7話
姉による恋愛指南は本格的に始まりを迎えた。
「まず最初に大切になのは、基礎価値の高さ。つまりはルックスね」
「いきなり話を終わらせないで?」
出鼻を挫かれた。
「漫画やアニメじゃないんだし。小手先の技術をどうにかするより100倍重要よ」
「そりゃそうかも知れないけどさ。ちなみに俺の基礎価値、100点中いくつなの?」
姉は面倒くさそうに俺の頭なら足までさっと見つめた。
「えー?70点くらい?」
「意外と高めな評価でびっくり」
「だって新吾、私と同じ美容院通ってるし。服だって私が言ったやつ着てるじゃん?これ以上教えるのもめんど……教えることもないのよ」
「今面倒って言った?」
「はいはい、カッコいいカッコいい!もうやれる事ないなぁ〜」
雑に褒めて流された。
「いやでもさ!こういう恋愛指南で見た目改善させるのって鉄板じゃない?」
「うわめんどくさ!そんな鉄板しらんし。ユニクロとか無印で無難なやつ選んで着てればいいじゃん。他になんかある?」
「……ないです」
姉はやれやれと肩をすくめた。そこでふと何かに気づいた様子で、通行人に向かって指を差した。
「ねぇ新吾。あの娘、可愛くない?」
見るとそこには確かに可愛い女の子が2人、楽しげに歩いていた。
「確かに可愛いと思うけど、急にどうしたの?」
「ちょっと新吾、あの娘達にナンパして来なさいな」
「ゔぇっ!?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
急に何言い言ってんの?!この姉は!
「ほら、早くしないと行っちゃう!新吾なら大丈夫だって!お姉ちゃんを信じなさい」
姉に背中を押され、俺は数歩前に押し出される。振り返り姉を見ると、顎をくいと動かし、行けと合図を送っている。
迷いはあった。しかし姉は信じろと言った。これも恋愛心理に基づいた指南の一環なのかも知れない。俺は両頬を叩いて気合いを入れた。そして遠ざかっていく2人組の横に並び、声を掛けた。
「こ、こんにちは!」
2人がギョッとしてこちらを見る。2人の視線を浴びた瞬間、体に緊張が走った。
どうしよう……声掛けたはいいけど、この後なんて言えばいいんだ!?
俺は脳をフル回転させて、なんとか言葉を絞り出す。
「ふ、2人で買い物中?何か、その……何か買いに来た、とか?」
「え?なに……?」
「これってそーゆう……?」
2人は少し笑い気味に互いを見合って、コソコソと話し合っている。返って来る言葉を待ってみたが、2人は歩調を少し速めると、そのまま去って行った。
「騙された!」
半泣きでプルプル震える俺を見て、姉は足をバタつかせながら笑っている。
「新吾……っぷ!あんた……サイコーだよ!ふふ、やばいおなかいたー!」
「笑い事じゃないよ!どーすんだよ!」
構わず笑い続ける姉。やがて笑いもひとしきり収まると、俺に向き直った。
「はぁー、笑った!……それで?今の新吾になんか問題は生じてる?」
言われて俺はハッとする。
「……なにも問題ないね」
「でしょ?ナンパって別に失敗してもなんでもないし、一回やってみたら、意外大した事じゃないでしょ?」
確かに、昨今のラブコメだとナンパを取り扱うネタはよくあり、同様のことは割と語られている。しかし頭で理解するのと、直接経験してみるのとではかなり違った感覚だった。
「恋愛なんて所詮そんなもん。変に肩に力入れて意気込む必要もなく、もっと手軽にやっていけばいーの」
「じゃあ未春はそれを教える為にわざと……?」
「お姉ちゃん、ね?てかそれよりこれ観て!」
姉はスマホを俺の眼前に突きつける。
『ふ、2人で買い物中?何か、その……何か買いに来た、とか?』
俺のナンパの盗撮映像だった。
「ねぇ!?なんで撮ってんの!?」
「やばい!あっははは!まじウケる〜!」
「しまいにゃ泣くよ!?」
こいつ……やっぱ俺をおもちゃにしたいだけなんじゃないの!?
それから少し時は経ち――
俺と姉はモール内のフードコートにて、俺はチキンのセット、姉はうどんの並盛りを、それぞれ食べていた。
某チキン屋でチキンを頼む時、俺はいつもキール(胸)を指定する。脂身が少なく、ジューシーさは他の部位に劣るが、その分あっさりとしてて食べやすく、可食部が多いのが魅力なのだ。
「それじゃあ新吾。次の段階に進むね」
食事の合間に、姉がレクチャーを再開する。
「どんとこい」
「女の子にキスを許させるには、まず前提として男扱いされなきゃいけないの」
「男扱い?それって普通にされてるもんじゃないの?」
姉はチッチッっと指を横に振る。
「女の子は異性との関係を築く時、男扱いか友達扱いか、その2つに分類するの。一旦友達扱いに入ると、その人と恋仲になろうとは思わなくなっちゃうから、初動が肝心」
俺は一度頷くが、ふとある事に気づく。
「それってまた、玲花ちゃんとの関係なくなってない?付き合いも随分古いじゃないか」
「まぁそうかも。でもとりあえず聞いて?まだ話始めたばっか」
「それもそうか。ごめん、続けて」
姉はこくんと頷いた。
「そこで、新吾には男扱いされるようになるトーク技術を教えるね」
おぉ、めっちゃ恋愛指南っぽいやつきた!
期待の眼差しを姉に向け、聞く姿勢に入る俺。
「ずばり、相手をディスる事」
「へ?ディスるの?」
俺は目を丸めた。
「でもそれってむしろ逆効果、とか考えてない?」
「普通そうだよね?」
「でもこれが超重要なの。多くの男は女の子に媚びてひたすら褒めたりするもんなんだけど、実はそれって下に見られてお終いなの」
「褒められたら嬉しいもんじゃないの?」
当然の疑問に、姉は首を横に振る。
「そういう打算ってわかるもんだし、情けない男って思われかねない」
「でもディスっても『なにこいつ?』みたいにならない?」
「よっぽど変なディスり方でもしない限りは大丈夫かな」
「うーん……」
俺はいまいち納得出来ず首を傾げる。
「いまいち納得できてなさそう?んーと……例えば私と新吾。私は適度に新吾に毒を吐くわけじゃない?」
「そうだね」
「少しは引っかかりなさい」
姉のチョップが脳天に振り下ろされる。
「ウーン、ドウダロウ……タシカニソウカモ?シレナイナァ」
姉が望む言葉で言い直す俺。
「でもそれで関係が悪くなるなんて事はないし、新吾から頼れるお姉ちゃんだって評価も得られてる……そうでしょ?」
否定する言葉が喉まで出掛かった。しかし姉の手がチョップの構えを取っている事に気づき、俺は慌てて肯定の言葉を絞り出した。
「そうか!そーいう事だったのか!完全に!理解!しました!」
「なら良かった」
姉は笑顔になり、構えてた手を下ろした。姉は怒らすと怖いのだ。
ただ実際、俺は少なからずディスりの効果を理解できていた。ちょっとディスられたぐらいじゃ関係は悪くならないし、ディスる側は会話で有利な立場に回る。要はそれを意図して引き起こせ、という事なのだろう。
「とにかくディスる件はわかった。そっから先は?」
「ナメられる事なく男扱いされるようになったら、次はとにかく信頼を築くの」
「信頼?」
「やる事はシンプル、女の子の話をよく聞くこと。新吾はそこんとこ上手くできるし、別にそれ以上言う事はない」
「それだけでいいの?」
なんだか拍子抜けな内容だ。
「女の子はおしゃべりな生き物なの。でも、誰にでもおしゃべりな訳じゃない。話を聞いて貰いたい異性になるって、実は結構貴重だったりするのね」
「つまり、玲花ちゃんから積極的に話しかけてくれるようになればいいのか」
「そういう事。元々付き合いも長いんだし、大丈夫そうでしょ?」
そう言って姉は、うどんをチュルチュルと啜った。俺も食事を再開し、チキンに齧り付いた。
「ごちそう様でした。そんじゃ最後のステップいくよ」
「ごちそうさん。オーケー、どんとこい!……って最後!?早くない?」
程なくして食事を終え、恋愛指南を再開させたのだが、俺は開幕から驚かされる事となった。
「だってもうチューするだけだもん」
「もうチューしちゃうの!?」
「しちゃうの。信頼関係を築いた女の子には、後はロマンティックな雰囲気を与えるぐらいのもんよ。だから、そういう場所に連れてって、目を見つめて、ぶちゅー。はい、終わり!」
姉は口をタコのようにすぼめて、んちゅーとキスのジェスチャーを取っている。……ちょっと気持ち悪いな。
「急展開すぎだけど大丈夫?シナリオ破綻してないかな?」
「シナリオとかよくわからんけど、ほんとにこれで終わり」
「ロマンティックな場所に何か秘密があるとか?」
「別にないけど」
「キスに持って行く為の魔法の言葉とか」
「だからなんもないって」
「じゃあ――
言い切る前に姉チョップが頭に振り落とされた。痛い。
「日和ってんじゃないよ。男として意識させて、その上で信頼を築き上げた。そこまでやったんなら、あとは男らしくガツンとやっちゃいなさい」
言って、姉はフンスと鼻を鳴らす。
「言いたい事はわかったけどさ……流石にまだキスするには早いんじゃ……」
そこで、姉が再びチョップの構えを取る。
「まだ童貞臭い言い訳並べる?……それとももう一発欲しいってことだった?」
姉は一見ニコニコしていたが、その張り付いた笑顔が恐ろしかった。
「わかりました、どうかその手をお下げくださいお姉様」
「だからお姉ちゃんだって」
チョップが再び頭に落ちた。……理不尽だろ。
「痛ったぁ!もう俺の頭チョップしたいだけでしょ!?」
「それはさて置き」
「否定はしないんだね!?」
「そ〜れ〜は〜さ〜て〜お〜き〜、忘れないで欲しい事がひとつだけあるの」
また割って入ってしまった事で姉は不機嫌だ。俺はそれ以上言うのを諦め、大人しく会話を進める事にした。
「忘れないで欲しい事?」
「最初の方で話したけど、女の子はビッチにはなりたくないの。だから、雰囲気に乗せてもキスを拒む可能性は少なくない」
「キスできないじゃん」
姉は何度目かになる、指を横に振る仕草を取った。
「ノンノン。まぁ拒むと言っても形式上だったり、言葉でだけだったりよ。要は、断るポーズだけ取るってこと」
「それ、何の意味があるの?」
「そりゃ勿論言い訳作りの為」
「言い訳作り?」
いまいち理解が追いついてない俺を見た姉は、喉をんっんっと鳴らし、しなを作る。
「『私は断ったんだけどぉ〜、新吾くんがどうしてもって迫ってきたからぁ〜断れなかったのぉ〜』ってこと」
クネクネと身を捩りながらの猿芝居。
この演技必要だったかな?
「あ〜……ね。わかったよ。もういいよ……」
可哀想な人を見るような目で姉を見つめ、俺は肩に手をポンポンと置いて励ました。
「えいっ」
姉は肩に載せられた俺の人差し指を掴むと、逆に向かって曲げた。
「痛ったあぁ!?」
「新吾のくせに生意気」
「今の完全に俺悪くないよね!?」
「とにかく、これで全工程終了。行くよ」
こうして姉のレクチャーは終わった。俺は返却口に向かった姉に置いてかれないよう、後に続いた。
その後、俺たちはモールの中をあちこち周り(主に姉のウィンドウショッピング)、気づけば夕方に差し掛かっていた。
「みは……お姉ちゃん。流石に一旦車に荷物置き行かない?手がプルプルしてきたんだけど」
「頼りないなぁ。まぁもう欲しいものは粗方手に入ったし、一旦じゃなくてそのまま帰ろっか」
結局モールまで来たのは指南の為なんかじゃなく、単に荷物持ちが欲しいだけだったのだった。