第十話 僕、好きな物は得意なんです。
「そんで、一言も喋らずに帰宅したってこと?」
「なにを喋っていいのか、分からなかっただけだよ」
久栗さんとのデートの翌日、僕は姫野宮君の自宅……というか、僕のアパートに足を運んでいた。
帰宅した瞬間、自分の家だと思えないぐらいに汚れていて。
なんというか、よくもまぁ、ここまで汚せるものだと感心してしまうレベルだった。
「しかし、佐保が告白してくるとは。よっぽど霧暮のことが良かったんだろうな」
「違うでしょ、久栗さんが好きなのは姫野宮君であって、僕じゃないよ」
冷蔵庫の中身、全然減ってない。
母さんも姫野宮君も料理出来ないんだよな。
しょうがない、作れるだけ作って冷凍してしまおう。
レンジで温めるくらいなら、姫野宮君でも出来るだろうし。
「お前、まだそんなこと言ってんのか?」
「そんなことって……重要な事でしょ」
「俺達が元に戻れると思うか? 俺はもう戻れないと思うけどな」
「まだ、図書室での完全再現は試してないじゃないか。戻れるのを念頭に置いて動いた方がいいに決まってる。だからこうして、僕達は入れ替わりを誰にも明かさずにいるんじゃないか」
火曜日になったら、姫野宮君が図書委員の仕事で鍵を借りることが出来る。
そうしたら誰かが来る前に、脚立を使って完全再現を試すことが出来るんだ。
「でも、お前は佐保に告白をさせちまった」
「させちまったって、あれは久栗さんが」
「俺だったら告白する空気にさせない。そもそもデートにも行かない」
フライパンで炒めていた肉が、パチパチと音を立てる。
「戻れるのを念頭に置いて動くのだとしたら、全部断るべきだったんじゃねぇのか? それをお前はひょいひょいついて行って、告白されたけどそれは僕じゃありませんって、なに言ってんだか」
振り返ると、涅槃のように横になった僕がそこにいて。
「なんだよ」って一言だけ言うと、スマホの画面へと視線を戻す。
図星だった。
図星すぎて、言葉が出なかった。
行かなければ、断っていれば、告白はされなかった。
「肉、焦げてんぞ」
「え? あ、ああ……」
慌ててヘラでひっくり返す。
焦げ付いた面が混ざっていき、やがて薄れて消えた。
「ねぇ、姫野宮君」
「あん?」
「もし、なんだけどさ。僕がこのまま、久栗さんとお付き合いとかしちゃったら」
「いいんじゃね? もうその体はお前のなんだし」
軽いな。
軽すぎて、なんか、驚くことも出来ない。
けど、スマホをいじりながら、姫野宮君はこう続けた。
「元に戻ったら、秒で別れるけどな」
「なんで? 久栗さん優しいし可愛いし、とても良い子だと思うんだけど」
「そりゃお前から見たらだろ? 価値観ってのは千差万別、俺に佐保は合わねぇってだけだ」
「でも」
「でもとか関係ねぇっての、元に戻らないようにすればいいだけの話だろ? 大体お前はどうなんだよ、佐保のことが好きなんじゃねぇのか?」
手にしていたスマホを放り捨てると、寝そべったまま僕を見る。
「優しいし可愛いし、良い子なんだろ?」
「……うん」
「じゃあいいじゃねぇか、今の俺を好きってことは、佐保も満更じゃねぇって事だろうしよ」
「でも、久栗さんが」
「でもが多いな」
姫野宮君の目の色が変わった。
怒りの感情がほのかに見える。
きゅっと、一瞬だけ唇を噛んだ。
「……言ってたんだよ、夏帆さんが亡くなってしまった後、必要以上に姫野宮君にお節介を焼いてしまったって。姫野宮君がどう思っているか考えもせずに、彼女は突き進み、嫌われる結果となってしまったって。後悔してるんだよ、彼女は彼女なりに、過去の行動を後悔している。それを聞いていいのは、聞いて欲しいのは、きっと僕じゃないんだ」
だって、久栗さんが愛しているのは、苦楽を共にした姫野宮君だから。
「……佐保はな、過去に囚われ過ぎなんだよ」
零れ落ちた言葉が、妙に耳に残った。
「まっ、なにを言われようがどう思われようが、俺は佐保のことを好きにはならねぇ。というか、俺が好きなのは伊静流さんだって言ったじゃねぇか。なんなん? お前は俺にどうにかして佐保と付き合って欲しいとか思ってんのか?」
「そういう訳じゃ、ないんだけど」
「じゃあいいじゃねぇか。佐保を悲しませたくないとか思ってんのなら、そのままでいるのが一番だ。元に戻ったが最後、俺は佐保を泣かすぜ? お前が何を言おうが、それは変わらねぇ」
……その通り、なんだけどね。
「という訳で、お前、佐保と付き合えよ」
「え」
「好きなんだろ? 告白されたんだろ? OK出すだけじゃねぇか。はい解決、おめでとうございます!」
拍手して、ウェーイとハイタッチをしようとしてきた。
投げやり過ぎて、なんか腹が立つ。
「やめろ、お前、たまねぎの皮投げつけんな」
「なんか嬉しくないんだよ」
「はいはい、それじゃあ、お前の方は解決ということで、今度は俺の方な」
姫野宮君の方?
「お前さ、スマホで動画作成とか出来るんだろ?」
「動画作成?」
「ああ、伊静流さんが言ってたんだよな。前にお前が隣で動画を作成してたって。撮影じゃねぇからな? なんかこう、動画と動画を繋げて、まんじゅうみたいなアニメキャラに喋らせてたって」
「ああ、うん、作ってたことあったかも。それがどうしたの?」
ふっふっふって、何さ、イタズラ心満載の笑みを浮かべちゃって。
「実はな、俺、伊静流さんからMVを作って欲しいって頼まれたんだよな」
「MV? PVじゃなくて?」
「ああ、MV……ミュージックビデオだな。伊静流さん、歌い手目指してんだとよ」
へぇ、意外だ。
伊静流さん、隣で静かに本を読んでいる印象しかなかったのに。
「いやぁ、入れ替わって様様だぜ。図書委員で誰にも邪魔されずに、何時間でも伊静流さんとお喋りが出来るんだからな。元の俺だったらこうはいかねぇよ。佐保が邪魔しにくるか、神成の奴が冷やかしにくるか」
「姫野宮君、人気者だからね」
「別に、なりたくてなってる訳じゃねぇし。気づいたらあの位置にいたってだけだぜ?」
天性の陽キャってことかな。羨ましい限りだ。
さてと、次はきんぴらゴボウでも作ろうかな。
「っていうかよ、喋ってて気づいたんだが。伊静流さん、お前のことが気になってたっぽいぜ?」
「え? 伊静流さんが僕を?」
驚きで、手にしていたゴボウを落としてしまった。
「想像以上に見られてたっぽいしな、話しかけたら嬉しそうな顔してくれてさ。前に俺が話しかけた時は、全然、ツンって感じに無視されちゃってたんだぜ? 女ってのは心を許した男相手だと、こうも違うのかって、驚いちまうぐらいだったぜ」
へぇ……伊静流さんが僕を。
物静かな感じで、森の中で動物と楽しむ、エルフみたいな雰囲気の子なんだよな。
長い黒髪がとてもまっすぐで、たまに耳に掛ける仕草が結構可愛い、とは思っていたけど。
「おまえ今、伊静流さんのこと考えてるだろ?」
「え? いや、別に」
「なんだよ、もう佐保はどうでもいいのかよ」
「ち、違うから。それよりもMV作るんでしょ? まずは原曲を聞かさせて貰わないと」
危なかった、完全に料理する手が止まっていたよ。
というか、久栗さんは姫野宮君のことが好きで、伊静流さんは僕のことが好きだったってこと?
でも、姫野宮君は伊静流さんが好きで、僕は久栗さんのことが好きだった。
これって、まさかこれが原因で入れ替わった、とかはないよね?
「ほれ、これが彼女のチャンネル」
「え、伊静流さん、動画投稿してるの?」
「ああ、お前の真似をしたんだとよ。お前もチャンネル開いてるだろ?」
僕の秘密を、知っているだと。
「……あの、まさか、姫野宮君、僕の動画……」
「あん? 見てねぇよ、伊静流さんから聞いただけだからな」
良かった。
変な内容じゃないけど、見られたら恥ずかしいんだよね。
……いや、何も良くないだろ。
伊静流さん、僕のチャンネルの存在を知っているってこと?
隣で編集作業してたからか? あの時チャンネル開いてたっけ?
ぐぬぬ……全然見てないと思って、完全に油断してた。
「これって、金とか稼げるんだろ?」
「それは十八歳以上の話ね」
「お、そうなのか。じゃあ未成年で再生回数伸ばしても意味ねぇじゃん」
きんぴらゴボウをラップに包んで、冷凍庫に入れてと。
姫野宮君の隣に座り込み、彼のスマホを手に取る。
「チャンネルの登録者が十八歳以上なら、それで問題ないんじゃない? 被写体が赤ちゃんでも、広告流れてるチャンネルとかあるでしょ?」
「ああ、なるほど。なら、親名義で登録した方が、のちのち儲かりそうだな」
「金儲けが目的じゃないんだろうから、そのままで良いでしょ。僕もそうだけど、伊静流さんもお金目的で動いてないと思うんだ。やりたい事がそれだっただけ、だから、全力で頑張れる。ダメだったらまた繰り返せばいいだけだしね」
僕のチャンネルもそう、自分の趣味で作った動画をお披露目したかっただけだから。
どこまで出来るのか、どこまで通用するのか。
動画投稿って面白いもので、いろいろな人がアドバイスをくれたりする。
そういう人との交流が楽しかったりするんだけど、伊静流さんもそれが目的だったりするのかな。
似た趣味を持った僕と友達になりたかったから、だから見ていた、とか。
「クリエイター気質って奴かな。俺には理解出来ねぇ世界だ」
「その方が良いと思うよ。クリエイターに限らず、創作者って誰もが人気出る訳じゃないから。同じ趣味を持って、同じ道を進んで、どちらか片方だけが成功しちゃうと、どうしても妬んだりしちゃうからね」
「……ふぅん、いろいろとあるんだな」
「ともかく、聴かさせてもらうね」
チャンネル名、flow rabbit。本名をもじった感じかな。
投稿数一本、投稿日が一昨日、視聴回数十二回。
動画タイトルが〝テスト〟だから、いずれ消すんだろう。
画面をタップする。
真っ暗な背景。
BGMもない。
聞こえてくるのは、息を吸う音のみ。
僕は目を閉じて、彼女の歌に沈む。
心臓に響く。
耳が喜ぶ
身体がリズムを刻む。
彼女のイメージ。
大樹、森林、湖面、動物、風、木洩れ日、光。
躍動、ビブラートが心地いい。
唾をのむ音、息切れ、溜息。
静寂、暗闇、余韻。
「……なるほど」
「どうよ? 伊静流さん、かなり歌上手いよな」
「うん、イメージは付いたから、さっそく作ってみるね」
「お、なんだ、どうやって作るんだ? やっぱりアレか? めちゃ高い機材とか使うのか?」
「高い機材なんか使わないよ」
ファーストインプレッションの感覚が消える前に、作ってしまおう。
僕はキッチンに置いてあった自分のスマホを手に取って、姫野宮君へと見せつける。
「撮影から編集まで、これ一台で充分さ」
次話『第十一話 僕、やっぱり寂しいです。』
明日の昼頃、投稿いたします。




