第八話 僕、彼女について何も知りませんでした。
夜、僕は和室にこもり、スマートフォンを握りしめる。
表示されている画面はLIMEのトーク画面、相手は姫野宮君だ。
――佐保にデートに誘われた? そんなの、行けばいいんじゃねぇの?
――いや、聞きたいのは、これまでの姫野宮君だったらどうしていたのかって事なんだけど。
――わかったって答えたんだろ? 答えた以上、俺だったら行くぜ?
――そっか。
――それに、佐保と二人で出かけるのは、中学の頃普通にあったからな。
――そうなんだ、凄いね……。
――別に凄くなんかねぇよ。じゃあな、おやすみ。
――(頑張れのアニメ系のスタンプ)
なんか、軽いな。
久栗さんとのデートなんか、僕からしたら一大イベントなのに。
それにしても、こんなアニメ系のスタンプなんか、姫野宮君使うんだな。
部屋に漫画本の類は一切ないのに、結構意外かも。
「直兄! 杏と一緒に寝よー!」
「ダメ! 直兄の隣は桃なの!」
「杏も一緒に寝たいー!」
桃子ちゃんと杏子ちゃんが、洗濯物を畳んでいる僕の所に雪崩れ込んできた。
操作していたスマホをポケットにしまいこむと、しがみついてきた二人の頭を撫でる。
「喧嘩しないの。二人とも一緒に寝ればいいでしょ? それよりも、洗濯物しまうの、手伝って下さいね」
「「うん!」」
小学二年生って、まだまだお子様なんだな。
お手伝いしてくれるのは助かるけど、畳めるのはタオルくらいだね。
五人家族の洗濯物って、かなりの量があって大変だ。
女の子の服が多いからシワとかも気を付けないといけないし、アイロンするのも沢山あるし。
可愛いの裏側を見ている気がして、なんとなくため息。
「直兄、手伝おっか?」
「ああ、いや、大丈夫。気を付かってくれてありがとうね、真冬」
「ううん、無理しないでね。あ、これは私のだから、自分で片づけるね」
和室で作業していたからか、真冬さんも来てくれて。
彼女は自分の洗濯物を手に取ると、二階の自室へと持っていった。
今度から姉妹ごとに網に入れて、分けて洗ってあげた方が収納しやすいかも。
あ、だから洗濯網が十枚もあったのか。
夫婦で一枚、姫野宮君で一枚、真冬、桃子、杏子で一枚ずつ。
なるほど……夏帆さんがどうやって家事をしていたのか、なんとなく透けて見えてきたぞ。
家事を片付けたあと、仏壇の前に座って、微笑む夏帆さんの遺影を眺める。
まだ、四十代ちょっとだよね。
子供たちの成長を見ることが出来なくて、一番辛いのはきっと夏帆さんだ。
母親の死は、家族にどうしようもない程のダメージを与えてしまう。
姫野宮君は、僕の母さんを助けようとしてくれていた。
この入れ替わりは、もしかしたら、本当に互いの家族の為の入れ替わりだったりするのかな。
「直兄」
「……ん?」
真冬さんが、パジャマ姿で枕を抱きしめている。
「今日も、一緒に寝ても、いい?」
入直君が言っていた。
この家には、僕が必要だって。
それはつまり、夏帆さんの代わりを、少しでもして欲しいって意味だと思う。
「うん、いいよ」
「……ありがとう」
四人で一階の子供部屋で横になると、三人の妹達はすぐさま寝息を立て始める。
母親の代わりなんて、そんな重たい仕事、僕に務まるのかなって、心配になるけど。
「…………ママ」
真冬さんの寝言。
母親を失った悲しみから抜け出せないままのこの子たちを見捨てることは、僕には出来そうにない。
溜まった涙を拭いてあげると、真冬さんは僕の手を掴み、離そうとしなかった。
翌朝、皆を送り出した後、昨日と同様に迎えに来ていた久栗さんと一緒に学校へと向かう。
姫野宮君と久栗さんの間では、デートはもはや普通のことなのかな。
あまりにも変化が無くて、話題に切り出していいのか、結構悩んだ。
「明日のデート、なんだけどさ」
「ん?」
「いろいろと考えたんだけど、水族館とか、どうかな?」
「水族館? ……うん、わかった」
はにかみながら、久栗さんは頷いてくれた。
相も変わらず握られていた手に、力がこもる。
この感情は喜び、で、あっているのかな?
どこまでいっていいのか分からないけど、姫野宮君からのOKも貰っているし、大丈夫。
中学生時代に二人で出かけたと言っても、自転車で行ける範囲内しか行ってないらしいし。
デートで一番危険なのは、思い出があった場合だ。
当然の如く、僕には姫野宮君の中学校時代の記憶なんか存在しない。
新しい場所なら、思い出問題は発生しないし、純粋に新しいことを楽しめる。
うん、問題ない、完璧だ。
教室に着くと、今日は朝から姫野宮君の姿があった。
完全に僕を模写していて、一人机に座りながら、読書をしている……ように見える。
本が逆さまだけどね。アレ、どうやって何を読んでいるのだろうか。
昼休み。
「これ、お弁当。それと母さん用の夜ご飯と、朝食」
「お、悪いな。さすがの俺も霧暮みたいに料理は出来ないからさ」
結局、僕は一体何人分、何食分の料理を作っているのだろうか。
これまでは母さんと僕だけだったけど、今は姫野宮家も加わっているから、七人分?
毎朝毎晩、土日は昼も作らないとだから……やめた、考えるだけで頭が痛くなりそう。
「ねぇ、姫野宮君」
「ん?」
「僕の家、綺麗?」
姫野宮君は一瞬箸を止めるも、ニッ、と口角を上げただけで、再度箸を動かし始めた。
「……日曜日に、掃除しに行くからね」
「悪いな。そうそう、来るんなら、俺の部屋から持ってきて欲しいものがあるんだけどさ」
「それぐらい、自分で取りに来なよ」
「まぁそう言わずに、あまり俺達に接点があるの、バレたくないだろ?」
じゃあこの昼休みの密会も無しにしたいぐらいなんだけどね。
と言いたい所なんだけど、これはどちらかというと母さんの為だから。
くそ……弱みに付け込まれて、脅されているみたいじゃないか。
「ご馳走様でした。そんじゃあ教室に戻るか」
「うん。あ、明日、僕と久栗さん、水族館に行くことにしたからね」
「お、そうか。水族館か、佐保が喜びそうな場所だな」
「そうなの? 子供の頃に何かあったとか?」
「両親が離婚する前だったかな、アイツの家族と一緒に行ったことあるんだよ」
「ちょっと待って」
「ん?」
「両親が離婚?」
「ああ、知らないのか? 佐保の家、両親離婚して父子家庭だぞ?」
初耳なんだけど。
ああ、それでか、料理に対してこだわりがあったの。
というか、そういう情報をもっと早くくれないと、バレるってのに。
「いつだったかな、アイツの弟も一緒に行ったんだよな」
弟さんいるのか、だからそういう情報をもっと早く……まぁいいや、今は聞きに徹しよう。
「そん時にアイツなにか言ってたんだよな……覚えてねぇけど、まぁ大したことじゃないだろ。あと弟って言ったけど、弟は母親の方について行ったから、あの家にはいないからな? 佐保の家は親父と佐保の二人暮らし、母親との面会も……アイツ行っているのかな? 俺は知らねぇ、そんな所だな」
「離婚したのって、いつ?」
「小学校五年生の、確か夏ぐらいだったはず」
「理由は?」
……ん? 何気なく質問したんだけど、姫野宮君、嫌そうな顔してる。
聞いたら不味かったかな……と思い、口をつぐむも、しばらくして語り始めてくれた。
「佐保の母ちゃんの浮気、っていうか不倫だな」
「不倫……それは厳しいね」
「当然だけど、佐保には内緒な。お、そろそろ昼休み終わるぜ、教室戻らねぇと」
久栗さんの弟さんやご両親に関しては、触れない方が良さそうだ。
下手に触れると絶対にボロが出る。
デートか……断った方が良かったのかも。
いろいろと考えながらの一日は、あっという間に過ぎていき。
放課後になり、部活を終えると、いつも通り久栗さんは僕を待っていた。
いや、違うな、姫野宮君を待っていたんだ。
「明日、楽しみだね。入直がデートプラン考えてくれるなんて、夢にも思わなかった」
この笑みを、なんの迷いもなく受け入れることが出来たら、どれだけ幸せだったのだろうか。
そんなことを考えながらも、僕は彼女と手を繋ぎ、昨日と同じ道を歩き始める。
果たしてこの先に、幸せの二文字はあるのかどうか。
それすらも、今の僕には分からないままだ。
次話『僕、彼女について何も知りませんでした』
明日の昼頃、投稿いたします。