第1章:再会
午後の会議室は、空調の効きすぎた冷気で張りつめていた。
プロジェクターに映し出されたスライドを一枚めくるたびに、亮は口の中が渇いていくのを感じていた。
「……以上が、今回のキャンペーン施策の全体像となります」
声を張ったつもりだったが、耳にはやけに頼りなく響いた。
代理店に勤めて十二年。プレゼンは慣れているはずなのに、得られるのはいつもの虚脱感だった。
まばらな拍手とともに会議が散会すると、プレゼンの途中に入ってきた客先の担当者数名が近づいてきて名刺を差し出す。
その中に、見覚えのある顔があった。
――まさか。
一瞬、息が止まった。
長い黒髪を肩に落とし、スーツ姿に身を包んだ女性。
彼女と目が合ったとき、記憶の底に沈んでいた名前が、音もなく浮かび上がってきた。
「……紗季?」
思わず声が漏れた。
彼女は柔らかい笑みを浮かべていた。
「久しぶり、亮くん」
時間が逆戻りしたような感覚に、狼狽えた。
可愛らしい顔立ちに大きな瞳が柔らかく揺れ、微笑むと口元に小さなえくぼが浮かぶ。
細身の体に程よく丸みがあり、胸元や腰のラインが自然に目を引く絶妙なバランス。
肩から胸元にかけてのラインは服越しにも柔らかく浮かび上がり、無意識に視線がそこに留まる。
小柄な体に宿るしなやかさと、自信を感じさせる立ち姿が、ただの昔馴染みではなく抗えない存在として映った。
ふと髪の先が揺れ、かすかに香る柔らかな匂いが風に乗る。
亮は思わず距離を詰めたくなる衝動を抑え、曖昧に会釈した。
彼女の存在感だけで、会議室の冷たさと張りつめた空気は、すっと和らいだように感じられた。
「ここで会うなんて、驚いた」
「……俺もだ。マーケティング部に?」
「うん。今回の案件は私が担当することになったの」
淡々と告げる声に、仕事人としての落ち着きがにじんでいた。
しかし、微笑んだその瞬間、学生時代の面影が一気に蘇る。
教室でノートをめくる仕草、ふと窓の外を眺めていた横顔。
忘れたと思っていたものが、次々と胸の奥からあふれ出す。
「それじゃあ、改めてよろしくお願いします」
彼女は軽く会釈し、他の担当者たちと共に会議室を後にした。
残された亮は、椅子に腰を下ろしたまま深く息を吐く。
――どうして、こんなに心がざわつくんだ。
ただの仕事相手。再会は偶然に過ぎない。
そう言い聞かせても、鼓動は収まらなかった。
資料をまとめてカバンにしまい会議室を出てエレベーターで一階まで降りた後、ビルの出口に向かう途中で背後から声がかかった。
「亮くん、少し時間ある?」
振り返ると、紗季が立っていた。
「久しぶりに会ったから……ちょっと話したくて。抜けてきちゃった」
控えめに笑うその姿に、学生時代の面影が一気に色を取り戻す。
気づけば、自然と「いいよ」と答えていた。
二人は紗季のオフィスとは別のビルの一階にあるカフェに腰を下ろした。
窓際の席に並んで座ると、通りを行き交う人々のざわめきが遠くに聞こえる。
「大学以来だね。十年以上、かな」
「そうだな。……紗季は変わらないな」
言ってから、直接的だったかと後悔する。
だが、彼女は少し驚いたように目を見開き、すぐにふっと笑った。
「そう見える? でも、いろいろあったんだよ」
その言葉に含まれた重みが気になったが、深く聞き返すことはできなかった。
ただ、目の前の彼女がかつてと同じ柔らかさで笑っている――それだけで、胸の奥に微かな熱が生まれていた。
コーヒーを飲み終え、二人は駅の改札前まで歩いた。
「じゃあ、また仕事で会うわね」
そう言って差し出された手に、亮は一瞬ためらった。
握手――ただそれだけの行為が、やけに特別な意味を持っているように感じられる。
「……ああ、また」
紗季が差し出した手を握ると、掌の温かさが指先に残る。
小柄な体に秘められた柔らかさと力強さが伝わり、亮は無意識に息を止めていた。
手を離しても、熱が指先に残ったままだ。
彼女は小さく手を振って、改札の向こうへ消えていく。
立ち尽くした亮は、深く息を吐いた。
――再会は偶然か、それとも必然か。
残暑の風と彼女の香りに混ざった胸のざわめきは、確かな予感として心に刻まれた。
周囲の喧騒にかき消されることのない、微かな鼓動。
胸の奥で、何かが静かに、しかし確実に動き始めているのを、亮は感じていた。