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ほら吹き地蔵 第九夜 「なんでジュリエットばっかり」と、もう一人のジュリエットが告発する

【お断わり】今回も三題噺ではありません。


ボクのうちの裏庭に、かなりいいかげんなお地蔵さんが引っ越して来ました。

でもまあ、とりあえず、ありがたや、ありがたや。


**********


八百屋お七の悲劇について、史実と言うほどのものは、ほとんど明らかになっていない。

実家が八百屋だった事すら確証はなく、お七の存在を疑う研究者すらいる。


このため、以下の一文では星雲の如き「お七伝説」のテキスト群から井原西鶴『好色五人女』のみを粉本として選び、それに当方の創作を加えた物である事を諒とせられたい。


第一章、事件の概要


ある年の12月28日、江戸の町に大火災発生。

八百屋の八兵衛一家は、駒込の吉祥寺に避難した。

八兵衛の愛娘で、評判の美少女、お七は年も十六だった。


避難先の寺でロミオ登場。

「先祖ただしき御浪人衆」にして寺の預かり人、小野川吉三郎、16歳。

もちろんイケメンである。


お七は「狙い定めたイケメンの、左の人差し指からトゲを抜く」と言うクエストをクリア。

吉三郎はお七の手を強く握り締めた。

ひと目があるので一度はその場を離れたが、故意に用事を作って取って返し、お七は吉三郎の手を握り返した。


この後、お七と吉三郎はラブレターを送り合うのだが、相手の返事なんか待たず、「好きだ」、「好きだ」と言い合うばかりの内容だったようである。

恋に恋してるだけでも、引き返し不能になる時はなると言う事だ。

ここまで来るのに、出会って3日くらいしか、かかっていない。

恋が燃え上がったと言うより、ガソリンタンクが爆発したようなものである。


なお、ラブレターを直に渡せる状況ではなかったので、間に人を介した。

この作品、「お七・吉三郎サイド」のお節介焼きが絶妙なタイミングで現れるのである、なぜか。


1月15日深夜、お七と吉三郎は「鬼の居ぬ間」の初夜を迎えるが、詳細は書かない事にしよう。


一点だけ特記しておく。

お七に「わたくしは十六になります」と告げた吉三郎に対し、お七の側も「わたくしも十六になります」と返しているのである。

ここには、ちょっとした謎がある。

これについては、この一文の末尾で詳しく考証した。


閑話休題。

やる事やったら、とっとと寝床から撤収すれば良いものを、グズグズしている内に夜が明けて、ついに悪事が露見してしまった。

やる事やっても、やっぱり子どもは子どもなのである。


この後、お七がやらかした事に付随して、ちょっとした尻ぬぐいが必要になったのだが、「いたづらなる娘もちたる母なれば、大方なる事は聞かでも合点して」お七のおっかさん、サクサクッと処理してしまった。

「この娘にして、この母あり」とでも言いたげな、西鶴の意味深な書きようが面白い。


愛人と強制的に引き裂かれた後のお七は(時代相応、立場相応に)我が身の不運を嘆くばかりの運命論者で、問題を能動的に解決しようとする姿勢は、ほとんど見られなかった。


こういう没主体性を、かつては「親孝行」と呼んだ。

自己主張は反逆者や謀叛人のたぐいが行う事だったのである。


結局、彼女が行った唯一の意思表示が発作的・突発的な放火だった。

付け火は、すぐ消し止められた。

その場に居た者たちから「おまえがやったのか?」と聞かれたお七は「はい。私がやりました」と、ホッとしたような顔で即答した。

その晩、両親と涙の別れを済ませ、翌日、女牢に放り込まれたが、その第一夜、お七はイビキをかいて熟睡したと言う。


江戸時代の牢屋は、何もしなければ同房者からリンチ殺人されるのが当然だった。

牢屋敷を管理する役人たちは、これを「牢死」と称して黙認していたのである。

お七が逮捕されてから処刑まで1か月程度だったようだが、兎にも角にも処刑の日まで生きてはいられたのは、両親が牢屋敷役人に必死になって働きかけたお陰である。


卯月の初めつ方(4月初旬)お七刑死。

桜咲く「惜しや十七の春」の事である。

その最期は潔いものだったと言う。


さて、この間、我らがロミオ、小野川吉三郎はどうしていたかと言うと、恋患いで寝付いて意識不明の状態だった。

吉三郎が床を離れる事ができたのは、お七の刑死から100日後だった。

隠せるものではない。

吉三郎は、すぐ真実を知った。

仮にも武士だ。

「死に損ない」とバカにされるくらいなら、死んだ方がマシだ。


「死ぬ死ぬ」と駄々をこねる吉三郎を、周囲の者たちは当然、引き留めるが、吉三郎、なかなか頑固である。


そこに、あのお七ママが現れて、吉三郎に何か耳打ちした。

すると我らがロミオ、うなづいて、「ともかく結論は保留しましょう」と納得されたご様子。

結局、「ロミオ出家」で落ち着いた。

この耳打ち、本作最大の謎である。


剃髪して坊主頭になった吉三郎に、西鶴はこんなコメントをしている。


「盛りなる花に時の間の嵐のごとく、思い比ぶれば、命はありながら、お七最期よりは、なお哀れなり」


(意訳) こんなイケメンを坊主頭にしてしまうとは、今を盛りの花が一瞬の嵐で吹き飛ばされたようなものだ。死んだお七より、生きてる吉三郎の方が、よっぽど可哀そうではないか。


これには同意できない。絶対に同意できない。


1月に会い、4月に逝く。

たった3ヶ月弱の恋だからこそ、我らがジュリエットは天国から地獄へと一気に駆け抜けてしまったのではなかろうか。



第二章、悲しい別れの直後(お七と同い年の幼なじみ、「せい」女は、かく語った)


最初に話を聞いた時は「ああ、やっぱり」って思った。

「何か軽はずみな事するんじゃないか」って予感はあったから。


お七ちゃんちは大店おおだなの八百屋。あたしんちは、奉公人もいない間口1間半の小さな八百屋なんだけど、お七ちゃんは、あたしんちに里子に出されてた事があるんだ。

いいうちの子は、みんなそうだ。乳母をつけるんでなきゃ里子に出す。

実のおっかさんが自分の乳を含ませたり、おしめ換えたりはしないものなんだよ。


もっともお七ちゃん、もの心がついたら、すぐ実家さとにもどったけどね。

その後も、あたしと行き来はあったから、「ただの幼なじみ以上、義理の姉妹以下」って感じかな。

「お七ちゃん、おせいちゃん」と呼び合う仲だったよ。


お七ちゃん、頭はいい、呑み込みも早い、手先も器用、小唄も三味線も上手の器量よしと、最初から大店の女将に収まるために生まれて来たような子だったよ。


ただ、昔っから奥手で、実家に帰ってからは女中のお伴なしじゃ、お白粉も買いに行けない箱入りだったからねえ。

だから、お七ちゃんには悪いけど、「なんだい、17にもなって男の一人や二人でさ」とも思ったよ。

好いた惚れたのイザコザだなんて、あたしゃ14で済ませちまったからね。


町娘なんて、そんなものさ。

ここから石投げて届く範囲に生娘なんて一人もいやしないよ。

あたしだって、あん時ゃ、生きるの死ぬのと散々騒いだけど、こうやって生きてるじゃないか。男出入りなんて、そんなものさ。


ああ言うお堅い育てられ方をしたのが、一旦タガが外れっちまったとなると、もうホントにどうしようもないんだろうねえ。

なんの因果なんだろうねえ、お気の毒だよ。

男に捨てられる度に死んでたんじゃ、命がいくつあっても足りゃしないってのにね。


許せないのは、相手の男だよ。名前、何て言ったっけ?

禅坊主だの、わざわざ松前から、しゃしゃり出て来た衆道の兄貴分だのが、寄ってたかって、なんのかんのと言いくるめた挙げ句、結局、出家させてオシマイだろ。

ちゃっかりしたもんだよ。


「お七ちゃんの菩提を弔う」の、「お七ちゃん本人も、それを望んでた」のと言った、もっともらしい話も聞こえて来たけど、要は「死人に口なし」って事じゃないか。

言い訳とハナクソは、どこにでも付くんだよ。


あたしだったら、火付けなんてする前に、男の所に怒鳴り込むね。

お寺だろうが何だろうが構やしないよ。こっちは「火付けでもしようか」ってくらい思い詰めてんだから。


こっちの言い分?

そんなの「きずものにした責任とれ」とか何とか、取り敢えず押し掛けちまえば、理屈なんて口先からどんどん出て来るよ。

そもそも責任の半分は、男の方にも、あるのが道理じゃないか。


男が不実なヤツで、ポイ捨てされたら、それまでの話さ。

不実かどうかは、ぶっつかってみなけりゃ分からないじゃないか。


「行けば騒動になる。恥になる?」


そうやってグジグジ考えてたから、足が止まって火付けになっちまったのさ。

物には勢いってもんがあるんだよ。

駆け落ちなり心中なり、それも無理なら首を吊るなり、火あぶりにされるよりマシな道は、いくらでもあろうってモンじゃないか。


お七ちゃんのおとっつあんも、おっかさんも、身が裂けるような思いをしたはずだよ。

陰で泣いてると思うよ。いつまでも泣き止む事はないだろね。あたしも、そうだから。

もう、心が壊れそうだよ。


あたしが、町娘なら誰もがやる事に目を向け始めた頃、お七ちゃんは花嫁修業に追いまくられてて、それで、なんとなく疎遠になっちまった。


あれで良かったのかねえ。

住む世界が別になったとはいえ、そばにいてやる事ぐらいは、できたんじゃないかな。

たまに顔だして、お茶のんで、甘い物たべて、話し込むぐらいの事でも、「世間は広い」って教えてやれたんじゃないかな。


ちょっとでも畳にササクレが出たら、ひと部屋まるごと畳替えしちまうような、おきれいなお座敷にずっと座ってたら、そりゃ世間が狭くなって、物の見方も狭くなっちまって当然だと思うよ。

あたしなんかが再々、顔だしたら、お七ちゃんの親ごさんは、いい顔しなかったと思うけどね。

まあ、今さらクダクダ言ったって、どうにもなりゃしないけどさ。


そもそも火事の避難先は危ないんだよ。

すし詰めにされた上、持ち込んだ家財道具で足の踏み場も無くって、みんな気が立ってる割には注意散漫で脇が甘くなる。

悪い下心を持った男は、そこを狙いすまして若い娘を手籠めにしようとするからね。

まあ、今回はお七ちゃんの方が手籠めにしたようなもんだけど。


こんな事があったせいで、あたしゃ男が怖くなっちまったよ。

「口じゃ、いいこと言ってるけど、ハラの中は分からないじゃないか」なんて考えはじめたら、うまく行く恋も、行かなくなっちまうよ。


だいたい男に失礼だよ。

実のある男かどうかなんて、馴染んでから少し置いてでなきゃ分からないんだから。



第三章、事件から3年後(この年、おせい結婚)


男の事は分かってる積もりでいたけど、嫁に行ってみなきゃ分からない事ってあるよねえ。

うちのバカ亭主が、これほど大飯ぐらいだとは知らなかったよ。

朝晩の飯たく手間が付くったらありゃしない。


近ごろは、どいつもこいつも、あたしに面と向かって「子どもはまだか、子どもはまだか」って、そればっかりだよ。

そりゃあ、幼馴染を見渡しゃ、みんな子持ちで幸せそうな顔してる。

あたしだって自分の子が欲しいよ。


でも、そもそもは親の決めた結婚じゃないか。

えっ? 「なにか不満があるのか」って?


まあ、うちのダンナはそこそこ稼ぐし、変な癖も、金のかかる道楽もありゃしないから、情は後から湧いて来たけどね。

さもなきゃ、好きでもない亭主の子なんて産めないよ。あたしゃ牛じゃないんだから。


舅・姑も、うちのは大人しいし、そもそも小姑はいない。

「これで文句言っちゃ罰が当たるよ」とは良く言われる。あたしも、そう思う。


でも、「好いた男に一途でいられたら」とは、時々思うよ。

「火あぶりにされてもいい」とまでは思わないけど、女の意地を見せたお七ちゃんが、ちょっぴりうらやましい。


まあ、ぜいたくな言い草なんだろうけどさ、毎日毎日、広くもない長屋で飯たいて、掃除して、洗濯してだけだと、こりゃ確かに、子どもでもいなきゃ、やりきれないんだよ。


うん。水天宮さまには何度も行った。ダンナと一緒に、子宝お恵みくださいって。

こればっかりは授かりものだからねえ。



第四章、事件から16年後(おせいの一人娘が13歳の時)


子ども一人持つのが、これほど大変とは思わなかったね。

特に、うちの子は病気勝ちだったから。

「おっかさん、おっかさん」と裾にすがり付いて来るのを「うるさい」と思ってたけど、それをしなくなったと思ったら、今度は親の言う事なんか聞きゃしない。


ありゃ男がいるね。

昔の自分を棚に上げてだけど、あたしゃ心配で心配でたまらないのさ。

この町の男たち全部、妖刀村正で片っぱしから首斬って回りたいくらいだよ。


危ないのは若い男ばかりじゃないよ。30の男は30なりに、50の男は50なりに、いや、それ以上のジイサンだって、みんな考えてる事はおんなじなんだから。

孕んで産むのはこっちだなんて、ちっとも考えてやしない。男は気楽なもんだよ。


もちろん好いた女をカカアにする積もりなら話は別だけどね。

それくらいの心意気のある男は、みんな17か18で身を固めちまうよ。


お七ちゃん?

うらやましいね。「好いた」だけで打ち止めの人生だったんだから。

あたしゃ、「好き」の後も全部、見た。

「好き」でなきゃ耐えられないけど、「好き」だけじゃ暮らしが立たない。


不倫の不義の駆け落ちだのって、あたしの回りでも珍しくも何ともないけど、みっともないオッサンとオバサンがだよ、暮らしの垢まみれの男と腹の皮がたれ下がった女がだよ、陰に隠れて、こそこそナニやってんのやら。

浄瑠璃の歌舞伎のと言った小粋な不義密通・心中沙汰なんて、あたしゃ聞いた事がないよ。


だからさ、余計、娘には言ってやりたいわけ。

「好きな男と添えりゃいいけど、そうならなかったら、後がつらいよ。

こっちが振った男でも、雨の一つも降りゃ『あの人、今どうしてるだろう』と、切なくなる時もある。いい年こいたオバサンになっても、乙女は止められないよ」って。


うーん。やっぱり娘に「やめとけ」は言えないね。

「おっかさん、アンタが言うな」って言われたら、返す口ないもん。



第五章、事件から27年後(おせいの二人目の孫が生まれた時)


お七ちゃん?

気の毒だよね。孫二人持つ身が、これほど、いいもんだとは思わなかったもの。


嫁入った先が、ちょいと難しい家で、娘は苦労してるみたい。口には出さないけどね。

たまに里帰りした時は、娘の事を、思いっきり子ども扱いしてやる。

あたしにゃ、それしか、できないしね。

たまに小遣いくらいは渡すけど。


あたしのダンナ? まだ働いてるよ。

男は気楽なもんだよ。

女のいくさは我関せず。

見て見ないフリしてんじゃなくて、ありゃ、ホントに分かってないみたいだね。

あたしの舅さん・姑さんが出来た人だったから、うちの馬鹿ダンナ、そういう苦労はしてないからね。


舅さん・姑さん?

二人ともピンピンコロリで送り出したよ。

だから、あたし、長患いの看病の苦労はしないで済んだ。


孫は上が男の子、下が女の子だよ。

「跡取り息子ができた」ってんで、上の孫は半分くらいは向こうのジジババに取り上げられちまったみたいだね。

「あたしゃ、産んだのが娘で良かったかも」って、時々思うよ。

もしも男を産んだとなると、あたしは嫁を迎える側だ。反りの合わない女が家の中に二人居るとなると、こりゃ地獄だよ、誰にとっても。


まあ、そんなこんなで気苦労の種は尽きないけど、孫の顔を見てる時だけは苦労が吹き飛ぶね。

上の孫なんて、今が四つの、かわいい盛りだよ。来れば、家の中の物、片っぱしから放り投げたり壊したりだけど、そこがまた、かわいくってねえ。

あたしのダンナは、孫が来ると顔が土砂崩れ起こすんだよ。

あたしも、あんな顔してるのかな。


娘は何かと言うと、自分の子を叱り飛ばすんだけど、あそこまでしなくてもねえ。

まあ、余裕がなくてイライラするのは、あたしの時もそうだったから、これも仕方ないのかもね。

背中に下の子おぶって、胸に上の子、抱えてだろ。43のあたしに、おんなじ事はできないよ。

先の事は分からないけど、これだけ産んどいて、まだひょいひょい産んじまうんだから、女ってすごいよね。

いやだね、あたしも。ひとごとみたいにさ。


すっかり、お七ちゃんから離れちゃったねえ。

申し訳ないけど、これだけは言っとかざるを得ないよ。

どんな理由があれ、お七ちゃんは親より先に死ぬべきじゃなかった。

あの病気ばっかりしてた、あたしの娘が、最初の子、つまり、あたしの初孫を産んだ時、やっと思ったもん。

「よくぞ育ってくれた、我が娘。これでバアちゃん、いつでも安心して、あの世に行けるよ」って。


いえね、ホンネ言うと、還暦迎えてる自分ですら、今のあたしにゃ想像もつかないんだけどね。

あたしが60になったら、娘は41。上の孫が21で、下のが18。

もしかしたら、あたし、ひいバアちゃんになってるかもね。

化けて出るほど長生きしてやる積もりもないんだけどね。



第六章、事件から52年後(おせい、68歳)


夫とは16年前に死に別れた。

4年前、娘も45を一期として身罷った。

これを先立つ不孝とは言うまい。祖母孝行の二人の孫を残してくれたおかげで、こうやって何不自由のない隠居暮らしを送っているんだから。


45なら早死にとも言えまいが、45でも54でも、あたしの子だ。あたしから見れば、今でも、あの子は子どもだ。


「あの世で子どもを世話してくれる仏と言えば、お地蔵さんだ」と発心して以来、あたしは菩提寺のお地蔵さんに帰依し奉っている。

お地蔵さんを、わが娘と思って、寒ければ着物をお布施し、雨が降ったら笠をお布施している。夜風が吹けば「心細くはないか」と心配になる。


実はそのお地蔵さん、銅葺き屋根に八畳敷きの、あたしの隠居部屋より広い地蔵堂に、ちゃんとお祀りされてるから、着物も笠もホントは必要ないんだけど、まあ、気持ちの問題だよ。

お寺はイヤな顔ひとつせず、私の気持ちばかりのお布施を気持ちよく受け取ってくれるよ。


前々から思ってたんだけど、今でも良く分からないのは、お七ちゃんの親ごさんのやりようだ。

悪い虫と引き離した後、お七ちゃんの事をサッサと嫁に出さなかったのは、一体なぜだったんだろう?

自分たちの娘の思い詰めた暗い顔をチラッとでも見れば、「事は一刻を争う」と、すぐ分かったろうに。

特にお七ちゃんのおっかさんは「世間ズレした女傑」と評判の人だったのに。


そうすりゃ案外、お七ちゃんは嫁ぎ先で幸せになってたかもしれない。

悪い虫の事なんか忘れて、子ども何人も産んで、孫に囲まれて、気楽な隠居生活を楽しんでたかもしれない。

少なくとも火付け・火あぶりは無かった。

あそこで、お七ちゃんに考えるヒマを与えたから、親ごさんは自分の子に先立たれる事になったんだ。


子どもに先立たれる悲しみは、私もたんと味わった。

うちの子は「若い身空で、おかわいそうに」とは言えない年だったけれど、64にもなって、こんな目にあうとは思わなかったよ。

妙な言い方だけど、「産んだ子が一人で良かった。先立たれるのも一度で済むから」なんて考えたりもした。

「わたしらはバアちゃんに先立ってもいいのか?」なんて、孫たちに叱られたけどね。


特にやる事のない隠居生活だけど、気が紛れる事がないでもない。

下働きの子で、良く気が付くのを3年ばかり追い使っていたら、やれ孕んだの、相手が逃げたのと、騒ぎになった。

「18にもなって、良くもまあ」と呆れた反面、「いや、18だからこそか」とも思った。


男には相手にされないご面相の、「いい年して、おぼこ」だなんて、失礼なカゲ口を叩かれてたけど、確かに最近、妙に色気づいてた。

正に「鬼も十八、番茶も出花」。使い主のあたしが、もっと気を付けてやれば良かったと反省している。


孫たちからは、随分きつい言い方をされたけど、あたしは腹の子もろとも、娘を手元に置いておく事にした。

行き場のない娘を哀れと感じたのと、あたしが帰依しているお地蔵さんに、あたしの見てる前で嫌な仕事をさせたくなかったからだ。

「随分と甘くなったもんだなあ」と、自分でも思う。


「産まれた子の名付け親になってやる」とも約束した。これも孫たちの反対を押し切ってだけど。


いいじゃあないか。別に火付けをした訳じゃなし。

若い内の過ちは誰にでもあるけど、男に比べて女が負うものの余りに重きに理不尽を感じる。

お七ちゃんも、さぞや、つらかったろう。苦しかったろう。

女の子が生まれたら、七と名付ける積もりだよ。

今度こそ、好いた男と添い遂げておくれ。


(本文、了)



[考証] お七は何歳だったのか?


【1】


西鶴『好色五人女』中、お七の年齢に関する記述は下記三点のみである。


一、ある年の12月28日に大火災発生。お七一家は旦那寺に避難した。

この時、お七は「年も十六」と言う設定。


二、翌年1月15日深夜、吉三郎との初夜の際、お七は「わたくしも十六になります」と吉三郎に告げた。


三、卯月の初めつ方(4月初旬)お七刑死。「惜しや十七の春」の事である。


旧暦(太陰太陽暦)の時代だから、年齢表記は当然「数え年」だろう。

上記一、二、三、を素直に読む限り、上記「二、」で矛盾が生じる。


(1) ある年の12月28日、お七は数えで十六歳だった。

(2) 正月が明けて、数えで十七歳になったのに、吉三郎には16と告げている。

(3) お七が刑死したのは「桜咲く4月初旬の十七の春」だから、(2)から約3か月後になる。


(2)で、お七が吉三郎に「十六になります」と告げたのは、

「お七の単なる勘違い」か、

「お七の意図的な年齢詐称」か、

さもなければ「井原西鶴の誤記またはミスプリント」かの、いずれかである。

どの可能性もあるとは思うが、野暮な詮索は、ここまでとしたい。


【2】


仮にお七の誕生日が4月3日だったとする。

満年齢で指折り数えたら「桜咲く4月初旬の十七の春」が2回あっても、おかしくはない。

「吉三郎と出会ってから刑死まで15か月経過」と見ても計算は合う。

初夜の1月15日に「16歳」と告げても矛盾は無い。

15か月も冷却期間があったら、お七も吉三郎も放火よりマシな選択をしていたはずだが。


放火と言う重大犯罪のお裁きに、江戸時代のお奉行さまがチンタラ時間をかけたとも思えない。良くて3か月だろう。

判決が出たら、即刻、処刑していたはずである。

つまり「お七の検挙から処刑まで1年近くを要した」も考えにくい。

なにしろ放火犯に対しては、「濡れ衣?それが何か?」式の強引過ぎる見せしめ裁判が横行していたのだから。

(黒木喬『お七火事の謎を解く』2001年、p121-122、128-129他)


お七の年齢に関する誤解はネット上に多く、国文学研究者の専門論文にすら見られたので、ここで考証しておいた。

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