第七話 僕、デートに誘われました。
伊静流さんのことが好き? 姫野宮君が?
「昨日、図書室に行ったのも、彼女と話が出来ればなって思ってさ」
「え、ちょっと待って、久栗さんはどうするのさ」
久栗さんと姫野宮君は幼馴染だ。
とても距離が近い、恋人と周囲が間違えるぐらいの距離感だ。
何もないとは、思えないぐらいなのに。
「どうするも何も、佐保とは単なる知り合いだぞ? 幼馴染って奴かもしれねぇけど、別に恋愛感情なんかないし。むしろ母さん死んでから無駄に母親ぶったりしてさ、ちょっとウザいぐらいだった」
昨日からの久栗さんの笑顔が、胸にチリつく。
――最近、ちょっと怖かったんだ。
彼女の言葉、嫌われて、姫野宮君から距離を取られることが怖かった。
だとしたら、やっぱり久栗さんは。
「頼んでもないのに毎朝迎えに来たりさ、部屋だって勝手に掃除しようとしたり。アイツには家に来るなって散々言ったんだぜ? なのに心配だからとか言って、勝手なお節介押し付けんなよって話だよな」
「……でも」
「んだよ、もしかして霧暮、佐保のことが好きなのか?」
好きなのか。
そう言われると、なんとも言えない。
可愛いとは思う、優しいとも思う。
でも、そこに恋愛感情があるかどうかは、まだ分からない。
「今日一日、仲良さそうにしていたしな」
「あれは、普段の姫野宮君を演じただけで」
「……まぁ、さすがの俺も、学校で佐保のことを邪険になんかできないからな」
外面って奴か。
好きじゃないな。
「はっきり言っておくぜ、俺は佐保のことが好きじゃない」
「……分かった」
「お前は? お前こそ伊静流さんのことをどう思ってんだよ」
「伊静流さんのこと?」
伊静流早蕨さん。
同じ図書委員で、同じ本好き。
でも、彼女が読んでいるのは小難しい本ばかりで、僕とは趣味が違う。
一年生同士で組まされているけど、特別何かがあってそうなった訳ではない。
隣にいて居心地はいいけど、それは言い換えれば意識してないとも言える。
つまり。
「なんとも思ってない」
「そうか、なら良かった」
たんっと立ち上がると、勢いそのままに、姫野宮君は思いっきり頭突きをしてきた。
ゴッッという鈍い音が、空き教室に響き渡る。
「~~っっ! い、痛いよ! なにすんのさ!」
「……、ほら、戻らねぇ」
「はぁ!?」
「戻ってねぇって言ってんの。俺達、諦めるしかねぇんじゃねぇかな?」
諦める?
「お前は姫野宮入直として、俺は霧暮素直として、生きていくしかないんじゃないのかってこと」
額から血を流しながら、姫野宮君は両手を制服のポケットに突っ込んだ。
「丁度良いだろ? お前は少なからず佐保のことが好きだし、俺は伊静流さんのことが好きなんだからさ」
「そんな、恋愛面だけで決めていい話じゃないよ」
「それだけじゃない」
血を手で拭うと、姫野宮君は近づき、僕の血も拭い取った。
「あの家には、お前が必要なんだよ」
「……?」
「妹たちの笑顔、久しぶりに見たぜ。俺は買い物も連れて行かなかったし、料理だってしてやらなかった。口を開けば喧嘩して、意味もなく家を荒らしてさ。……まぁとにかくだ、ここで何を言い争っても戻らないものは戻らない、だったら建設的な話をしていこうぜ」
「建設的な話って言っても、それじゃあ姫野宮君の居場所がないみたいじゃないか」
僕がいる場所は、元々姫野宮君がいるべき場所だ。
後悔をしているのなら、元に戻ってやり直せばいい。
今は戻れなくても、戻れる前提で動いた方がいいと思う。
「今の俺の居場所は、以前のお前の居場所だよ」
「……なにそれ」
「お前には出来ないだろ? 母親の無理な仕事を止めたりとかさ」
母さんの無理な仕事?
「確かに霧暮は料理が出来る、家事もこなす、そこいらの主婦なんか目じゃないぐらいにな。でもな、それじゃあ母親のデスマーチを止めることが出来ない。美味しいご飯を作り、洗濯を代わりにし、夜中の三時に帰って来ても朝の七時には起こし、仕事に行ってこいとお前は言う」
「確かに、そうだけど。でも、そうじゃないと生活が」
「お前の母親、死ぬぜ?」
……母さんが、死ぬ。
「お前の優しさは、母親を殺す優しさだ」
何も、言い返せなかった。
毎日夜中に帰宅し、朝は普通に家を出る。
朝食はほとんど食べずに、昼だって食べているのか分からない。
渡したお弁当がそのままだった事だって何回もある。
そんな生活が、まともなはずがない。
「俺なら止められる。働き方がおかしいと気付かさせてやることが出来る。リビングで寝かしたりなんかしねぇ、必ずベッドで寝かせて、無理のない働き方だけで生きていかせる事が出来る」
「姫野宮君……」
「とにかく、入れ替わっても悪い事ばかりじゃねぇって事だ」
実際に母親を亡くしてしまっている彼の言葉は、妙な説得力があった。
まるで本当に、母さんが死んでしまうんじゃないかって、そう思えてしまえる程に。
「さてと、昼休みも残り少ねぇし、まずは秘密の共有といこうか」
「秘密の共有?」
「ああ、俺だけが知っている人間関係とかな。そういうのを把握しておかないと、入れ替わりがバレちまうだろ? バレたら最後、互いに元の場所に強制的に戻らされちまう。最悪の場合、病院行きだってあり得る。中身が入れ替わったなんて、普通ねぇからな」
病院行きはともかくとして、元の場所に強制的に戻らされる可能性は充分にある。
その場合どうなってしまうか……久栗さんに罵倒され、真冬ちゃんに変態扱いされる。
あれ? もしかして、この秘密を重視しないといけないのは、僕の方なんじゃないか?
「分かった、僕も全部明かすよ」
「お、どうした急に乗り気になって」
「昨日、妹さんの下着類とか、全部洗濯しちゃってね」
「……ああ、なるほど」
どうやら理解してくれたらしい。
とはいえ、僕の方に特異な人間関係があるはずもなく。
スマホに記録された電話帳には、母さんとバイト先のみが記録されているだけ。
図書委員ツールとしてグループLIMEに登録もしているけど、それは何かあれば姫野宮君に流せばいい。
僕の方は簡単だったけど、姫野宮君の方はかなりのボリュームだった。
まず陽キャ集団の一人一人について。
このグループ、恋愛関係だけで成り立っているらしい。
各々が誰かを狙っている状態で、姫野宮君と久栗さんは相談役として在籍しているのだとか。
何とも面倒な立ち位置にある、ほぼ全員から相談され、それを明かすことが出来ない。
言い換えれば、全員の秘密を握っている状態とも言える。
故に、発言力がある、なるほど。
「こんな所か、じゃ、何かあったらすぐに連絡な」
バスケ部の友人関係なんかもあるらしいけど、それは後からスマホに送ってもらう事にした。
全部を聞いていたら昼休みが終わってしまっていたかもしれない。
まったく、どれだけ広い人間関係なんだか。
「長かったね、なんの話をしていたの?」
教室に戻るなり、久栗さんが僕へと問う。
久栗さんの恋愛感情は、間違いなく姫野宮君へと向けられているものだ。
このまま交友関係を続けること自体が、彼女への裏切り行為な気がしてならない。
「別に、大した内容じゃないよ」
「大した内容じゃないのに、昼休み全部使ったの?」
「まぁ、そういうこと。男同士の大事な話って奴だよ」
でも、今の僕は姫野宮入直だから。
それに彼の言う通り、戻らない可能性だって大いにある。
極力現状維持、それを第一に考えないといけない。
その日は午後も静かに過ごし、部活へもきちんと参加した。
元の身体だと出来なかったであろうハードな練習も、姫野宮君の身体ならこなすことが出来る。
バスケとか学校の授業ぐらいでしかしたことなかったけど、結構楽しいかも。
「あ、入直、一緒に帰ろ」
部活を終えると、久栗さんは僕のことを待っていてくれていた。
幼馴染だからと、姫野宮君はそう言っていたけど。
多分、それだけじゃない。
二人の間には十五年の付き合いがあって、そこで彼女が惚れる何かがあったんだ。
それは僕には関係のない話だし、そこに付け込んで久栗さんに手を出すのは卑怯だと思う。
だから、あくまで幼馴染の距離を保持し、それ以上は踏み込まない。
恋愛になるのだとしたら、今の僕として欲しい。
そう思ってしまうのは、ワガママなのかな。
「ねぇ、入直」
そんなことを考えていた時に。
彼女は、これまでの距離感で、僕に詰め寄ってきたんだ。
「今度のお休み、二人でデートしよっか」
次話『僕、彼女について何も知りませんでした』
明日の昼頃、投稿いたします。