第四話 僕、勘違いされているみたいです。
「直兄、この人だれー?」
「だれー?」
「えっと……兄ちゃんの友達。やっぱり、二人はお家で待っていてくれるかな?」
「えー! 桃、お買い物行きたいよぉ」
「杏も、お買い物行きたい……」
幼女二人がぐずりそうになるのを見ると、姫野宮君は「別にいいだろ」と一言。
「じゃあ、行こっか」
「うん!」
「やったぁ!」
涙目になっていたのが、一瞬で笑顔になった。
杏ちゃん桃ちゃんの二人と手を繋ぎながら、徒歩十分くらいのスーパーへと向かう。
到着するなり「お菓子ー!」と叫びながら、二人はお菓子コーナーへと駆けて行ってしまった。
「これで大丈夫だろ。お前なぁ、俺を置いて先に帰るとか、一体なに考えてんだよ」
「ごめん、部活早退してもいいって染野先輩に言われて、その後、久栗さんに捕まっちゃってさ」
「あー……、佐保の奴、お節介焼くの好きだからな」
「お陰で助かったんだけどね、姫野宮君の家とか分からなかったし」
カートを転がしながら、適当な食材をカゴの中に入れる。
多分、あの感じだと魚料理とか食べてなさそうだから、アジの塩焼きとかでいいかな。
ブロッコリーとかも子供って好きだよね、他には人参の和え物とかあった方が色的にも良い。
っとと、買い物に夢中になっちゃった。
「姫野宮君の方はどうだった? 伊静流さんにバレなかった?」
「ん? ああ、ずっと隣で本読んでいるだけだったからな、別に何も」
伊静流さん、僕と一緒の時も我関せずって感じで、ずっと本を読んでいるもんな。
お陰で僕の方も、委員の時間は好き勝手やらせて貰っているけどさ。
「っていうか霧暮ってさ、悩まずに食材をカゴに入れてるけど、料理とか出来るのか?」
「ある程度はね。母さんが料理しない人だから、自分で作らないと毎日レトルトになっちゃうから」
「すげぇな……」
「そういえば、姫野宮君家のお母さん、亡くなられてたんだね」
「……ああ、母さんは三年前に病気で死んじまった。全然元気だったのに、リビングで眠ったまま死んじまってさ。心疾患って言ったっけかな。第一発見者は真冬だったんだけど、その日はもう朝から大変でさ…………ああ、いいや、語ったって別に楽しくもなんともねぇし」
昨日のことのように思い出せてしまうんだろうな。
それだけ、夏帆さんというお母さんが愛されていた証拠だ。
「実はさ、僕の父さんも、僕が三歳の時に亡くなっているんだよね」
「……へぇ」
「それから母さんは女手一つで僕を育ててくれてさ。だから、少しでも役立ちたいって思って、料理とか洗濯とか、手伝うようにしているんだ。ああ、そうだ、帰ったら母さんの分のご飯も作るからさ、出来たら持って帰ってくれないかな? 多分、母さんのことだから、何も食べないで帰って来ると思うんだ」
「別に構わねぇけど。なに、身体戻すの諦めたん?」
「諦めた訳じゃないけど、今はご飯作りの方が大切でしょ」
見れば、一個ずつお菓子を握り締めた、桃子ちゃんと杏子ちゃんが駆けてきているじゃないか。この子たちに少しでも美味しいご飯を食べさせてあげたい、今は、それが一番だと思う。
「そうだな……霧暮の料理、元に戻った時に再現出来るように、勉強させて貰うわ」
「大した料理作れないけどね。じゃあ買い物を終えて、一緒に帰ろうか」
姫野宮君の家に戻ると、僕はさっそくキッチンに立った。
桃子ちゃんと杏子ちゃんはもちろんのこと、真冬さんまで僕のことを遠目に見ている。
そして、勉強すると言っていたはずの姫野宮君は、帰宅するなり自室へと向かってしまった。
回収したい物とかあるのだろう、別に責める必要もない。
「おさかなー?」
「うん、アジの塩焼き作ってあげるからね」
「杏、お魚嫌いだなぁ……」
「骨抜きしてあげるから、頑張って食べようね」
さてと、夏帆さんの残してくれたキッチン道具、使わさせて頂きます。
さっき全部洗っておいたから、料理もしやすいや。
ご飯もお急ぎで炊けば、ちょうどいい時間に炊き上がるでしょ。
ブロッコリーも茹でて、お味噌汁は買ってきた豆腐とワカメでいいかな。
「直兄、それ、何しているの?」
料理していると、真冬さんが質問してきた。
「下ごしらえだよ、アジはぜいごって部分を取らないといけないから。それと内臓も抜かないとね。やり方を動画で見ただけで、理由はよく分かってないんだけどさ」
「ふぅん……」
「うわぁ、お魚さんから血が出た」
「杏、血、怖い」
こういうの、慣れないと出来ないよね。
でも、三人とも興味深々って感じだ。
クッキングシートに油を引いて、塩を掛けながらフライパンで焼けば出来上がり。
大根おろしと醤油、カットしたレモンを盛りつければ完成だ。
アジの塩焼き、茹でブロッコリーと人参の胡麻和え、味噌汁と白米、うん、完璧だ。
「はい、出来たよ。先に食べてていいからね。兄ちゃん、これからもう一品作らないといけないからさ」
いただきますって声が聞こえてきた後、美味しいを連呼されてしまった。
作った料理を褒められるのは、やっぱり気分がいいな。
さてと、残った魚をほぐしておにぎりにすれば、母さんも食べられる。
サラダもタッパーに詰めて……野菜、ちゃんと食べてくれればいいんだけど。
「姫野宮君、入るよ」
二階の彼の自室へと向かうと、彼は一人ベッドで横になっていた。
眠ってはいないみたいだ、部屋に入ると僕を見て「よぅ」と一言。
「随分、綺麗にしてくれたんだな」
「ごめん、触ったら不味いものとかあった?」
「いや、別に」
上体を起こすと、彼は僕の手にある物へと視線をやった。
「ああ、これ、母さん用のお弁当と、姫野宮君の夕ご飯」
「なんだ、俺の分まで作ったのか?」
「だって、何も食べてないでしょ? 僕の家に帰っても、誰もいないからさ」
「……そっか。なんつーかアレだな、霧暮って、結構凄い奴だったんだな」
僕が凄い? 全然、そんなことないと思うけど。
「じゃあ、今日は素直にお前の家に帰るとするかな。一応、財布とスマホだけは交換しておこうぜ」
「ああ、うん。そうだ、買い物で中身使っちゃったから、返さないと」
「いいよ、別に。使ったって言ってもウチの飯だしな」
立ち上がって帰り支度をすると、姫野宮君はそのまま玄関へと向かった。
「あ、そうだ、これ、僕の自転車の鍵」
「おお、そうか、そういや家の場所も聞かねぇとだな」
互いのスマホを登録すると、僕は彼へと自宅の住所を書いて送信した。
「学校に入れるか、ちょっと微妙な時間だけど」
「大丈夫だろ、いざとなれば勝手に侵入するさ」
「あはは……捕まらないようにね」
「ナビも使えるし、歩いて帰ってもいいしな。じゃあ、また明日な」
「うん、また明日」
一日も早く元の身体に戻らないといけない。
それは分かっているんだけど……僕って意外と、面倒見がいいのかな。
ダメな人を見ると、世話をしたくなっちゃうんだよね。
杏子ちゃんと桃子ちゃん、関わってしまった以上、面倒を見てあげたくなる。
「直兄、お友達、帰った?」
声がして振り向くと、そこには真冬ちゃんの姿があった。
長袖のシャツに楽そうなパンツ姿で、家着姿って感じ。
「うん。じゃあ、兄ちゃんもご飯食べようかな」
「そっか……ねぇ、直兄」
「ん?」
肘を抱え込みながら、真冬ちゃんは僕をじっと見る。
もしかして、バレた? 会話、聞かれちゃったのかな。
「……なんでもない。ご飯冷めちゃうから、早く食べよ」
「あ、ああ、うん、そうだね」
どこか変だったかな……口調か? つい素の自分が出てしまうな。
うん、とか、きっと姫野宮君は言わないよな。
おう、とか、そうだぜ、とか? ……今度研究しておかないと。
その後、食べ終えた食器の後片付けをして、お風呂に入ると、杏子ちゃんと桃子ちゃんの二人から「一緒に寝よう」って泣きつかれてしまって。洗濯物を終わらせてから二人の寝かしつけをしていると、ウトウトと、僕も眠気に誘われてしまい、気づけば完全に寝入ってしまっているのであった。
※姫野宮真冬視点
お兄ちゃん、家の掃除全部してくれたんだ。
階段や廊下も水拭きされていて、埃ひとつ落ちていない。
食器も全部拭いてから収納してあるし、明日のご飯の仕込みまでしてある。
洗濯物は全部洗って干してあるし、乾いたのは畳んである。
靴もそう、全部綺麗に並び替えて置いてあって、不必要な靴は収納されていた。
桃子と杏子の着替えや、明日の用意まで、全部。
直兄は、こんなこと絶対にしない。
私の部屋だけが綺麗なことに癇癪をもって、無駄に張り合うクソ兄だったはずなのに。
父さんの部屋も自分の部屋も、私の部屋でさえも、全部綺麗にしようとしていた。
直兄が寝入った後、隣の佐保姉も様子を見に来たけど。
佐保姉も、今日の直兄はちょっと様子がおかしいって言ってたんだ。
でも、佐保姉はそんなに気にしてない感じだったけど。
「ただいま……え」
父さん、帰ってきたんだ。
出迎えると、驚きながらも、期待に満ちた目をしている。
「真冬、なんだこれ……まさか、夏帆が」
やっぱり、父さんもそう思うよね。
私もそう、帰宅してすぐに、母さんがいるんじゃないかって、思ったんだ。
「……違うよ、全部、直兄がやったの」
「入直が? そんなバカな、アイツはそんな事をする奴じゃなかっただろうに」
「ここだけじゃないの、来て」
キッチンまで案内すると、父さんは食卓を見て、肩を震わせ始めた。
お母さんは良く、こうしてお父さんの帰りを待っていたんだ。
晩御飯を作って、ラップをかけて、帰ってきたら食べられるようにして。
あの日もそう、帰ってくるはずだったお父さんを待って、お母さんはリビングで眠ってしまっていた。
そして、そのまま帰らぬ人となった。
「夏帆……」
お父さん、涙を流しながら、手を口元にあてた。
あの日の食卓がまるで蘇ったみたいに、キッチンにはご飯が並べられている。
お母さんが作ってくれたアジの塩焼きと同じ、使うお皿まで一緒。
「お父さん……多分、今のお兄ちゃんには、お母さんが入っているんだよ」
「……そんな、バカな」
「だって、今も桃子と杏子と一緒になって眠っているんだよ? 昔、お母さんがよく昼寝していた時みたいに、疲れて眠っちゃって、私、お母さんが帰ってきたみたいで、私……っ、嬉しくて……ひっく……うぅ……」
帰宅してから、ずっと、こらえていた涙があふれてくる。
お母さんが居なくなってから、ウチは壊れてしまっていたから。
きっと、私たち家族を直すために、お母さんは帰ってきてくれたんだ。
でも、それを明かすと、お母さんはいなくなってしまう。
だから、気づかないフリをしないといけない。
分からないけど、多分、そんな気がする。
「真冬……」
「お父さん……私、眠るのが怖い」
眠ってしまい、お母さんがいなくなってしまっていたら。
また、以前の直兄に戻ってしまっていたら。
そう考えると、とても怖い。
「……今日は、全員一緒に眠ろうか」
「うん……」
一階の桃子と杏子の部屋、お母さんの仏壇から一番近い部屋。
そこで家族五人、全員で横になって眠る。
お母さんがいなくなってから、まともに眠れなかったのに。
その日は、嘘みたいに、朝まで熟睡してしまったんだ。
そして。
「おはよう、真冬」
お母さんは、直兄の中に、残っていてくれていた。
ご飯が炊ける匂い、お味噌汁の匂い、フライパンの焼ける音。
私は、とても嬉しくて。
キッチンに立つ直兄の姿を、じっと、見つめてしまっていた。
次話『俺、母さんには生きていて欲しい』
明日十二時に投稿予定です。