第五話 俺、母さんには生きていて欲しい。※姫野宮入直視点
真冬も、杏子も桃子も、全員霧暮を受け入れていたな。
俺の正体をあの場所で明かしていたら、一体どうなっていたんだか。
多分、母さんが帰ってきた、とか考えてんだろうな。
俺がそう思っちまったんだから、間違いないと思う。
玄関からして綺麗だった、あんなに家が綺麗だったのは久しぶりだ。
母さんが生きていれば、あの家はきっともっと上手く回っていたはずなんだ。
でも、死んじまった。
あの日、俺がちゃんと声を掛けなかったから。
「学校……入れないな」
しっかりと門扉がしまっていて、どうやっても自転車は取り出せないらしい。
電話すれば当直とかいそうなもんだけど、時間が時間だしな。
ナビで調べると……徒歩、一時間半ってところか。
なら、走れば一時間ぐらいだな、のんびり走れば、そのうち着くだろ。
……ダメだ、一時間も走れねぇ。
霧暮の奴、もっと身体鍛えておけよ。
っていうか、俺、自分のロードバイク使えば良かった。
家にあったのに……もういいや、歩こ。
親父から電話が掛かって来るわけじゃないし、真冬も文句言わないし。
一人っ子って、結構快適なのかもしれないな。
じゃあ遊ぶか? 友達は……ダメか、霧暮の身体じゃあ、誰とも遊べないわな。
帰るしかないってことか、なんかもったいね。
アパートの二階、ここが霧暮の家か。
父親が亡くなったって言っていたよな、ってことは母子家庭ってことか。
やっぱり生活が厳しいのかね……霧暮って、確かバイトもしていたはずだし。
お、本当だ、家の中に誰もいない。
ガランとして、綺麗に片付いたまんまだ。
なんだ、三部屋しかないのか。
リビングとキッチンが合体した部屋と、寝る部屋、それと四畳半の狭い部屋。
恐らくこの寝る部屋が、そのまま霧暮の部屋ってことなんだろうけど。
ほとんど母親と共同の部屋じゃねぇか、これじゃあプライバシーも何もあったもんじゃないな。
「……うわ、美味し」
霧暮から預かった夕飯に手を付けたけど、アイツこんな美味いの作れるのかよ。
すげぇな、これだけで惚れちまうレベルなんだが。
おかわりが出来ないのが悔やまれるな、もっと白米が食べたい所だ。
一人で風呂に入り、一人分の洗濯物だけを回して、一人でテレビを見る。
家にいても変わらない生活なんだろうけど、完全に一人ってなると、また違う
既に御前様、夜中の十二時を回っているが……霧暮んちの母さん、帰ってこないな。
どういう生活をしているんだか。
これじゃあウチの母さんみたいに急に死んじまうぜ。
一時を超えてもまだ帰って来ねぇ。
夜勤か? 朝まで帰ってこねぇのかな。
おいおい、二時だぜ?
さすがにもう帰ってこないとおかしいだろうに。
……ん、車の音、タクシーか?
三時前、こんな時間にようやく帰宅かよ。
「おかえり」
鍵を開けて中に入ってきたのは、藍色の長い髪をした、疲れ切った女の人の姿だった。
霧暮の母さん、スーツ姿で、ヒールのある靴を履いていて。
ウチの母さんとは、似ても似つかないな。
「あら? 素直、起きていたの?」
似ても似つかないんだけど。
母親って存在は、やっぱりどこか母親なんだろうな。
「ああ、ちょっとな。それ、晩御飯だよ」
「おにぎり? 素直、ありがとう。でも、母さんお腹減ってないし、朝にしておこうかな。明日も八時の電車に乗らないとだからさ」
細身の体のくせに、どこがお腹減ってないんだか。
「もう三時だぞ」
「……え?」
「今帰ってきたのに、明日の朝八時の電車とか……こんな生活していたら、死んじまうぞ」
俺の母さんみたいに。
全然、予兆なんて無かったんだ。
あの日、まだ夜の十一時ぐらいだったのに、母さんはリビングで眠ってしまっていた。
あの時に声を掛けて、俺が異変に気付いていれば、母さんは助かったかもしれないのに。
真冬にも、あんな辛い思いをさせずに済んだのに。
父さんだって、桃子も、杏子も……全部、俺のせいで。
「優しい子」
服を脱いで、下着姿になった霧暮の母さんが、俺のことを抱きしめる。
「ありがとう、心配してくれて」
この人は、俺の母さんじゃない。
分かってはいるんだけど、なんでかな、母さんみたいな感じがする。
「じゃあ、母さんシャワー浴びて、すぐに寝るね。素直、起きていてくれてありがとう、嬉しかった」
おでこにキスをすると、霧暮の母さんは浴室へと姿を消してしまった。
帰ってきた、ちゃんと生きている。
それが分かったから、俺も言われた通り、布団の中に入って、目を閉じた。
いつもと違う布団なのに、隣にクラスメイトの母親が一緒に眠るのに。
なんでかな、いつも以上に安心して、眠りについちまった。
「あら、え、やだ、七時四十五分!?」
悲鳴のような声で、俺も起床する。
隣で横になっていた俺を見て、霧暮の母さんは「やっちゃった」ってしょぼくれた声を出した。
「いいんだよ、あんな時間まで仕事してたんだから。遅刻の一回や二回、した方がいいんだ」
「あはは…………そうかもね、素直の言う通りかも」
布団から起き上がると、霧暮の母さんはやっぱり下着姿のままだった。
下着姿のまま廊下へと行き、その下着すらも脱いで着替え始める。
「でも、素直は高校に遅刻したらダメよ?」
「ああ……そうだな。ぼちぼち学校行くわ」
思わず、魅入っちまった。
霧暮の母さん、結構綺麗なんだな。
俺の父さんも、この人なら……。
……なに考えてんだ俺は。
「行ってきます」
「いってらっしゃい、お昼はコンビニで買っておいてね」
貰った千円で適当にご飯を買う辺りは、最近の俺の生活と何ら変化はないな。
「……あ、やべ、自転車」
徒歩一時間半。
結局、俺が高校に辿り着いたのは、二時限目の授業が始まる前のことだった。
次話『第六話 僕、驚きました』
明日の昼頃に投稿いたします。