プロローグ
「本当にいいのか、響一郎?」
新生児室……それも個人用にあてがわれた、広い一室の中だった。
そこで二人の老年の男が、窓越しに見える保育器を前に隣り合っていた。
その内の一人、丸眼鏡に禿頭の男が呟いた言葉に、響一郎と呼ばれた精悍な顔付きに顎髭を蓄えた男は、保育器の中で眠る乳幼児から片時も目を離さぬまま重々に頷いた。
「ああ。これでしか孫を救えないというのなら、儂は……!」
「確かに、それさえあればあの子の重度過ぎる先天性心疾患も治るかもしれんが……」
などと言葉尻を濁しつつ、禿頭の男は響一郎の手に握られた青い石に目線をやりながら先を紡いだ。
「しかし、その石がどれだけの価値を秘めているか、響一郎だって知らないわけじゃないだろう? 人類の飛躍な進化を促すこともできれば、使い方によっては世界の滅亡すら招きかねないほどの代物だぞ。今はまだ秘密裏に研究しているだけあって、どこにも情報は漏れていないが、その子に使ったら最後、いつ裏組織の争奪戦が始まってもおかしくはないぞ」
「なら、このままあの子を見殺しにしろと? 冗談じゃない!」
禿頭の男の言葉に、響一郎はやり場のない怒りをぶつけるかのように、自身の太ももに拳を打ち付けた。
「儂の娘が命と引き換えに生んだ、初めての孫なんだぞ! 父親も事故で死に、両親の温もりすらろくに知らぬまま死なせろとでも言うのか。そんなもの、納得してたまるかっ」
昂る響一郎に、禿頭の男は気まずげに目線を逸らして押し黙る。
そうして、そのまま数分が過ぎたのち、
「……すでに意志は固いんだな?」
やがて、重々しく訊ねた禿頭の男に、響一郎は無言で頷いた。
「──わかった。響一郎がそこまで言うなら、私も協力しよう」
「……いいのか? 少なからず、お前にも危険が及ぶ可能性があるぞ?」
「なにを今さら。この一室にしたって、私が用意してやったのを忘れたのか?」
「……そうか。そうだったな。すまない、無茶な真似ばかりさせて……」
「それこそ今さらだ。お前の無茶振りに応えられないようじゃ、伊達に数十年も親友なんてやっていられないからな。それに、響一郎にはその石をもっと研究しなければならない使命があるだろう?」
あの子に使うというなら、なおさらな。
そう言い締めた親友に、響一郎はここに来て初めて気が緩んだように微苦笑を浮かべ、
「──ああ。まったくもってその通りだ。あの子を救うためなら、儂はなんだってしてやる。たとえどんな手を使ってでも……!」
決意を新たに、響一郎は手に握り締めたままの赤い石を孫に見せつけるかのように掲げてこう告げた。
「奏翔は、儂が絶対に死なせたりはせん──!」