同窓会に参加した時の話
今日は、私がいじめ加害者が私に謝罪の言葉を話す舞台となった、同窓会に参加したときのことを書いてみようと思います。私が同窓会に参加を初めてしたのは、1992年8月。加害行為から逃れるために、山口に引っ越してから8年の歳月が流れてました。正直、同窓会が始まるまで、私がいじめ加害者の顔を見て平静でいられるかどうか、ものすごく不安でしたし、また何らかの罵声を浴びせらるのではないかという不安も抱えていたのが正直なところです。そして、同窓会が始まる前に、加害者の一部から、正式に謝罪の言葉を受けましたが、謝罪したのはあくまでも一部の加害者であって、加害者全員が謝罪したわけではなく、はっきり言って、今でも完全に許せているのかどうかと問われると、正直、謝罪した奴はまぁ、それでいいかとも思えるんですが、謝罪してない奴(おそらく私が同総会に参加するということを聞いて、参加を拒否した加害者もいるのではないかと思います)からはいまだに何の謝罪の言葉も聞いてないので、加害者全員の総意として謝罪したのではないだろうと思います。私が望むのは、加害者全員が私の前に来て、直接自分のやったことを詫びて、誠意を見せればそれでもうそのことについて私は追及するのはやめようと思うんですが、全員の総意としての謝罪がない限りは、私も完全に許せることはないだろうなって思います。
ただ、なぜ私がこうして自分の過去に起きた出来事を公表しているかというと、自分と同じ思いを、ほかの誰にも味わってほしくない・いじめ被害者が、どれだけ辛い思いを抱えながら生きていかなければならないかを知ってほしいという思いからです。正直、自分の過去を書き記すというのは、時折過去の辛い出来事を思い出すために、めちゃくちゃ心が辛くなることもあるんですが、それでも、自分より若い人たちに、いじめが何をもたらすのか、きちんと伝えなければいけないと思い、こうして書いています。
今いじめの加害行為をしている奴に問いかけたいと思います。今自分がやってることを自分自身に対してできるのか?自分の子供や孫に、自分のやったことを胸を張って言えるのか?自分がやったこと・言ったことで生じた結果には責任が持てるのか?被害者の人生をめちゃくちゃにする権利があるのか?
今加害行為をやっている側の人間がこれを読んで、どう思うのかコメントで教えていただけたらと思います。




