第十七話 私、彼のことが信用できなくなってきちゃった。
※久栗佐保視点
霧暮君を見る機会が増えた。
朝から下校の時間まで、私は以前の数倍、霧暮君を見ている。
授業中や休憩時間の過ごし方、昼休みに一人で食べる空き教室。
歩き方、仕草、机に突っ伏して寝ている所とか。
霧暮君、授業中に寝る人だったっけ?
「どうしたー? 今度は佐保が霧暮君に構うようになったん?」
小倉餡子。
高校に入ってからずっと付き合いのあるこの子なら、彼の変化に気づいているかも。
「別に、構う訳じゃないんだけど。ねぇ餡子、ちょっと聞いてもいい?」
「ん-?」
「霧暮君ってさ、なんか最近、雰囲気変わったと思わない?」
ぽよんとした頬をたゆませながら、餡子も霧暮君の方を見る。
ボブにした髪をカーテンみたいに揺らしながら、くるりと私の方へと向き直った。
「そうかな? 私的には、何も変わってないと思うよ」
「じゃあ、入直のことは?」
「姫野宮君? 変わった……と言えば、変わったよね」
「やっぱり?」
「うん。あまり喋らなくなったなぁって思うよ」
確かに、以前の入直は自分から喋り散らかす感じだったのに、最近の入直は受け身が多い。
話題を振ったりせず、誰かが喋った内容をオウム返しにしたり、相打ちを打ったりするだけ。
部活もあんなに熱心に取り組んでいなかったし、行動全部に茶化しが入る感じだった。
「あ、ようやく佐保も気づいた感じ?」
「エリ子、それに花梨も……」
横井エリ子、七三に下ろした髪を指で梳きながら、彼女も私の隣に座る。
それに追従するように、エリ子の親友、姫川花梨も一緒に席についた。
「一番近くにいるアンタが何も言わないから、アタシ達も黙っていたんだけどさ」
「ね、最近の姫野宮君、ちょっと様子がおかしいよね。前は一緒にいて楽しかったのに、最近は全然面白くないの。なんていうかな、バカじゃなくなっちゃった感じ?」
「入直はバカじゃないもん」
「にゃはは、拗ねないの、ごめんね佐保りん」
花梨に頭なでなでされた。
入直はちょっとダサいだけで、バカじゃないもん。
「とはいえ、四人とも変わったって感じているってことは、やっぱり何かあるんだろうな」
「ウチ等だけじゃないよ、桜井と森林の二人も、最近の姫野宮君は付き合いが悪いって言ってるし」
「神成君ぐらいかな、気づいてないの」
桜井数人君と、森林土門君。
男子の方もそう思っているってことは、やっぱりおかしいのかも。
「じゃあさ、霧暮君の方は?」
「霧暮? いや、全然、だってアイツ、クラスの空気みたいなもんじゃん」
「変化に気づけるほど、仲良くないよね」
私だって変化に気づいたのは、この前の図書室の一件があったからだ。
それまでも入直がちょっかいを出す、可哀想な被害者、程度の認識しかなかった。
今はなんていうか……とても入直っぽくて、気になるだけで。
「佐保が気になるってことは、もしかしたら姫野宮と霧暮、入れ替わってるのかもな」
「あははー、エリ子ちゃん、なにそれぇ?」
「いやいや、餡子も好きだろ? そういう系の漫画とかさ」
「あー、映画にもなってたしね。でもあれって、男女の入れ替えじゃなかったっけ?」
「男同士でもあるかもしれないじゃん? なぁ佐保」
「ん?」
「佐保の方でさ、今度の土曜日、姫野宮にカマかけてみるっての、どう?」
カマをかける?
「え、入直を騙すの?」
「騙すっていうか、二人だけの秘密を聞いてみるとか」
「私たちだけの秘密?」
「何かあんだろ? 幼馴染でずっと一緒なんだからさ」
……うーん。
水族館に、弟の時和と一緒に出かけた時の約束、とかかな。
秘密の約束っていうと、あれぐらいしか思い出せない。
「にゃにゃ、男子戻って来るよ」
「ん、じゃあそういう事で。土曜日宜しく!」
勝手に決められてしまった。
入れ替わっている? 霧暮君と入直が?
もしそれが本当だとしたら、私は霧暮君とお付き合いしているって事になるの?
……さすがに、それは無いよね。
だって、もしそうだとしたら。
入直は、私が他の人と付き合ってもいいと思っている、ってことになっちゃうじゃない。
それはつまり、入直は私のことを全然、好きじゃないってことに、なっちゃうから。
それは、ないよね。
ないない、絶対ない。
「佐保? 思いつめた顔して、どうした?」
「入直……ううん、なんでもない」
目の前にいるのは、間違いのない入直だ。
姫野宮入直、私の幼馴染で、ずっと一緒に生きてきた、大切な人。
私の両親が離婚した時に、一番慰めてくれて、道を示してくれたのも入直なんだ。
だから、私は生涯を共にする覚悟を持てているし、入直が何をしても好きでいるつもり。
その彼が、私が別の男と付き合うのを許容するとか、絶対、ないよね。
ないよね、入直。
信じてる、からね。
土曜日。
「それじゃあ、佐保と入直のカップリングを祝して! かんぱーい!」
いつもの八人で集まって、花梨オススメのお店で祝福を挙げる。
フルーツ盛りだくさんのタルトに、イチゴたっぷりのケーキ。
マロンクリームたっぷりのモンブランに、生チョコで固められたプリン。
どれもこれも美味しそうで、どれにしようか小一時間悩める自信がある。
「うわぁ! ケーキ、ケーキ食べ放題だよ! 太るうううううぅ!」
「女の子は少しぐらいぽちゃっとしてる方がいいんだよ」
「あ、言ったな!? 神成君、言質取ったからね!?」
「餡子は痩せた方がいいな」
「きいいいいいぃ!」
神成君と餡子、仲が良いなぁ。
でも、神成君が好きなのはエリ子なんだよね。
餡子が好きなのは森林君だし。
二人とも好き好き同士でじゃれ合えばいいのに。
「美味しい……」
「あ、珍しい、数人が喋った」
「……俺だって、普通に喋る」
「いつも寡黙なくせに」
「周りが賑やかだからな」
「にゃはは、分かるー」
こちらは桜井数人君と花梨ちゃん。
桜井君が好きなのは餡子なんだから、餡子と絡めばいいのに。
細身の秀才眼鏡君、何もしなくてもイケメン君は、餡子のどこに惚れたのかな。
「入学して二か月とは思えないな」
「そうだねぇ、なんか、一年ぐらいもう一緒にいる感じがするよ」
「俺達八人の、密度が濃すぎるんだろうな」
「じゃあ、ちょっとぐらい離れておく?」
「馬鹿いえ、今ぐらいが丁度良いんだよ」
「濃すぎるぐらいが丁度いいとか、どれだけなんだか」
柔道部で身体の大きい森林君と、ちょっと姉御風のエリ子。
この二人が一緒だと、なんか空気が大人だね。
この二人に関しては、誰が好きっていうよりも、このメンバーが好きって感じ。
私もそうかな、この八人がずっと一緒なら、ずっと楽しめる。
「佐保は、どのケーキにする?」
「……えっとね、このベリーベリ-タルトにしようかな。入直は?」
「見ているだけでお腹いっぱいな感じがするけど。一口チョコケーキにしようかな」
「じゃあ、取ってきてあげるから、ちょっと待っててね」
そして、姫野宮入直。
私の恋人、一番大事な人。
このグループで、一番のまとめ役だった人。
エリ子の目も、森林君の目も、入直へと向けられている。
霧暮君と入れ替わったんじゃないかっていう、疑惑の目。
あの日の話は、神成君と入直以外、全員に知れ渡っている。
彼の変化は、数え上げたらキリがない程に、挙げられてしまうんだ。
三人の妹達との接し方、学校での過ごし方、私と一緒の時の過ごし方。
その全ての変化が、霧暮君との入れ替わりで説明がついてしまう。
それはつまり、入直が私を裏切っているということ。
喉の奥が、急に乾いてきて、辛い。
一番好きな人の中身が別人とか、そんなのあり得ないよ。
絶対にない、絶対に、あっちゃいけない。
「……ねぇ、入直」
だから、聞くんだ。
目の前にいる入直は、私と人生を共に歩んできた入直のはずだから。
「水族館に行った時のこと、覚えてる?」
私が語り掛けると、皆の会話が止まった。
神成君も異変に気付いたのか、賑やかな口を閉ざす。
「水族館って、この前の?」
「ううん……もっと昔、子供の頃のこと」
私の両親が離婚する前のこと。
でも、その頃から、離婚の気配はあったんだ。
だから、私は彼へと、ひとつの約束をお願いした。
〝そんなの、当然だろ?〟
あの時、入直は頭の後ろで手を組みながら、笑顔でそう言ってくれたんだ。
あの言葉があったから、今でも私は笑っていられる。
大好きなお母さんがいなくなっても、笑っていられるんだ。
「入直、私と、約束したよね」
「約束?」
「うん、とっても大事な、約束」
口の中が、どんどん乾いていく。
耳鳴りがし始めて、不安で目の前がどんどん暗くなっていく。
大丈夫、大丈夫って信じるほどに、辛い。
「入直、覚えている、よね?」
怖くて、俯いた顔を、上げることが出来ない。
目の前にいるのが入直だけど、入直じゃないとしたら。
そんなの、考えるだけでも嫌だ。
想像もしたくない、入直が私を捨てるとか、そんなの、絶対に嫌だ。
だからお願い、入直。
「……覚えてねぇなぁ」
次話『第十八話 私、世界で一番バカでした。』
明日の昼頃、投稿いたします。