第九話 僕、告白されました。
朝、パジャマ姿の久栗さんが、僕へと問う。
「え、入直、なにしているの?」
「なにって、草むしりだけど」
「今日、デートなのに?」
「うん……だって、九時からの約束だったから」
時刻は朝の七時半だ。
デートの時間まで、まだあと一時間半もある。
荒れ放題だった庭が気になり過ぎちゃって、六時から草をむしっていたのだけど。
「普通、デートの日の朝に草むしりしてる人っていないよねぇ」
「あはは、でも、最近のお兄ちゃんはあんな感じだから、許してあげてね」
「そうなの! 桃と杏にも優しいから、佐保ちゃんも許してあげて!」
「許して! あげて!」
「はいはい、分かりました。妹さんに愛されていて良かったですねー」
家のリビングから賑やかな声が聞こえてくる。
結局、久栗さんは八時から家に来て、そのままくつろぎ始めてしまった。
デート前に草むしりなんてあり得ない、なんて言われているけど。
この家に来てから、ずっと庭が気になってしまったのだから、しょうがない。
それに、昨晩ホームセンターに行き、ラグランジアをこっそりと購入しておいたのだ。
雑草の緑生い茂る庭よりも、綺麗な青白い華が飾ってあった方が、景観もいい。
門から玄関までのアプローチの雑草も全部抜いて、綺麗な白い石も敷き詰めたし。
二時間でよくやったよ、自分を褒めてあげたいくらいだ。
「うわ、スッゴイ綺麗。この白い花も入直が用意したの?」
見ると、玄関から久栗さんと真冬ちゃんの二人が来て、植えたばかりのラグランジアを眺める。
「うん、昨日お店に行って、可愛かったから買ったんだ」
「そうなんだ、入直って結構センスいいんだね」
「ありがとう、でもまだまだだよ。庭なんか全然手入れ出来てないし」
姫野宮家の庭は結構広くて、置こうと思えばブランコだっておけるぐらいには広い。
玄関付近は綺麗に出来たけど、奥や裏手はまだまだ雑草だらけだ。
でももう時間だし、デートの準備をしないと。
「ラグランジア」
「あ、真冬凄いね。そうだよ、この花はラグランジアって名前なんだ」
「お母さんが、毎年植えていた花」
え、そうなの。
それはさすがに、知らなかった。
「……」
一歩距離を詰めると、真冬ちゃんは僕の目の前に立った。
瞳の奥を覗き込みそうな程に近くて、どう反応していいか分からなくなる。
すると、真冬ちゃんのまっすぐな瞳は、一瞬で潤み始め、一筋の涙を頬に落とした。
「お母さん……」
固まったままでいると、真冬ちゃんは僕のことをぎゅっと抱きしめる。
どういう心情で、彼女は兄である姫野宮君を抱きしめているのか。
恋愛感情は絶対にない、あるのは親愛、兄妹愛だけ。
だから、僕も兄として、妹のことを抱きしめる。
「真冬、大丈夫だから、ね」
「……うん……うぐっ…………えっ…………えええぇっ…………うえぇぇ……」
喉をしゃくりあげながら、真冬ちゃんは泣く。
姫野宮君が言っていた、夏帆さんの遺体の第一発見者は、真冬ちゃんだったって。
この家族の中で一番心を傷つけてしまっているのは、真冬ちゃんなのかもしれない。
久栗さんを見ると、彼女も瞳に涙を貯めていた。
母親の死は、何をしても癒えることは無いのだと、痛感する。
ふとした瞬間に、蛇口が壊れたみたいに涙が溢れてくるんだ。
それはもう、止めることが出来はしない。
昂ってしまった感情が消えるまで、見守るしか出来ないんだ。
「ごめんね、二人とも、これからデートに行くのに」
「ううん、いいよ、デリカシーの無い入直がダメなだけだから」
え、僕の責任なの。
でもまぁ、真冬ちゃんが笑顔になっているから、別にいいか。
草むしりでかいた汗もシャワーで綺麗さっぱり洗い流したし、デートへと向けて服装を整えないと。
姫野宮君の洋服の前で、一人頭を悩ませる。
うーん、なんていうか、なんでこんなにカラフルな服ばかりなんだろう。
数多のペンキで塗りたくった色をしたシャツとか、オレンジ色のパンツとか。
試しに姫野宮君がハンガーに掛けていた一式を着てみるも、派手過ぎて止めた。
残る服を組み合わせて、カジュアルなモノトーンカラーで落ち着かせてみる。
「え、その服装いいじゃん」
「お兄ちゃん、カッコイイ」
良かった、二人から評価が高いと、ほっとする。
「前はダサかったのにね」
「ようやくお兄ちゃんも、落ち着いた大人って感じに成長したね」
ボロクソじゃないか、姫野宮君本人が聞いたら、きっと怒るぞ。
じゃあ行こうかというところで、二階から下りてきた父さんが「入直」と僕を呼び止める。
なんだろうと思っていると、父さんは久栗さんから見えないように、三万円も僕に手渡してくれた。
「父さん、これ」
「最近、家事を手伝ってくれているからな」
「それにしては、多すぎるよ」
「いいんだ、気にすることはない。デートなんだろう? 使い切るつもりで、楽しんでくるといい」
姫野宮君のお父さん、すっごい良いお父さんじゃないか。
妹さんたちもお利巧な子ばかりだし、なんでこの環境であそこまでゴミ屋敷に出来るのか。
元に戻ることがあったとしても、僕も顔を出すようにしよう。
この三万円は、その為の手付金として、受け取っておこうかな。
「終わった? お父さんなんだって?」
「デートを楽しんできなさいってさ」
「へ? ふふっ、なにそれ」
よく分からないよね、僕もよく分からないよ。
「じゃあ、お言葉通り、楽しもっか」
差し出された手を握ると、久栗さんは笑顔になった。
緑色をしたVネックのセーターからちょっとだけスカートを出して、元気よく彼女は歩くんだ。
膝下まである黒のハイソックスに、足首がもこもこした可愛らしい靴、普段はポニーテールにしている髪型を今日はおろし、肩口で跳ねるように遊ばせている。
カジュアルな感じであり、可愛らしさもあり、学生風でもあり。
道を歩けば十人が十人振り返るような、そんな彼女と共に道を歩く。
道を歩き、電車に乗り、水族館を二人で楽しんだ。
現実だとは思えない程に楽しくて、隣にいる久栗さんが可愛くて。
「……」
だから僕は、世界で一番幸せ者なんじゃないかって、勘違いしそうになってしまう。
周りが見惚れているのは久栗さんだけじゃない、僕への視線も集まっているんだ。
違う、僕じゃない。
姫野宮入直へと、向けられた視線だ。
水族館のショーケースに映る自分の顔を見れば、そんなのすぐに分かる。
これは、姫野宮入直と久栗佐保のデートなんだ。
霧暮素直のデートではない、浮かれる要素なんて、一ミリもない。
「……水族館、あまり楽しくなかった?」
イルカのクッキーが乗ったパフェを前にして、久栗さんは眉を下げた笑みを浮かべる。
きっと、途中から感じていた嫌悪感が、表に出てしまったのだと思う。
どれだけ楽しんでも、僕じゃない……妬み僻みに似た感情なんて、今はいらないはずなのに。
切り替えろ、僕が了承したんだ、勝手に傷つくとか、意味分からないよ。
「そんなことないさ」
「ウソ、だって入直、すぐ顔に出すじゃん」
まだ、出ているのかな。
出さないようにしないと。
「あのね、入直」
僕が口元を手で隠していても、彼女は気にせず言葉を続ける。
「私ね、両親が離婚して、お父さんだけになっちゃった時に、入直にたくさん助けて貰ったんだよね。入直は別に気にしてない感じだったけど、それでも、私にはとても大きなことだったんだ」
何かしたんだ。
姫野宮君からは、何も聞いてないけど。
「だからね、夏帆さんが亡くなっちゃった後、私どうにかしなきゃって、必要以上に姫野宮家に関わろうとしていたんだと思う。入直のことなんか全然、考えもしないでね」
手にしていたスプーンを置くと、彼女は背筋を正した。
「結局、入直にも受け入れられなくて、段々と真冬ちゃんとも険悪になっていって、桃子ちゃんと杏子ちゃんの泣き声が毎日聞こえて来て、治平さん……入直のお父さんも、どんどん痩せてっちゃってさ。私、自分の家がダメになっちゃったからかな、入直の家族を見ていて、ずっと辛かったんだ」
僕の知らない三年間の話。
姫野宮家が壊れていくのを、久栗さんは一番近くで見て来た。
「学校での顔が外面だって分かっていたよ。入直は要領良いから、クラスにまで家の揉め事を持ち込みたくないんだろうなって。だから、私も極力、入直の家のことは話題にしなかったの」
多分、クラスの誰も、姫野宮君の家庭のことを気づいていなかったと思う。
現に、僕ですら、気づいていなかったのだから。
「でも、入直は自分から変わってくれた。真冬ちゃんは、今の入直には夏帆さんの魂が入っているんじゃないかって言っていたけど、私は違うと思う。違うと、信じたい。入直は、入直のまま変わってくれた。最近、霧暮君と一緒にご飯を食べているのも、彼から料理を学んでいるからでしょ? 昨日、こっそり昼間について行って、彼が入直のお弁当食べているの、私、見ちゃったんだ」
見られていたのか……全然、気づかなかったな。
「私、わからなかった。どうして入直が毎日霧暮君を誘っていたのか、全然、気づこうともしなかった。凄いよね、最近の入直は、喋り方も、振舞い方も、全部違う。ずっと努力している。私ね、前々から思っていたことがあったんだけど、最近その想いが凄く強くなっているんだ。だから、ちゃんと向き合おうって、そう、思ったの……ねぇ、入直」
俯きながら語っていた久栗さんの視線が、まっすぐと僕へと向けられた。
たっぷりと間を貯めた後、閉じられていた彼女の唇が開かれる。
「私、貴方のことが好き」
彼女の髪色と同じ、ビスケット色をした瞳には、姫野宮入直が映し出されている。
僕じゃない、彼女が見ているのは、僕だけど僕じゃないんだ。
「これまでは幼馴染としてしか見てなかったと思うけど、今日からは恋人として見て欲しい。変われるんだって、貴方を見て信じることが出来たから」
間違いのない想い。
絶対に受け入れられると信じている、彼女の願い。
その全てが真っすぐな瞳に込められていて、僕にはそれが眩しすぎて。
直視できず、視線を、テーブルへと下げてしまった。
返事を待っている。
久栗さんは僕がいつも通り「うん」っていうのを待ってくれている。
だけど、僕には。
……。
「ごめんね、いきなりで。急に返事とか、出せないよね」
「……ごめん」
「いいよ、私ずっと待ってるから。入直は真冬ちゃんとか、桃子ちゃんや杏子ちゃん、治久さんのことで精いっぱいの状態だって、私わかっているのにね。ごめん、なんか、最近の入直見ていると、誰かに取られそうな気がして……ちょっと、怖かったんだ」
返事をせずにいると、久栗さんは謝罪し、溶け始めていたパフェを一口食べた。
「美味しいよ? 入直も、一緒に食べよ?」
「ああ……うん、そうだね」
味がまったくしない。
告白されたのに、失恋している。
入れ替わっていることを今ここで明かしてしまったら、久栗さんはなんと言うのだろうか。
最低、最悪、バカにしている、変態……罵倒されて、終わるのが目に見えている。
好意を向けられているのは僕じゃない。
姫野宮君なんだ。
「……」
帰り道、差し出された手を握り返すことが、出来ずにいる。
今日、僕は一体何を期待して、久栗さんとデートをしに来たんだ。
好かれているのは僕じゃないって、分かっているのに。
「やだ」
出された手を握らずにいると、久栗さんの方から強引に握り締めてきた。
震えながら、両手で僕の手を強く握り締める。
「やだ……やだ、やだよ……」
嫌われていることを、こんなにも恐れている。
別に、嫌っている訳じゃない。
ただ、受け止めることが出来ないだけ。
だって僕は、霧暮素直なのだから。
次話『⑩第十話 僕、好きな物は得意なんです。』
明日の昼頃、投稿予定です。