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白の夜に堕ちる月  作者: 天野織
1/1

第一話 悪夢と現実からの声

*この作品はフィクションです。実際の物事、団体には関係ございません。


『た、す、──けて──。助け──て。────助けて────』

(またこの夢か……)

 暗闇に一人立たされた俺の耳に、助けを求めるようなか細いささやきが届く。いつもの如く、声の主の姿は見えず、身動きは取れない。

 不毛な夢。

 呆れたようなため息が無意識のうちに漏れ、続いて、これから起きる現象に辟易する。

 幾度も幾度も全く同じ内容のこの夢を見る症状は幼少期より続いたものだが、共に生きて20年目ともなれば、もはやもどかしい思いなどするはずもない。しかし、毎度この夢に起こされる不便さに対しては今でも不快感を抑えることができず、最近では専ら、悪夢を見ることよりもこちらのほうが問題なのでは?──と思うようになってしまった。

『た、、──す、────け────』

 繰り返されていた意味のない救援要請がかすれ、徐々に聞こえなくなっていく。

 ルーティーン、とでも呼べばいいのだろうか。この後、徐々に意識が薄れていくような感覚を味わい、完全に意識が途絶えた──と、思った瞬間に現実で目覚めるのがいつものお約束だった。

 案の定、今回も意識はおぼろげになっていく。

 薄れゆく意識で、この後の出来事が今までにない現象であることをほんのわずかに期待しつつも、いつもの流れに身を委ねる────

「チッ」

 目が覚めた。

 月光が差し込む宿屋の二階。気象、ロケーションともに安眠には最適な状況であったが、なによりも、金を払ってこの状況を手に入れた、という事実が中途覚醒への失意を際立たせる。

 そんな状況下にある体を起こし、ベッドから抜け出ては、武器、財布、証明書などの最低限の貴重品を手に持ち、部屋の扉に手をかける。今から取るこの行為も半ばルーティーンと化している行為であるが、悪夢を見た後はクールダウンのために散歩に出ることにしていた。

 隣室の宿泊客を起こさないように、細心の注意を払って扉を開け閉めし、おぼつかない足取りで一階に向かう。そこには、昼に見た時とは違う男がカウンターで店番をしている姿があった。ただ座らせておくしてはは惜しいと思うような、たくましい腕を持ち、強面……と言えなくもない()がどっしりと中央に座している。この状況を見て夜盗に入ろうと思うような人間は、おそらく一人としていないだろう。

 これなら貴重品を部屋に残しておいてもよかったな──と思いつつも、店番の前を通過する。止められずにスムーズに外出できればいいが────

「おい。"灰耳"、こんな夜遅くにどこに何しにいくってんだぁ?」

 深夜の宿には似つかわしくもない、豪胆な声が発せられた。

 『"灰耳"』。それは猟友会における俺の二つ名であり、凝固した灰色の魔法印が耳に取って代わっているような、俺の異形になぞらえて付いた名だった。このような体質を持つ人間は極まれで、俺の知る限りでは"灰耳"と呼ばれるような人間は、俺をおいて他にいない。故に、ロビーに居合わせた、フードで顔を隠した人影が実は俺と同じ体質で、店番はそいつに話しかけていた──という可能性を泣く泣く排除し、億劫ながらも返事をする。

「俺だって部屋でぐっすり眠りたかったんだが、生憎、悪夢に起こされちまったんでね。これから気晴らしに散歩でもしに行くところさ」

 と返すと、いじわるな笑みを浮かべて店番の漢は問う。

「『散歩』ねぇ。男同士なんだ、隠し事する必要なんざねぇと思うが?」

「お前が期待しているようなことはねぇよ。本当に散歩だ」

 少々なげやりになりながらも誤解を解き──店番の表情を見る限り、解けていないように思えるが──ともかく、当初の予定通り散歩に繰り出す。

 宿屋を出て一歩目。ほんのり冷たい風が頬を(かす)め、木々の()れる音が異形の耳に染み込む。実に心地のよい夜であった。

 なおさら、途中で起きてしまったことが悔やまれる。

 特に行き先などは決めていなかったが、町に向かって行く様を見られては、またしてもあらぬ疑いをかけられることは明白だった。そのため、

(まったく、店番が下世話な奴じゃなけりゃ、こんなことしなくてよかったんだがなぁ)

と心の中で毒づきながら、宿屋の裏手──木々が生い茂る夜の森へと歩みを進める。

 

 ──十数分はたっただろうか。しばらく夜の森を散歩して、クールダウンも十分と思えるほどに落ち着いてきたころには、代り映えのしない風景に飽き飽きしていた。

 もういいや、と苛立ちを交えて踵を返すと、ふと、宿屋のロビーに居合わせたフードの人間の姿が頭を(よぎ)る。

 そもそも、森を散歩する羽目になったのは、この目立つ耳が有名人であることを喧伝しているからであって、彼?のように耳を隠していれば、今頃町で散歩を楽しめていたのではないか?──と、今更ながらに思いついたのである。

 とはいえ、この"灰耳"が俺を俺たらしめているのは、もはや疑いようのない事実であり、他者とは違う部分を持つことに優越感を感じなくもない。そう思うと、感謝こそすれど、それを隠して生きるのはやはりナシだなとも思えてくる。

 そんな感傷を抱きながら耳に触れると、存在感をアピールするかのような、凝固した魔法印特有のざらざらとした触感が指を通して伝わってくる。 

 通常、この魔法印が凝固するという現象は、魔法印の酷使や、転写による過剰な改造を繰り返したことによる末期症状のようなものであり、完全な凝固を許したが最後、それは魔女の心臓として機能し始め、宿主を異形の魔女へと作り変える。

 故に、人々には災厄の予兆として知られている現象ではあるが、極まれに、生まれつき凝固が完了した状態の魔法印を持った子供が誕生するのだ。その場合、凝固した魔法印は宿主の成長と共に、徐々にそれができた部位の形状へと変形していき、──例えば、腕に凝固した魔法印を持って生まれた場合は、成長と共に腕の形に近づきながら大きくなるといった具合である──最終的には、身体の一部が凝固した魔法印でできた、異形の人間が完成する。

 無論、ただ異形となるだけではなく、恩恵も存在する。それらの部位は決まって、魔法印に応じた異能を発揮できるようになるのだ。そのせいもあってか、災厄の予兆と呼ばれているものが、生まれつきのものであったならばギフテッドとして持て(はや)される、という、なんとも皮肉めいた風潮を生み出している。

 俺の場合はこれが耳で起き、凝固した灰色の魔法印が今や俺の耳と化しているのであった。

 負の一面として、これが原因で親に捨てられたこともあったが、()()()()という身分を持った今では最適解と言っても過言ではない異能、「魔女のこ────

「『助けてぇぇーーーー!!』」

「!」

 しんと静まり返っていた森に、突如として、女の甲高い声が響いた。

 人!?なぜこんな時間に、こんなところで?──という疑問と焦りを何とかして押し込める。

「すぐ助けに行く!方向を把握したいから、返事をしてくれ!」

「『こっちですぅーー!助けてくださーーーーい!!』」

 返答あり──、ということは相手は人間である。確認ができて多少は安堵できたのか、思考がクリアになる。

(12時の方向、このまま直進すればかちあう!)

 盗難防止のために宿屋から持ってきていた武器に手をかけ、いつでも抜けるようにしながら、まっすぐ疾走する。

 先ほどの声からして、距離はそう遠くない。おまけに、近づいている証拠か、魔女の声がかすかに耳に届き始める。

『に──る、な』

「『誰か、早く──』」

 まだ生きている!

(頼む、間に合え!!)

 全力疾走を続けている足に、より一層力を込め、絡みつく枝を引き裂く勢いで走り抜ける。

 しかし、数十秒にも満たぬうちに、寝起きの体は根を上げ始める。

「ハァ──、ハァ──」

 だが、人命には代えられない。気合を入れ直して息を大きく吸い、力を振り絞る。

 そして──

(──見えた!)

 人間大の影が一つに、木々に劣らぬ背丈の影が二つ。声の主と、おそらくは魔女のものだろう。遠目ながら状況を確認し、走り続ける。

 そこからわずか数秒。女の長い碧色の髪が目に入るまでに肉薄する。次いで、蝙蝠と熊が合体したかのような、異形の魔女の全容も露わになる。

 現場まであと数歩。

 戦闘に備えて気合を入れ直し、勢いそのまま現場に突入する──。

「大丈夫か!助けにきたぞ!」

 木々を潜り抜け、人影を庇うようにして一歩前で停止。次いで、女の安否を確認すると、

「『はい!ありがとうございます』」

 と返答。ちらりと目で見た限りでも、目立った外傷は特にないようだった。

 一連の確認を済ませ、すぐさま視線を前方へと向ける。

 そこには、熊ほどの図体を誇る下級魔女が、品定めするかのような目つきでこちらを見下ろしながら待ち構えていた──。


 何が起きているのか、私はすぐには理解できなかった。怪物に襲われ、助けを求め……そして──この男に助けられた?──ので、あっているのだろうか──?

 何はともあれ、男は庇うような姿勢で私の眼前に立ち、怪物をまっすぐ見据えている……ように見える。

 混乱も冷めやらぬなか、状況は動き始めた。

「抜刀」

 男の言葉に応えるように、背中に担がれた武器を覆っていた布のような物が、空気中に溶けるようにほどけ、細やかな粒子となって消えていく。それらの粒子の隙間から現れた武器の全容は──

 ────虹色の七支刀。

 そう形容せざるを得ないような奇妙な見た目をしていた。七つに枝分かれした()が、赤、青、緑……など、各々別の色を帯びており、それらが混じりあう中心部分が虹色に染まっている──そんな武器だった。

 男はその剣を、怪物の中心線に合わせるように構える。

 私に向ける気はなかったようで少し安心するものの、一方で、剣を向けられた怪物はすぐさま戦闘態勢に入り、まだ状況は安心できるようなものではないことを思い知らせてくる。

 ついさっき、両腕で踏ん張るかのような姿勢に移行したばかりだったが、そのまま怪物は口を開き、

『火よ────』

 と唱える。

 明らかな戦闘行為。にもかかわらず、男は腕をほんの少しだけ動かし、それ以上の行動はとらなかった。

 それに対し、怪物は魔法攻撃──限界まで開かれた口から二人まとめて焼き殺せるほどの大火球を放つ技──をもって答える。木々を燃やしながら迫る火球、しかし、なおも男は微動だにしない。

 なんで!?──と、パニックになりかけたのも束の間、それ以上にインパクトのある現象によって、より大きな混乱に塗り替えられてしまう。

「──"常在魔力"解放」

 男の詠唱とともに、大火球は消失。それどころか、木々に引火した炎すらも跡形もなく消えてしまった。

 もはや、何が何だか、わからなかった。

 しかし、驚くべきことはまだまだ続く。

 男の剣が突如として輝きはじめ、それと同時に、怪物目がけて振り下ろされ──

『ア”ア”ア”ァァァーーーーーー』

 ──断末魔と共に怪物が倒れ伏したのだ。

 男の背後から目を凝らして見ると、刀身には不釣り合いな、巨大な断面が怪物に刻まれている。その様子を見ていたからか、二体目の怪物は一体目とは別の予備動作を始める。両手を天に掲げ──

 ──それに応じるように、男は、彼から見て右側に位置する二体目の怪物に向き直り、剣を構える。

 この構えも異様だった。背後から眺めていた一度目は気が付かなかったが、横から構えが見える今ならわかる。この男の構えは、異常だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()など、異常と言う他ない構えだった。

(いかづち)よ────』

 怪物は唱える。それと同時に怪物の両の手に雷の玉が形作られていく。

 その瞬間、男は枝分かれした()のうち、黄色を帯びた枝が、ちょうど雷の玉に重なるように、剣を構え直す。

 さっき、ほんの少し腕を動かしていたのはこれだったのか!──という三度の驚愕の後、雷の玉は放たれた。

 ──しかし、またしても男に届くことなく消失し、攻撃を行った張本人は再び虹色に発行し始めた七支刀により、「両断」された。

 こうして、真夜中の森で突如として始まった戦闘は、生存者の理解も追いつかぬうちにわずか二撃で終わりを迎えた。

「──改めて聞くが、無事か?」

「『はい。助けていただき、ありがとうございます。』」

「そうか。なら、とっととこんな森から出よう。」

 そういうと男は剣を背に担ぎ、それと同時に消えた布が現れた、かと思えば、ぐるぐると武器を包みこんだ。

 男は振り返り、発言する。

「まずはあんたを家まで送り届けてから俺は帰るから、ひとまず、あんたの家がある方へ案内してくれ」

「『い、え──』」 

「?」

「『いえ、──って何ですか?』」

「────は?」

 この言葉を最後に、気まずい沈黙がしばらく続くことになってしまった────。


 家を知らない。それは20年生きてきて初めて耳にした言葉だった。あきれ半分、困惑がもう半分、何も口にできないほどの葛藤がしばらく続いた後で、ようやく言葉が紡がれる。

「──それは──哲学的な問い──なのか?それとも、ハナからそんなモンはもっちゃいねぇ──って話か?」

「『てつがく?──も分からないですが、とにかく、あなたに付いていきます』」

「……」

 ハァーーーーーーーー、と深いため息が漏れる。これは後者のほうだなー、と諦めのような感情が湧きつつあるが、手間をかけて助けた以上は今後も無事でいてもらわなければ寝覚めが悪い。

「あんた、名前と年は?」 

 とりあえず、これだけ分かれば後で身元も特定できるだろう──と思い、軽い気持ちで口にする。さらに面倒なことになるとは露ほども思わずに。

「『──ごめんなさい、それも分からないんです』」

「────────」

 絶句とはまさにこの事だった。

 その後もいくつか個人情報を引き出せそうな質問を投げかけてみたが、結果は分かりません一辺倒。結局、記憶喪失ということで話をつけ、次の課題──どこに帰らせればよいか──について考え始めることにした。

「さっき俺に付いてくるって言ってたが、俺と同じ宿屋に泊まるってことでいいな?」

「『はい』」

 質問の意味を理解しているのか、いないのか、全くもって分からないが、ワンパターンだった先ほどの問答と比べると、進展がある分いくらかはましであった。

「まぁいい。ところで、宿代は──聞くまでもない、よなぁ」 

「『……ごめんなさい』」

 案の定である。だが問題ではない。

「まぁ、数日程度なら今から用意できる」

「『……はぁ』」

「まぁ見てな」

 そう言いながら、長らく放置されていた魔女の死体に歩み寄り、懐からナイフを取り出しては死体の断面に押し付ける。グジュッ、ブシィ──と、グロテスクな音を立てながら肉や内臓が剥がれていき、熊ほどもあった図体が徐々に小さくなっていく。

「『何を──』」

 という女の問いを無視し、ひたすら解体作業を進める。

 想定では、あと少しでお目当てのものにたどり着くはずだが────

「ビンゴ」

 肉の隙間から覗いていたのは、凝固した魔法印、すなわち魔女の心臓である。これを武器に練りこむか、あるいは、人間に魔法印を直接転写することによって、魔法印に記された魔法を扱うことができるようになる。故に、売ればそこそこの値が付く。

 肉をかき分けて心臓を取り出し、こびりついた肉片や血液はその辺に生えている葉っぱを使って拭う。

 一瞬、女の方を確認すると、何やらあっけにとられた表情をしていたが、おかまいなしとばかりに掃除が済んだ心臓を仕舞い込む。

 それを見て作業がひと段落ついたと思ったのか、女から問いが投げかけられた。

「『あの……先ほどは、一体どうやってこれを倒したのでしょう……』」

「……俺はこの"灰耳"のおかげで”魔女の言葉を人間の言葉として理解できる異能”を授かっていてな、んで、この刀は刀身の色に対応する属性の魔法を吸収して力に変換することができる。だからこそ、俺にしかできない芸当、つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()して、それと同じ色の刃を向けて待ち構え──そして、カウンターで倒す、ってなことをしてるワケよ」

 と、少々長くなってしまったが、二体目の解体に移りつつ答える。

 そうすると、へぇ──と納得したような表情を女は浮かべ、それ以上の質問はしてこなかった。

 ──三分後、二体目からは心臓こそ獲得できなかったものの、「記晶」と呼ばれる結晶を入手することができた。

 正直、下級魔女の心臓と比べるとはるかに高い値がつく物のため、これが二つ手に入ったほうが都合が良かった。だが、まぁ、宿代としてはおつりが返ってくる程度の収穫ではある。

 こうして交渉の手札が揃った以上、これ以上ここに長居する必要はない。早速、女を連れて出発しようと声をかける。

「すまない、待たせたな。これだけあれば、しばらくは泊まれるだろ」

「『──泊まれる──んですか?』」

「あぁ、だから、付いて来い」

 そう言って宿屋のある方向へと向きを変えると、意外にも聞き分け良く、女は後を付いて来た。


 道中では特に問題なく、五体満足で宿屋まで帰ることができた。しかしながら、「店番」という最も面倒な相手の存在を完全に忘れていたのは痛手だった。それこそ、フードで女の顔を隠しておけばよかったのだが──

「おいおい、何が、期待しているようなことはねぇ、だ。ちゃっかり女を連れてきてるじゃねぇか」

 と、ニマニマした顔の店番から問われる。

「だから、本当にそれは誤解だ。さっき魔女に襲われていたところを助けたら、家がねぇってんで、しょうがなく連れてきたんだよ」

「はいはい、お客さんね。二人同じ部屋でいいな」

「いいわけねぇだろ」

 と若干の怒りを交えながら答えるも、店番は気にする様子もなく対応を続ける。

「なら、金を出してもらわんとな」

「……あー、それなんだが、魔女の素材で手を打っちゃくれねぇか」

「へぇ、そうかい。だが、雇われの身に越権行為をさせるってぇ算段なら、相応の品が必要だぜ?」

「安心しろ、"灰耳"の名にかけて、お前を満足させると約束しよう」

 そう言いつつ、先ほど魔女から剥ぎ取った戦利品、「心臓」と「記晶」を取り出し、カウンターに並べる。

「──ほう。心臓と記晶、ねぇ。一体、どんな魔法印なんだ、こりゃ」

「おそらく、"発火"だな」

「なるほど、"灰耳"が言うなら間違いねぇ」

 一説には、魔法印とは魔女の言葉であるらしい。故に、それを理解できる"灰耳"は鑑定においても役に立つ。かつて戦闘の中で耳にした詠唱と、心臓が出てきた個体の戦闘スタイルとを照らし合わせれば、大体の鑑定は当たるのであった。

「んで、こっちの記晶には、どんな記憶が?」

「さぁな。一回も使ってないんでわからん。お前が確認して値段を判断しろ」

「殊勝なこった。新鮮な、最も高く売れる状態でお届けとはな」

「別に、当然のことをしたまでだ。せめてもの誠意としてな」

 店番の言葉通り、この記晶と呼ばれる物体は、使えば使うほど閲覧できる記憶が掠れ、それと共にどんどん値段も下がっていくという品だった。

「そうかい、なら、僭越ながら──」

 そう言いながら、店番は記晶を自身のおでこに当てて、目をつむる。記晶の中に記録された()()()()()を読み取る際に必要な動作だ。と、思ったのも束の間、すぐさま店番は反応する。

「おいおいおいおい、こりゃやべぇぞ!!」

 今まで聞いたことがないほど声を張り上げ、店番は絶叫した。

「何だ!?何が見えた!?教えろ!!」

「急かすな!俺も今、パニクってんだ、こんなとんでもねぇもん見せられて、落ち着いて教えろってほうが無理あるぜ!」

「とんでもないもの、──だと?」

「あ、あぁ──」

 と、たじろぎながら答えつつ、店番は記晶を机においた。それから、何度か深呼吸を繰り返し──興奮していた表情を徐々に平常時のものに戻しているようだが──店番は口を開く。

「あんた、これはとんでもない代物だぜ」

「そこまで言うほどか?」

「あぁ、なんたってこいつは────」

 あそこまで声を荒げるような記憶とは一体どんなものか──と、ついつい生唾を飲み込み、続く言葉を待つ。

「────最上位魔女を討伐する未来を収めた記晶だ!!」

「何だと!?一体どの個体だ!特徴を教えろ!それと、誰がその場にいた!!」

「まぁまぁ落ち着けって。焦る気持ちもわかるが──」

「落ち着け、だと?いいか、最上位魔女ってのは最優先駆除対象だ。情報を掴み次第、早急に討伐隊を組み、駆除に向かうことが求められる!」

「それぐらいは一介の店番の俺でも知ってる。だがな、焦っても意味はないと思うぜ。」

 焦っても意味はない?この男は何を言っているんだ?一体、最上位魔女がどれだけの危険性を──

「なんたって、俺が見たのは、未知の個体だからな」

 斜め上の解答だった。確かにそれなら、焦っても意味はない、という言葉にも納得せざるを得ない。だが、それはそれとして別の問題が浮上するのも確かだ。

「未知の個体?なら、なんで最上位魔女って分かった?」

「確証があるわけじゃないが、今まで目撃されたどの魔女の特徴とも合致していなかったからだ。当然、それだけじゃあない。あんなおぞましい姿をしているのは、最上位魔女に他ならねぇ」

「そうか──。なら、場所は?」

「それもはっきりとは分からねぇが、とにかく暗くて周りには何もない場所だったぜ。洞窟とかじゃねぇか」

 未知の最上位魔女、暗い、洞窟?、討伐──最低限のキーワードをメモに書き記し、懐にしまう。

「教えてくれて感謝する。それと、早速ですまないが、俺とこいつの宿泊はキャンセルしてくれ。本部に戻り、報告する」

 謝意と事情をはっきりと伝えたつもりだが、店番はありえないとでも言いたげな表情を浮かべる。不満がある──わけではなさそうだが……

「おいおい、さっきも言ったろ?焦っても意味はないと思う、ぜ。だから、今晩は泊まっていくのが吉だ」

「焦る焦らないに(かか)わらず報告は仕事だ。それに、そこまでして宿代を取ろうとしなくたって、その素材はくれてやるよ」

 と答えると、なぜかムッとして店番は応戦する。

「宿代は関係ねぇよ。それより、あんたまだ聞いていないだろ、その場にいたのは誰だ?ってな。この答えを知りゃ、焦っても意味はないって自分でも思うはずだぜ」

 確かに、店番の言うことには一理ある。こんな重要な情報を聞かずに立ち去ろうなどと、やはり気が急いていたな未熟者め──と反省しながらも、踵を返し、店番の提案に乗る。

「なら、勿体ぶらずに教えてくれ。そこにいたのは一体誰なんだ?」

 この言葉を待っていたのだろう。

 ニヤリと笑い、店番は答える。

「聞いて驚け──そこにいたのは、"灰耳"ことあんたと、あんたが連れてきたその女だ!!」

「何!?本当か!?」

「本当だぜ。あんたが倒すって未来が確定している以上、焦ってもしょうがねぇだろう?」

 ありえない。下級魔女にみすみす襲われるような女が俺と一緒に最上位魔女と戦う!?しかも、討伐に成功するだと!?店番の悪ふざけと言われたほうがまだ納得できる!

「こいつは下級魔女を相手にして、助けを求めるようなやつだぞ!!ありえるはずがない!!」

「何度も言わせるな、本当だ。だから、その子を大事にするんだぞ。──というか、記晶が示す未来の確実性については、俺よりあんたの方が良く分かっているんじゃねぇのか?」

「……」

 確かに、今まで報告されてきた記晶は一つとして例外なく、未来をピシャリと当てていた。おまけに、記憶が正しければ、俺の所属する猟友会の情報網でも、「記晶の未来予知が外れた」という報告はされたことがないはずだ。

「──図星みたいだな」

「……ああ、完敗だ」

「だろ?っちゅーわけで、将来戦友になることが約束されている者同士、今のうちから親睦を深めるべしと思って、同じ屋根の下で泊まることを勧めていたわけよ」

「なるほど。誤解してしまってすまない。だが結局、最初の話題──宿代をどうするか──に戻るわけだが……」

 と言いつつ、机に広げられた二つの素材に目を移す。勧めると言っている以上、これを宿代として認めてくれたと考えるべきだが……

「んなもん、これ二つで十分すぎるほどだぜ。というか、これに免じて今後は宿代なしで泊めてやるよ」

「本当か、恩に着る」

「もちろん。男に二言はねぇよ。」

 そう言うと店番は続ける。

「ってなわけで、早速、そちらのお嬢さんの名前を教えてくれるかな?タダとはいえ、手続きだけはしなくちゃならんのでな」

「あーー……それなんだが──。覚えてない、らしくてな」

「ならここで決めりゃいい」

 ……確かに名前が無いのは何をするにしても不便極まりないだろう。とはいえ、人間はおろか、ペットの名付けすらしたことが無い俺にとってはこの上ない難題である。

 俺が名付けてしまってよいのだろうか?はたまた、ここは仮名で済ませ、後日、命名師のもとで正式に名前を決めたほうがよいのだろうか?──という逡巡のさなか、当事者たる女に顔を向けると──

 ──期待のこもった眼差しでこちらを見つめていた。

 これは裏切れないな、と腹を括り、改めて真剣に名前を考える。

「そうだな──」

(碧色の長髪……刺青のような、目元の三日月型の魔法印……これは確か夜を意味する魔法印だったはず……それに時間帯としても夜に出会ったし……)

「……アズール」

「アズール?」

「ああ。アズール・ナハト──それがこいつの名だ」

「アズール・ナハトに……アッシュグレイ・マーヴェリック……ね。──オーケー、二人一部屋ずつで承ったぜ」

「助かる」

「『ありがとうございます』」

 ──こうして、一夜の騒動は幕を閉じ、同時に、後に相棒となるらしいアズールとの日々が幕を開けた──。


 


二作目です。よければ一作目もお願いいたします。

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