じゃないけど、言葉が通じそうな感じがする! や、やだ、話しかけないで……! 怖い、怖いよぅ……!)
その瞬間、鈴の頭上に、まばゆい光が輝いた。
> 【絶世の人見知り】発動!
> 対象:1体
> 経験値ボーナス獲得!
> レベルが 1 上がりました!
> 能力【回避 (Lv.1)】を獲得しました!
鈴のステータスが更新される。
> レベル: 2 / 999
> スキル: 【絶世の人見知り (Lv.1)】【回避 (Lv.1)】
緊張しただけでレベルアップしたことに驚く間もなく、ゴブリンは「グアァ!」と叫んで、原始的な棍棒を振り上げて襲いかかってきた。
恐怖で身が竦む鈴だが、新たに獲得した【回避】スキルのおかげか、体が半歩後ろに滑るように動いた。棍棒は虚しく空を切る。
(だ、だめだ。こんなところで死にたくない……! あと、あっちにもう一匹いる……!)
鈴はゴブリンの背後の茂みに、もう一匹の魔物の気配を感じた。視線は合わせられないが、確かにそこには「もう一人」いる。
「二人」。その事実だけで、鈴の緊張はさらに増幅した。
> 【絶世の人見知り】発動!
> 対象:2体
> レベルが 1 上がりました!
> 能力【魔法耐性 (Lv.1)】を獲得しました!
> レベル: 3 / 999
> スキル:【絶世の人見知り (Lv.1)】【回避 (Lv.1)】【魔法耐性 (Lv.1)】
(なんだこれ……。強い、強いけど……。やっぱり人と会うのは怖い……! 早くここから、誰もいない所に……!)
鈴は、人見知りという名の最強スキルを胸に、恐怖に震えながら、誰もいない場所を求めて森の奥へと駆け出したのだった。
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【絶世の人見知り】の力は、彼女が人との接触を避けようとする強い意志と、それに伴う絶大な緊張感によって、無限に高まっていく。
「誰にも、会いたくない……!」
それが、異世界最強を目指す、人見知りな少女の第一歩であった。




