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引き寄せる物

診療所の夜は静かだった。潮風が窓を叩き、薬瓶の影が机の上で揺れている。

誠司は帳簿を閉じ、深く息を吐いた。ここ数日、診療所に通う楓の姿がすっかり“日課”になっている。そしてその隣には、必ずレイがいた。

彼女が堕ちてきたあの日から、状況は少しずつ変わりつつある。当初はただ冷たく沈黙を纏っていた少女が――今はほんのわずかに、言葉を発するようになった。その変化のきっかけが楓であることは、誠司も気づいている。

だが同時に、不安もあった。

(楓……お前は、踏み込みすぎている)

彼自身が知っているからだ。この世界は、終わりに近づいている。街で流行する奇病、戦争の噂、魂の循環が止まりつつあること――。

医師として、そして記録を追ってきた人間として、誠司はその“事実”を知っていた。だからこそ、名もなき少女に心を寄せてしまうことの危うさを痛感していた。

けれど、目を逸らすことはできない。診察室の片隅、ベッドに腰掛けるレイの姿。楓と笑い合うその横顔は、紛れもなく「生きている人間」だった。

「先生」楓の声に顔を上げると、彼女はいつのまにか診察室のドアの前に立っていた。「レイね、さっきまた……ちょっと変なこと言ってた」

「変なこと?」

楓は少し困ったようにレイを見る。「鐘の音とか……高い塔とか。夢なのか記憶なのか、よくわかんないけど」

誠司は眉をひそめた。彼の胸を冷たい感覚が走る。

レイは、窓辺に座り、夜空を見上げていた。表情は変わらない。だが、その瞳は確かに遠いものを映している。

「……あそこは、光で満ちていた」淡々とした声が、夜に溶けて響く。「白い……羽音。祈りの声……でも、涙も……」

楓が息を呑むのが隣でわかった。誠司は静かに立ち上がり、彼女の肩に手を置く。「楓、ここからは俺が聞く。お前は休め」

「でも――」

「いいんだ」穏やかな声で制したが、その胸の内は穏やかではなかった。

(記憶が戻り始めている……。この子は一体、どんな存在なんだ)

そのときだった。窓際に置かれた、小さな植木鉢が目に入った。患者が置き忘れたままのもので、土は乾ききり、葉は茶色く縮れている。誠司は思わず手を伸ばそうとしたが、その前にレイが視線を落とした。

彼女の白い指が、そっと葉先に触れる。

――ひとひらの風が、室内に流れ込んだ。埃が舞い、鈴のような音が一瞬だけ響いた気がした。

そして次の瞬間、枯れかけていたはずの植物が、瑞々しい緑を取り戻していた。小さな蕾が開き、淡い花弁が夜の光を受けて震えている。

楓が驚きに目を見開いた。「……すごい……!」

誠司は言葉を失い、ただその光景を見つめた。医学でも理屈でも説明のつかない、目の前の奇跡。

レイはただ静かに、無表情のまま手を引いた。しかし、その瞳の奥には――ほんのわずかに、痛みと懐かしさが揺れているように見えた。

誠司の胸に、重い確信が落ちる。

(この子は……人間じゃない)

夜風が吹き込み、レイの白い髪を揺らす。その背後に、一瞬だけ淡い光が灯った。

誠司は息を詰め、目を逸らせなかった。それは希望か、それとも破滅か。まだ彼には、答えを出せなかった。



…誤字、脱字は教えてもらえると嬉しいです。

ぜひ感想お寄せ下さい!

書くことがないからって後書きが適当になってて本当にすみません。

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