第二話 僕、戻りたくないかも。
「どうしたの、大丈夫!?」
脚立が倒れる音を聞いてか、伊静流さんが僕達の所へと駆け込んできた。
「霧暮君、怪我は無い!? あの、すいません、脚立は二人でって言われているのに、私が一緒にやらなかったから……お怪我はありませんか? 保健室に付き添いましょうか?」
明らかに僕じゃない方へと霧暮君と語り掛け。
物凄い他人行儀に伊静流さんは僕へと語り掛けてくる。
間違いなく、僕と姫野宮君は入れ替わってしまったんだ。
こんなの、どうすればいい?
とりあえず、伊静流さんには説明をしないと。
「あの「大丈夫だ、怪我はしてない」」
説明をしようとしたら、僕の姿をした姫野宮君に遮られてしまった。
「コイツ、俺……僕の友達なんだ。大事にしたくないから、このことは内緒で頼む」
「え、っと……え? 本当に、それでいいのでしょうか?」
伊静流さん、僕の方を見ているから、とりあえず頷く。
何か考えがあるのかな? 分からないけど、今は姫野宮君に合わせておこう。
「そういうことなら……でも、先生には言わないと」
「大丈夫だって、こうして元気、どこも怪我してないから」
「わ、わかりました。じゃあ、この場にいる三人の秘密ということ、ですよね。秘密はしっかりと守りたいと、思います」
僕の方へとお辞儀をすると、何回かこちらを見ながらも、伊静流さんはカウンターへと戻って行ってしまった。最後まで他人行儀で、なんかちょっと変な感じだ。
「あの、姫野宮君」
「とりあえず、図書室を出るぞ」
「え? でも、僕まだ図書委員の仕事が」
「そんな状況じゃねぇだろ、俺達の身体が入れ替わっちまったんだぞ」
「それはそうだけど、僕が帰ってしまうと伊静流さんが一人になってしまうよ」
図書委員の仕事は結構大変なんだ。
本の貸出しに返却、延滞者への催促から図書室内の清掃。
仕事の最後は、二人揃って図書室の鍵を返すことで終わりとなる。
伊静流さん一人で鍵を返却してしまっては、のちのち僕が怒られる。
「いや、怒られるのは俺だから」
「そうだけど、急に元に戻ったらどうするのさ」
「その時は……その時だろ。いいから来いって」
姫野宮君、かなり強引だ。
けれど、元は僕の身体なんだよな。
引っ張られてる腕を、ちょっと引っ張り返してみた。
「うぉ! な、なんだよ急に」
「あ、いや、ごめん」
少し力を入れただけで、あっさり勝ててしまった。
僕、弱いな。
図書室を出て、ひとけが少ない男子トイレへと向かい、個室へと入る。
目の前に僕がいる、なんか、すんごい変な気分になる。
それはどうやら、姫野宮君も同じみたいだ。
僕の方を見て、眉を波打たせたまま腕組みし、固まっている。
「とりあえず、もう一回、同じことしてみる?」
定番だが、入れ替わりを戻すには同じことをするのが一番だと思う。
そしてこれも同じく定番だが、同じことをしても元に戻らないパターンが多い。
「そうだな、別にあの場所でやる必要もねぇだろ。このままここで試してみようぜ」
「わかった、お手柔らかに頼むよ」
「うし、行くぞ」
姫野宮君は目一杯のけぞると、思いっきり頭をぶつけてきた。
ゴッと、鈍い音がした。
めちゃくちゃ痛い。
「ってー! ああ、くっそ、いって……ダメだな、戻る訳ねぇか」
「いててて……そもそも、さっきの時って頭ぶつけてたっけ?」
「あー、そういやそうだな、脚立から倒れたのを、俺が受け止めたんだよな」
意味ないじゃん。
痛み損じゃん。
気を取り直して次のパターン。
脚立は図書室で使えないから、階段から飛び降りて、僕を受け止めてもらう。
「じゃあ、行くよ」
「おう、来いや!」
階段から飛び降りるって、怖くて出来ない。
肩から飛び降りて、骨折とかしたらどうしよう。
「早く来いって!」
「う、うん!」
元に戻らないと。
だから、階段から飛び降りないと。
でも、一歩が出ない。
怖い。
「おい!」
「わ、わかったよ!」
一度深呼吸。
怖かったから、一段下りた。
脚立ぐらいの高さ、四段目ぐらいから、目を閉じ意を決してダイブ。
「ぐぁ!」
「……ッ!」
失敗。
元に戻らず。
「ねぇ、さっきと同じって言ったらさ、飛び降りるのは僕じゃないんじゃないかな」
「……ああ、確かにそうだ。身体入れ替わってんだもんな」
ということで、今度は姫野宮君が飛び降りてきて、僕が受け止める。
「じゃあ、行くぞ」
「うん」
凄いな、一発で飛んじゃうんだ。
しかも両手をクロスさせて、ミイラみたいなポーズで頭から飛んできた。
逃げずに受け止める。
がっちりキャッチした結果、お姫様抱っこになった。
「……違くね?」
「でもまぁ、こんな感じではあったよね」
「あの時の再現って言ったら、このまま後ろに倒れたぐらいだよな」
倒れてみるも、当然ながら元には戻らず。
勢いが足りない? それとも場所? やっぱり図書室じゃないとダメだった?
これ系はパーツが揃わないとダメってパターンが多いんだよね。
時間だったり、手にした物だったり。
でもあの時、僕は何も手にしていなかった。
ただ茫然と、外の景色を眺めていただけだ。
「そういえばさ」
「うん?」
「なんで姫野宮君は、図書室なんかに来ていたの?」
「なんでって……放課後なんだから、図書室にいてもおかしくないだろ」
「いやいや、だってほら、バスケ部のゼッケン付けたままだよ? 抜け出してきたの?」
まだ部活は始まったばかりのはずだ、何の用があって図書室へと彼は来たのか。
けれど、僕の問いに答えることもせず、姫野宮君はただただ顔を青ざめさせる。
「そうだった、俺、トイレって言って抜け出してきたんだった」
「え、結構時間経っちゃったけど」
「急いで戻らねぇと! じゃあな霧暮、とりあえず何か方法考えておけよ!」
立ち上がるなり、姫野宮君は凄い勢いで走り始めた。
廊下の角を曲がって姿を消し、その数秒後に駆け戻ってきた。
「俺じゃねぇし!」
あ、そっか、僕がバスケ部に戻らないといけないんだ。
え、僕が戻るの? え? 僕が戻るの?
頭の中で二度唱えるぐらい、驚きだ。
「とりあえず、まだ基礎トレーニングだけだから、お前でも出来んだろ」
「う、うん……なら、急いで戻るね」
「あー! ちょっと待て!」
忙しいな、なんなのさ。
「図書委員の仕事、十秒で教えろ!」
「本の片付けして掃除して終わり!」
「OK、それなら俺でも出来そうだ!」
問題は、伊静流さんにバレないかって事なんだけど。
まぁいいか、僕もバスケ部に戻らないと。
初めて行くのに戻るっていうのも、何か変な感じだ。
それにしても。
走る速度が普段と違い過ぎる。
身体が嘘みたいに軽い、これが運動部の肉体か。
ちょっと全力疾走とかしてみたくなる。
本気で走ると、ぐんっと加速した。
すっご、速っ、顔に当たる風が違う。
廊下の突き当りを曲がれば体育館だ、あっという間じゃないか。
――――、人!?
「うわきゃ!」
「おおおっと!」
……あっぶな!
誰かにぶつかる所だった!
「ご、ごめん、大丈夫!?」
「え、あ、うん、平気、ってか入直じゃん! アンタなにしてんの!?」
あ、久栗佐保さんだ。
ジャージ姿でバドミントンのラケット持ってる。
そっか、体育館で部活の最中か。
めっちゃ近い、なんか、いい匂いがする。
「染野先輩、超怒ってたよ!?」
染野先輩? 知らない人ですね。
「とにかく、早く戻った方がいいって!」
「あ、ああ、うん、ありがとう! えっと、お、恩に着るぜ!」
「へ? あは、なにそれ、変なの」
変かな? 姫野宮君って、こんなキャラじゃなかったっけ?
「ほらほら、ダッシュダッシュ!」
僕のお尻を叩くと、久栗さんは笑顔のまま、握った手を前後へと走るように振る。
接し方が違う、これが姫野宮君との距離か。
「じゃ、じゃあな! 久栗さん!」
「え、なんで急に名字、しかも〝さん〟付けで呼ぶの?」
あーダメだ、会話してるとボロが出そう。
もういいや、とにかく走って逃げよう。
「すいません! いま戻りました!」
「姫野宮テメェ! 何時間ション便行ってんだ!」
「ひぃ! ごめんなさい!」
あ、しまった。
怖くて素の僕が出てしまった。
バスケ部の全員が、僕の方を見ている。
特に台座の上に立っている人。
多分あの人が染野先輩、超怒ってるって人だ。
「なんだお前、調子狂うな」
「す、すいません、本当にお腹の調子が悪くて、なんか、頭も痛くて」
「……そっか、なら今日は見学でもいいし、帰って寝ててもいいぞ」
「助かります、すいません」
帰ってもいいのなら、帰っておこうかな。
運動とか全然したことなかったし、しないで済むのなら御の字だ。
「姫野宮!」
「ひぃっ!」
「荷物、忘れんなよ!」
染野先輩、短髪の三白眼で、ちょっと怖い。
これが体育会系か。
姫野宮君、よくこんな部活やってられるな。
って、あれ。
「どうした?」
「あ、あの、僕……俺の荷物って、どこでしたっけ?」
「お前、今日どこかボールぶつけた? 荷物なんざ部室に決まってんだろ」
バスケ部の部室。
確か、体育館の中にあるんだっけ。
あまり覚えてないな。
「あ、なんだお前、額、腫れあがってるじゃねぇか」
いつの間にか染野先輩が目の前に来て、僕の前髪を掻き上げる。
タンコブ……あれか、姫野宮君が頭突きしてきたところか。
「サボリたいだけかと思ったが、マジだったんだな」
「え、えへへ……」
「とりあえず保健室行って、湿布だけでも貰って来いよ。」
「はい」
「それぐらいなら明日から大丈夫だろうから、部活にはちゃんと来いよ。うっし! 一年は基礎錬再開! ぼさっとしてんじゃねぇぞ! 二年と三年はチーム戦だ! 今年こそは県大会予選突破すんぞ! そんで、目指すは夏のインターハイだ!」
おわっ、体育会系のノリだ。
えー、身体戻らなかったら明日から毎日これに付き合わされるのか。
あんまり考えたくないな。
さてと、体育館は出たものの。
どうしようかな、図書委員はまだ終わらないだろうし、帰る家の場所すら分からないし。
「入直」
このまま学校に残っている所を、染野先輩やバスケ部に見られるのもダメだしな。
でも、身体を戻すのに図書室での脚立からダイブは一度試しておきたい。
しかし連絡先すら分からないからなぁ。姫野宮君と連絡先交換しておけば良かった。
ん? 違うか、僕の番号に掛ければいいのか。
あれ、でも、スマホのロックが解除できない。
「入直! なんで無視すんの!」
どんっと、背中をどつかれた。
そうか、僕、姫野宮入直だった。
振り返り見てみると、先ほどすれ違ったばかりの久栗さんの姿がある。
あれ? でも、ラケットを持っていないし、背中にはリュックをしょっているぞ。
「えと……どうしたの?」
「どうしたのって、今日なんか入直、変だから。心配して、一緒に帰ろうとしているだけじゃない」
久栗さんと姫野宮君、一緒に家に帰る仲なんだ。
思っていた以上に二人の距離が近いのかも。
ちょっとショック。
「ありがとう、でも、ぼ……俺、ちょっと用事があるから」
「用事? 体調不良は嘘だったの?」
「え? あ、いや、そこは嘘じゃないんだけど」
「んー?」
瞳の奥を覗き込んでくるみたいに、近い。
甘い匂いがする、どうしようもなく、心臓がドキドキする。
「さっきも急に抜け出して、どこかに行っちゃうし……今日の入直、やっぱり変だよ」
「……ごめん」
「ほら、すぐ謝る。前の入直だったら、佐保は心配しすぎだろ、みたいに返してきたじゃない」
あ、下の名前で呼び合うんだ。
なるほど、佐保って、しかも呼び捨てか。
「佐保」
「なによ」
「……なんでもない」
やばっ、久栗さんを呼び捨てとか、嬉しすぎる。
「はぁ? やっぱり今日の入直、なんか変! もう、とりあえず一緒に帰ろ、家まで送ってあげるからさ」
家? 佐保さん、姫野宮君の家まで知っているのか。
二人はやっぱり、そういう仲だったんだろうな。
「まったくもう……幼馴染じゃなかったら普通ここまでしないよ? 感謝してよね」
……幼馴染?
え、姫野宮君と久栗さんって、幼馴染なの?
だとしたら、この距離感もおかしくはないか。
むしろ普通、うん、この距離感は普通の幼馴染の距離感だ。
え、つまりは僕と久栗さんが幼馴染ってこと?
「……なに、どしたの? 急にニヤケ面しちゃって」
「な、なんでも、ねぇぜ?」
「声が微妙に上ずってんのよね……」
どうしよう、ちょっとだけ、元に戻りたくなくなってしまった。
次話『第三話 僕、三人も妹が出来ちゃいました。』
本日18時頃、投稿予定です。