春川楓
帰りのチャイムが鳴る直前、春川楓は静かにペンを置いた。友達の何気ない笑い声、廊下の向こうから聞こえる先生たちの雑談――そんな“いつもの放課後”が、今日も始まる。
「かえでー! また今度、例のカフェ行こ!」「え〜やだ、また抹茶フロート頼むんでしょ」「ちょっと! それ言わないの!」
笑いながら、冗談を交わす声。楓はその輪の中にいる。いつもどおりの、明るくて、元気な、よく笑う春川楓として。
でも。
「また明日ねー!」と笑顔で手を振って、教室を出た瞬間、彼女の笑みはすっと静かに消えた。
無理をしてるつもりはない。でも、誰かにとっての“いい子”でいることは、少しずつ、自分の中を空っぽにしていく。
そんなこと、きっと誰にも言わない。……言えないだけかもしれないけど。
空は曇っていた。昨日の夜に降った雨の名残が、道路の隅にまだ少し残っている。制服のリボンを緩めながら、楓は帰り道を歩き出した。
途中で、制服のポケットから取り出した小さなガムを口に入れる。ほのかにミントの香り。吐き出すようにため息をついたそのとき――
ふと、視界の端に「違和感」がよぎった。
並木道の先。ベンチのそばに、人影のようなものが倒れている。
……人? まさか。酔っぱらい? いや、それにしては小さい。不安が喉の奥を掴むような感覚のまま、楓はゆっくりと近づいた。
白いワンピース。濡れた髪。まるで陶器のように静かな肌。
それは、少女だった。裸足のまま、地面に横たわり、目を閉じている。生きているのかどうかもわからないくらい、息づかいがない。
「……だいじょうぶ……?」
近づいて、そっと声をかける。返事はない。でも、なぜか――怖さはなかった。
むしろ、**“この子は誰かに見つけてもらうのを待っていた”**ような、そんな気がした。
意を決してしゃがみ込み、肩にそっと手を置いたそのとき――
少女が、目を開けた。
淡くて、でも深い色。透明に近い淡い水色の瞳が、まっすぐ楓を見上げていた。
けれど、焦点は少しぼやけていて、「目の前にいる誰か」がわかっているような、いないような――
「……聞こえる? 大丈夫……?」
少女は瞬きをする。それだけで、やっと「生きてる」とわかって、楓は少しだけ胸をなでおろした。
「……名前、わかる?」
少女は、目を伏せるようにゆっくりと視線を落とした。唇が微かに動いたけれど、声は出なかった。
「覚えてないの……?」
少女は、ゆっくりと首を横に振った。
……やっぱり。この子、どこから来たの?なんで、こんなところに?
いろんな疑問が頭をよぎるけど、
一番強いのは、このまま放っておくわけにはいかない、という気持ちだ。
こんな所にいたら誰かに攫われるかもしれないし、危なすぎる。
けど、自分ひとりじゃどうにもできない。家に連れて帰るのは……無理だ。それなら――
「……一之瀬先生のとこ、行こうか。
わたしの従兄弟のお医者さんなの。
信頼できるよ」
呟くようにそう言って、楓は立ち上がった。少女に手を差し出すと、少女は一瞬ためらって――それから、そっと手を伸ばしてきた。
その手は、氷みたいに冷たかった。けれど不思議と、怖くはなかった。
風が吹いた。二人の髪をやさしく揺らすような、涼やかな風。
――そして、その風の中で、ほんの一瞬。鈴のような音が、遠くから響いた気がした。
少女は何も言わなかった。けれど、楓の手を、離そうとはしなかった。
これからもマイペースに更新していきますので、
章ごとに長さが違ったりすると思いますが、
そのあたりはお見逃しくださいませ。
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