14年を迎えた、あの日の出来事
2011年3月11日、午後2時46分。東日本一帯を襲った、東日本大震災。広範囲で激しい揺れに見舞われて、そのあとに発生した巨大津波によって、甚大な被害が出ました。今現在でわかっている亡くなられた方は、22000人以上。今も故郷を遠く離れた地で暮らしておられる方もたくさんいらっしゃいます。そして、津波の直撃を受けた、福島原発の水蒸気爆発と、すべての電源が失われたために起きた、メルトダウン。この二つの災害によって、みんな一様に、言いようのない不安に襲われました。
あれから14年が過ぎて、あの巨大な地震を経験していない世代も増えてきていますが、この震災の記憶を次の世代にどう伝えていくのか。それが、次に起きる巨大地震への教訓となりますし、次の被害を最小限にとどめることが出来るものと思います。翻って、今は南海トラフ地震が注目されていますが、南海トラフ地震は、想定震源域が太平洋沿岸。まさに日本の中枢部と言ってもいいところでの発生が予想されています。この地域には、首都圏や近畿圏・中京圏といった、日本の三大都市圏があり、ここが被害を受けると、日本は大打撃を受けることになります。次に起きる地震の被害をいかに最小限に食いとどめるのか、そして、何が必要なのか、しっかりと見据えて、活かすことが、激しい揺れや巨大津波、そして、避難先で体調を崩されて亡くならた、震災関連死の方々の御霊に報いることだと思います。そして、明日は我が身という意識も必要でしょうね。
あの巨大地震が起きた時、私は会社で仕事をしていました。立ち仕事で、山口県では最大震度が3だったんですが、まさか津波注意報が発令されているなんて、思いもしなかった、というか、まったく知らなかったので、
「会社は何考えてるんじゃ」
って思いました。というのも、私の勤めていた職場は、海のすぐ近くで、津波注意報が発令された場合、すぐに避難しないと被害が出る恐れがあったんですが、会社からは、何も知らされず、普通に残業もしていて、このような巨大災害が起きたことを知ったのは、発災から4時間が経過した、午後7時45分でした。この時の会社の対応が、物凄いバッシングを浴びて、災害対応マニュアルを見直すきっかけとなりました。はっきり言って、この当時の会社の災害に対する対応は、まったく的外れで、被害が出なかったからいいじゃんっていうような対応でした。今はどうなっているのか知りませんが、もしあのままの対応状態で、南海トラフ地震が起きていたら、おそらく私も無傷ではいられなかったと思います。改めて、ひごろからの災害に対する危機感を持っておかないといけないと思う私です。




