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エピローグその二



 放課後は、柊に付き添ってもらう形で帰宅した。

 付き添うというか、実際は護衛されていたのだが、柊いわく「……前にも話した通り、しばらくはこういった形態で護衛する機会が増える」とのことらしい。帰り道が違うはずの柊が急に奏翔と一緒に下校したら不自然に見えるではないかという懸念もあったが、その点は住居先を変更したので問題ないとのことだった。一体いつの間に。

 とまあ、そんな二人に対してもひなたの反応は相変わらずで、結局これといって反応を見せることはなく、ついぞ一声もないまま先に一人で帰ってしまった。

「……ま、どのみち柊さんがそばにいたんじゃ、なにも話せなかったと思うけど」

 玄関先で柊と別れてから五分ほど。その間、奏翔はずっと玄関に背中を預けたままぼんやり空を眺めていた。

「今ごろ、ひなたは家に帰って自分の部屋にでもいるのかな? いや、もしかしたら買い物かも。今日の朝も、なんだかんだ朝食と弁当の用意だけはしてくれたし……」

 となると、明日の朝に話を切り出すべきか? いやでも、こういうのは時間を置き過ぎるとさらに悪化するような気がする。ここから歩いて数分とかからない距離だから柊の護衛も必要ないだろうし、今からでもひなたの家に行って、面と向かって話すべきではないだろうか? しかしながら、それはそれで心の準備が……。

 などど、考えをまとめるためにあえて外の風に当たりながらずっとこうしているが、一向に妙案は思い浮かばない。妙案というか、この場合は覚悟の問題のような気もするが、何事も事前準備は必要なものだ。その後の雰囲気が違ってくる。

「って、好きな子に告白しようとする中学生男子か、僕は」

 告白なんて、高校生になった今でも一度もしたことないけれど。

 なんて詮無いことを考え始めたところで、嘆息。一向に思考がまとまらない自分に呆れつつ、奏翔は踵を返してズボンのポケットから玄関の鍵を出した。

 いつまでもこうしたところでなにも始まらない。良案が思いつかないのなら、暑い外にいるよりは冷房の効いた部屋でぼーっとしている方がまだマシだ。あまり気分は落ち着かないが、ひなたのことは一旦後回しにしよう。

 そう考えて、玄関の鍵を開けて中に入ってみると──

「…………、へ?」

 思わずドアを開けたまま硬直する奏翔。しばし眼前の光景に目を瞠ったあと、奏翔は苦笑とも失笑ともつかない表情で口許を綻ばせた。



「なにバカなことやってんだよ。ひなた──」



 そこには、玄関マットの上に置いてあるスリッパをすべて裏向きに変えようとしているひなたが、あっけに取られた顔で四つん這いになっていた。

「か、かなちゃん!? なんで!? だって、HRが終わったあとに、ひーちゃんと一緒に帰る約束をしてたはずなのに! どこかで寄り道でもするんじゃなかったの!?」

 ああ、そうか。ひなたはまだ、柊の住所が変わったことを知らないのか。

「う~。まさかこんなに早く帰ってくるなんて~。まだ全部裏返しにしてないのに~」

「めちゃくちゃ地味な悪戯だな、おい」

「じ、地味じゃないし! フリーザ編の悟空も怒りのあまり一気に超サイヤ人3になっちゃうくらいの極悪非道な悪戯だし!」

「クリリンの死を安くするな」

 などとツッコミを入れつつ、普段と同じやり取りができているこの雰囲気に、奏翔は久しく忘れていた安堵を覚えた。

 そうだ。ここ最近は気持ちに余裕がなかったせいで忘れがちだったが、いつもひなたとこんな風にくだらないやり取りばかりしていたのだった。

 少し前ならなんとも思わなかったボケとツッコミの応酬が、こんなにも心地よく感じる日が来るなんて──

「ははっ」

「む~。なにその笑い方。なんだかものすごくバカにされている気分!」

「むしろ、この状況でバカにしない方がおかしくないか?」

「むーっ! バカじゃないもん! 謝ってかなちゃん!」

「あはははっ!」

 幼児みたく両腕を回して憤慨するひなたに、奏翔は腹を抱えて爆笑した。

 なんだか、色々複雑に考えていたのがアホらしく思えてきた。さっきまで、あれほどひなたとどう話すかで悩んでいたのに。まるで時間を無駄にしたような気分だ。

 まあそれも、ひなたの狙い通りなのかもしれないけれど。

 なぜなら、こうしてひなたが悪戯をする時は「仲直りしたい」という遠回しのメッセージでもあるのだから。

 一昨日、登校中にひなたを揶揄い過ぎて、上靴を奪われた時のように。

「はは。……でも、そうだよな。ちゃんと謝らなきゃいけないよな」

 そうしてひとしきり腹を抱えて笑ったあと、奏翔は廊下で座っているままのひなたと正面に向き直った。

「え? かなちゃん?」

 急に真剣な面持ちになったせいだろう、戸惑ったように名前を呼ぶひなたに、奏翔は勢いよく頭を下げた。

「ごめん、ひなた! 昨日、いきなりひなたを拒絶するような真似をして!」

 少し間を置いてみたが、返事はなかった。頭を下げているため、どんな顔をしているのかもわからない。それでも奏翔は頭を下げたままで、

「それとあんな嫌われて当然なことをしたのに──その上で僕を心配してあそこまで駆け付けてくれたのに、結局なにも言わないままでごめん! なにも説明しないで、ひなたを放ったままにして、本当にごめん!」

「………………」

 沈黙が痛い。だが、これも自業自得というものだ。なんの確証もなく勝手な思い込みでひなたを【観察者】と疑ったばかりか、今日までなにも説明すらしなかったのだから。どう贔屓目に見ても奏翔が全体的に悪い。今回ばかりは奏翔が謝るしかなかった。

 ややあって、衣擦れのような音が耳朶に触れた。ちらっとだけ視線を上げると、ひなたの体勢が変わっていて、それまで座っていた姿勢から直立する足が見えた。どうやらその場で立ち上がったようだ。

 そうして、そのまま頭を下げていると、

「……昨日、わたしがどうやってかなちゃんを見つけられたか、わかる?」

 唐突な話題展開に困惑しつつ、奏翔は頭を下げたまま口を開く。

「えっと……そういえば、なんでだろう?」

 よくよく考えてみると、謎のままだった。ひなたに行き先を伝えたはずもないので、あの時奏翔が廃墟のマンションにいたことなんて知らなかったはずだ。ならば、なぜ?

「う~ん。いつもの勘、とか……?」

 自信なさげに答えた奏翔に、ひなたは抑揚のない声で「違うよ」と否定して、次の言葉を継いだ。

「あの時ね、必死になってかなちゃんを探していた時に偶然エリちゃんに会って、それで居場所を教えてもらったんだ。よくわからないけど『奏翔さんの居場所くらい、わたくしの力をもってすればすぐにわかりますわ。ついでにその買い物袋も、わたくしがひなたさんの家まで届けて差し上げましょう』とかなんとか言って」

「なにそれ怖い!? 体のどこかに発信機でも付けられていたりするの僕!?」

 もしや、なにかしらの方法でいつも監視されていたのだろうか? 今日だって柊と一緒に帰ろうとした時も、一緒に帰りたいだのなんだの駄々をこねたあと「くっ。でしたら、わたくしも考えがありますわ!」とか去り際に言っていたし、これはあとで色々と問い詰めておいた方がいいのかもしれない。

「……わたし、ショックだった。かなちゃんにいきなり逃げられたのもショックだったけど、かなちゃんがどうして怯えているのか、どこに行っちゃったのかもわからなかったことの方がずっとショックだった」

 ──かなちゃんのお母さんとして、今までずっと頑張ってきたのに。

 そう消え入りそうな声音で言うひなたに、奏翔は顔を上げることができなかった。

 視界に入るひなたの震える手を見て、かける言葉すら見つからなかった。

「わたし、ダメだなあ……。かなちゃんのことだったらなんでもわかる気でいたのに、結局なんにもわかってなかった。かなちゃんが大変な目に遭っている時に、なんにもできなかった。わたし、お母さん失格だよね……」

 涙に濡れた声。その悲愴な呟きに、奏翔は居ても立っても居られなくなった。

意を決して顔を上げると、そこにはとめどなく涙を流しているひなたがいて、見ているだけで胸に痛みが走った。

 こんな静かに泣くひなたを見たのは初めてかもしれない。だからだろうか、先ほどまで浮かんでこなかった言葉の数々が、自然と口からこぼれた。

「ひなたはなにも悪くないよ。というか、ひなたは十分偉いと思う。いくら幼なじみだからって、普通は十年近くも朝食や学校のお弁当を作ったりはしないし、それ以外にもなにかと世話になってもいるしな。じいちゃんや鳴さんからの頼みもあったんだろうけど、半端な気持ちでできるようなことじゃないと思う」

「…………」

 潤んだ瞳で奏翔を見つめるひなた。相槌を打つこともなく黙して耳を傾けるひなたに、奏翔はさらに言葉を重ねる。

「だから、さ。これでも一応感謝はしてるっていうか、口にはしないだけでいつもありがたいとは思っているんだぞ? まあなんだ。つまり──」

 これから言おうとしている単語に体中が発火するような熱さを覚えつつ、奏翔は頭を掻きながら、ぶっきらぼうに声を発した。



「いつもの無駄に元気でうるさいひなたに戻ってくれよ。でないと調子が狂うんだよ──お母さん」



 その言葉に、ひなたは驚いたように目を瞠って、次いで不意にぷっと笑声をこぼした。

「かなちゃん、もしかして慰めてくれてるの? だったらすごく下手だよ?」

「……うるせえ。こういうのは苦手なんだよ……」

「ふふ。かなちゃん照れてる~。可愛い~」

「ああクソ。やっぱ言うんじゃなかったかも……」

「え~? どうして? 慰め方としては微妙だったけど、わたしは嬉しかったよ?」

 そう言うひなたの表情は、未だ頬に涙が伝いつつも、先ほどまでとは打って変わって晴れやかなものだった。恥ずかしい思いをこらえながら口にした言葉だったが、どうにか功を奏してくれたようだ。

「あー。それでな、ひなた。昨日のことなんだけどな……」

「いいよ。無理して話さなくても」

 場も落ち着いてきたところで、ようやく本題を切り出した奏翔に、ひなたはハンカチで涙を拭いながら首を横に振った。

「これ以上、かなちゃんを困らせるようなことはしたくないし」

「……いいのか?」

「うん。だって、わたしを巻き込みたくなかったから、今日までずっと黙っていたんでしょ? だったら、わたしはなにも訊かないよ。その方がかなちゃんのためになるなら」

「ひなた……」

 本当は訊きたくて仕方がないはずだろうに、そこまで奏翔のことを想ってくれるとは。感激のあまり、言葉が見つからない。

「でも、これだけは約束して? 危険な目に遭いそうになった時とか、一人で悩んでいることがあったら迷わずわたしを頼って。力になれるかどうかはわからないけど、少しでもかなちゃんの助けになりたいから」

「……わかった。状況にもよるけど、できるかぎりひなたに相談するよ」

「うん。じゃあ、指切りしよう?」

 言って、ひなたは小指を顔の前まで突き出した。

「指切りって。小学生かよ……」

 そう苦笑しつつも、奏翔は素直に小指を出して、ひなたの小指にそっと絡めた。

「はい。指切りげんまん。嘘ついたらハリセンボンだよ?」

「うん。うん? 今なんか、発音がおかしくなかったか?」

「細かいことはいいの! 約束を破らないことが大事なんだから」

「はいはい。なんだかだんだん叱られている子供みたいな気分になってきた……」

「ふふっ。そりゃそうだよ」

 と、そこでひなたはおもむろに小指を離して、さながら雑誌の表紙のように後ろに手を組んで破顔した。



「だってわたしは、かなちゃんのお母さんだもん☆」



 そのいつになく可憐に見えるひなたの姿に、奏翔は思わずドキっと胸を高鳴らせた。

 おかしい。ひなたを見て可愛いと思ってしまうなんて。こんなこと、初めてだ。

「……? かなちゃん? 急に顔が赤くなったけど、どうかしたの?」

「な、なんでもない!」

 きっと心労が溜まり過ぎて、少し頭が病んでしまったのだろう。そうに違いない。

 でなければ、ひなたを見てときめくなんて、ありはしないのだから。

「あ、そうだ! 悪戯のことばかり考えてたせいで忘れてたけど、買い物に行かなきゃいけないんだった!」

「え? 今から? まあまだ夕方だし、一人で出歩いても大丈夫なんだろうけど……」

「なに言ってんの? かなちゃんも一緒に来るんだよ?」

「ぼ、僕もか?」

「うん。だって二人でないと持てない量だし。明日の朝ご飯の材料もないし。これもかなちゃんがさんざん荷物持ちをサボったせいだよ?」

 そう言われては断りづらい。元々料理が苦手な奏翔のために朝食などの用意をしてくれているのだし、どのみち選択肢なんてなかった。

 とはいえ、これでも命を狙われている身なのだ。しかも柊がそばにいない以上、下手に出歩くのは少々躊躇うものがあった。

 いや、それを言ったら常に柊がいないとどこにも行けないことになってしまうが、とまれかくまれ、昨日殺されかけたばかりというのもあって、慎重にならざるをえなかった。

 しかしながら、それを子細に話すわけにもいかない。どうにかして誤魔化せば。

「ああいや、今日はかなり暑い方だし、明日の分はコンビニとかで済ますのはどうかなあとか言ってみたり……」



「でしたら、わたくしにお任せくださいませ!」

「……ボクも参上」



 と、そこで突如玄関のドアが開かれ、そこになぜかエリカと柊が立っていた。

「エリカさん!? それに柊さんも!? なんで揃って僕の家に!?」

「なぜもなにも、奏翔さんの自宅の近所にわたくしの住居を構えたからですわ。もっともちょっとしたマンションを丸ごと購入しただけなので、あまり自慢できるようなものでもないのですが。それはさておき、早速ご挨拶をと思って奏翔さんの家に伺おうとしたら途中で柊さんとお会いして、目的地が同じだったようなのでこうして一緒に来たんですの」

「……ボクもこの近所に引っ越してからまだちゃんと挨拶をしていなかったから、こうして来た」

「柊さんは朝に引っ越しの話を聞いていたからわかるけど、エリカさんはなんだってこんな急に……」

 そこまで言って、そういえば放課後に柊と帰ろうとして、エリカが捨て台詞のようなもを口走っていたのを思い出した。

 考えがあるとかなんとか言っていたが、まさかこういうことだったなんて。しかもマンションを丸ごと買うとか、さすがは財閥のお嬢様と言ったところか。やることが豪気だ。

「で、エリちゃん。なにを任せてくれるの?」

「もちろん、その買い物とやらの送迎に決まっていますわ。わたくしのリムジンなら快適かつスムーズに用事を済ませられますわよ?」

「ほんと!? それいいね! かなちゃん、そうしてもらおうよ!」

「え? リムジンで送ってもらえるのなら、僕いらなくね?」

「なに言ってるの、かなちゃん。スーパーの中をわたし一人で歩かせる気?」

「いやそれ、別にいつものことじゃ──って、うわわわ!?」

 会話中に突然柊に腕を引き寄せられ、そのまま胸元まで強引に引き寄せられる奏翔。

「……護衛の件なら安心してほしい。ボクが一緒に付いていくから。他にも外出する機会があったら、今後ボクを頼ってほしい」

「あ、うん……」

 囁き声で言った柊に、奏翔も声を抑えて頷く。

「なになに? なんの話をしてるの?」

「わたくし達の前で内緒の話なんて、少々いただけませんわね」

 きょとんとするひなたと、少し不服そうに腕組みをするエリカに、柊は元の体勢に戻って、

「……なんでもない。ちょっとした伝言」

 と、無表情で応える。これは、口裏を会わせろという言外のサインか。

「そうそう。ちょっとした学校での用事だよ」

「まあ、奏翔さんがそう仰るのなら、深くは追及しませんけれど……」

「ねえねえ。それより早く買い物に行こうよ。でないと日が暮れちゃうよ?」

「……善は急げ。時間は有限」

「痛い痛い! 二人して僕の腕を引っ張らないで!」

「ちょっとお待ちなさい! どうしてわたくしの了解もなく勝手に奏翔さんを連れようとしているんですの! 送るのはわたくしのリムジンなんですのよ!?」

「ぎゃあ!? エリカさんもエリカさんで、僕の首に飛び付かないで! 胸が! エリカさんの胸が顔に当たるから~!」

 まるで子猫のじゃれ合いのように、四人して取っ組み合いな状態になる奏翔達。そんな騒々しくも前までのような賑やかな雰囲気に、奏翔は人知れず苦笑を漏らして、晴天の空を仰ぐ。

 いつもの平穏な日常には戻れなくなってしまったが、それでもこんなバカバカしい日々がいつまでも続いてくれたらいいなと、この青空に願いながら。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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